中国でにわか通訳を引き受けたものの、使い物にならなかったお話
さかのぼること20年前。
「通訳」の仕事は、自分には不得手だと実感したお話です。
中国本土の病院で看護師として滞在していたある日。休日にも関わらず、病棟から電話で呼び出されました。外来に日本人が来たから、通訳してくれと言うのです。
通訳さんなしで、中国の僻地まで来る日本人もめずらしいなあ。
そう思って、病院の外来に行ってみました。その場にいたのは、先生らしき人と、学生さんの二人。大学のワークショップで中国に来たものの、連れてきた学生さんの調子が悪いので診てほしいとの話でした。
さて、診察が始まります。
その場にいたのは「中国人の医師」と、「日本人の学生さん」。真ん中に私。
学生さんが、日本語で体調の悪いところを訴えます。
私は、その言葉を中国語に通訳して先生に伝えないとならないのに、出てきた言葉は日本語。ただの伝言です。
医師「中国語で言って!」
私 「あ、そうだった!!」
こんどは、医師が中国語で病状をうかがいます。
私は、その言葉を日本語に通訳して学生さんに伝えないとならないのに、出てきた言葉は中国語。しかも、ただの伝言になっていることすら気づきません。
学生さん「日本語で言って!」
私 「あ、そうだった!!」
かくして、二人の間の意思疎通に時間がかかる始末。
私自身は半ばパニックのまま、にわか通訳は終わりました。まったくもって、適性はありません。日本語なら日本語だけ、中国語なら中国語だけ話すほうがどれほど楽か、思い知らされた出来事でした。
と同時に、通訳できる人のマルチタスクぶりに羨望の念を抱いたことは言うまでもありません。人の話を聞いて、頭の中で瞬時に通訳して意図を伝えるなんて、私には神業のように感じます。
しかも、日本語と中国語の双方向。ただただパニック。
私の場合、シングルタスクを突き詰める方が合っていると実感できた出来事でした。
さいわい、その学生さんはすぐ体調が軽快しました。良かったです!はるばる日本からやってきた大学の先生や学生さんたちと、その後楽しくランチしたことは言うまでもありません。
思いおこせば、当時は休日もプライベートもあってないようなもの。公私混合が日常茶飯事だったことを懐かしく思い出しました。