心の声が聞こえた気がした、第九鑑賞
先日、小林研一郎さん指揮のベートーヴェン第九を鑑賞しました。
いただいたプログラムには、マエストロからのメッセージが記されていました。マエストロの心の内が率直に記されています。読みすすめるにつれ、音楽と向き合う真摯なお姿にただ畏敬の念を抱くのです。
だいそれたことと自戒しつつ、マエストロのメッセージの一部を抜粋し、ご紹介します。
こんなにも長くにわたって、謙虚に第九と向き合う人たちがいたことを知りませんでした。
リハーサルを経て開催される、ベートーヴェンの第九演奏会。リハーサルで見かけたのは、マエストロと仲間たちの絆。仲間たちがほめられるたびに、伸びゆく音色。作り込まれた音が音楽になり耳に届くたび、心地よい気分になるのです。
仲間たちの中にまったく光がみえない人たちがいたと、後から聞きました。マエストロのタクトが見えない状況下で、場の雰囲気と息づかいだけできっちり合わせてくるとおっしゃっていました。まさしく神業です。
ベートーヴェンは、どんなメッセージを私たちに残してくれたのでしょうか。
聞き手の一人として、音楽が奏でられる瞬間に立ち会えたことは身が震えるほどに至福でした。ベートーヴェンもまた、聞こえない耳で場の雰囲気を感じ取っていたことは、想像にかたくありません。
聴力を失った人が作った楽曲を、視力を失った人が演奏する事実。駆使しうる五感のすべてを注いで奏でられた演奏は、人々の心を動かすのです。心の声が聞こえた気がした、瞬間でした。
合唱が始まると、まるで禅問答なやり取りが繰り返されます。否定と肯定を繰り返す最なか、まるで走馬灯のように私たちの喜びと悲しみが交互に訪れます。わずかな時間に、聴き手もまた天と地をめぐるのです。
第九の演奏は大海をすすむ小船に例えられ、果てしない旅路の果てにどんな岸辺が待ち受けているか、誰も知る由がありません。
たとえ第四楽章が秒で過ぎ去った感触だったとしても、真剣に鑑賞し最高の状態をめざす姿に立ち会えて良かったと自信をもつことができました。
私もまた、大海に岸辺をめざして漕ぎつつける人でありたいと願います。
こちらは去年の第九!
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