「自然と人のダイアローグ展」へ
国立西洋美術館リニューアルオープン記念「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」を鑑賞してきました。
東京上野の国立西洋美術館にて開催中です。
国立西洋美術館×フォルクヴァング美術館。
前者は松方幸次郎氏、後者はオストハウス氏のコレクション。
どちらも戦時中の爆撃や散逸を乗り越え、個人のコレクションをもとに設立された美術館として共通点があります。
本展では、両館からさまざまな風景を描いた作品が展示されています。
テーマはタイトルの通り、「自然と人の対話」。
「(人間自身をも内包する)自然」と「人」との対話をテーマにセレクトされた絵画と出会うことができます。
私たち鑑賞者と絵画の間にどんな「ダイアローグ=対話」が生まれるのか、とても楽しみに鑑賞してきました。
Ⅰ章 空を流れる時間
最初は展示会場が狭い印象でしたが、角を曲がると急にひらけた青空が出迎えてくれます。
モネの《舟遊び》が左に、リヒターの《雲》が右側に展示されていました。
リヒターの《雲》は、写真をもとに油彩で描かれた作品です。200×300cmの大作。目の前に立つと、その大きさに圧倒されます。親子そろって、すっぽり包み込まれるくらい。
雲の中に入り込んだかのような錯覚です。
作品の中には水面しか描かれていませんが、そこには空や雲の流れる様子が写り込んでいます。実際に描かれていなくても、彼女たちの頭上に広がる青空を思い浮かべることができます。
ここでは、リヒターが描いた雲が写り込んだかもしれないですね。
Ⅱ章 「彼方」への旅
芸術家の心象風景を描いた作品が続きます。果てのない、彼方への旅。
「夕日の前に立つ女性」というタイトルですが、朝日なのか夕日なのか意見はわかれるそうです。
実は鑑賞する前、この女性の絵の大きさは高さ100cmくらいあるのかと思い込んでいました。ですが目の前の作品は22×30 cmの大きさ、A4程度の小品でした。さっそく思い込みを打ちやぶられます。
太陽に向かって立つ女性の姿に郷愁を感じます。
絵自体は小さいですが、情景をイメージさせ、とても心象的。額縁も秀逸。ゴールドの額縁が太陽の光を反射しているようで、神々しいです。
Ⅲ章 光の建築
移ろい続ける自然と対峙する絵画。あらたな造形表現へ。
湖面の鮮やかな青と、青空と、スイスの山並みが気高くが描かれています。
高原の青空はどこまでも高く、冒頭の「空を流れる時間」を想起させてくれます。
さきほどのホドラーと同じ空間に展示されています。
ここに描かれてている景色は、目の前の湖だけではなく、額縁の外まで広がっているようです。
モネ《舟遊び》と同じく、八割がた水面の構図。
鑑賞する人それぞれが、心のなかで空高く広がる青空を想像できそうです。
Ⅳ章 天と地のあいだ、循環する時間
「人間をも内包する自然」との対話。
農耕にいそしむ人、自然との調和、生と死、めぐる季節に人生をかさねる姿。
人間をも内包する自然と、自分の心の中の自然。
多くのキーワードが、頭の中に浮かんでは消えていきます。
オストハウス氏が、ゴッホの死後に購入した作品です。
晩年の代表的な風景画であり、日本初公開。
金色の麦畑と、一人の農夫が描かれています。
ゴッホは、麦の成長を人生に例えています。
麦を刈る人は「死」のイメージ、と同時に刈られる麦は「死」を迎えます。めぐる季節とめぐるいのちを目の当たりにする作品。
明るい色彩に希望を見出したくなります。こんな感想もまた、私たちの心の中の投影ですね。
まとめ
かんたんではありましたが、本展の代表的な作品を振り返ってみました。
私の個人的な感想ばかりですが、アートを身近に感じていただけると幸いです。
半数以上が国立西洋美術館の所蔵作品です。二つの美術館の作品を組み合わせが絶妙で、とても楽しい時間を過ごせました。
風景画が多く、自然の中に入り込んだかのような気持ちになれます。近代の芸術家たちが戸外に飛び出して、描かれたさまざまな自然の姿がここにはありました。
それは自然のなかをめぐる時間と、人の生との映しあわせ。
ここに来て描かれた自然と対峙し、心の中の自然のイメージと対話できたのでしたら、ここにきた意味があったと思うのです。
2022年9月11日(日)まで開幕中。
当日券もありますが、オンラインでの事前購入をお勧めいたします。
夏休みとともに迎える、ひとときの非日常。
アート鑑賞を通して、すこしでも心穏やかに過ごせますように。