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「ねばならない」をやめてみたら気持ちが楽になり片づけが進むかもしれない
インテリアと整理収納アドバイザーというと、ビシッと片づけてパリッと収納し、洒落た家具をご提案、、、なんてイメージかもしれない。
そんなことはない。
大切なのはそこに住む人が安心して心からリラックスできてエネルギーが回復できる場所にすること。
そのために整え過ぎず、あえてゆるさを残す提案をすることもある。
わりと「ねばならない」反対派だ。
注目して欲しいのはバランス。
全てが整いすぎると人間は疲れてしまう。
オシャレすぎる空間も同じで、どうも展示場や店舗にいるようで落ち着かない。
ちょっと崩れた部分があった方が心は安らぐものではないか。
私だったら心が安らぐ家に帰りたい。
安らぐ家にするための片づけでもあるのだ。
情報過多が「ねばならない」を加速する
「暮らし」は散らかるし汚れるし、時にはくさいもの。
そこに人間らしさがある。
そこが楽しさでもある。
生きてる感じがする。
ところが最近の風潮として「片づいてスッキリ収納されている家」を目指す傾向は続いているように思う。
便利グッズの紹介や痒いところに手が届くような素晴らしいピッタリ収納の紹介を仕事柄たくさん見る機会があるし、黙っていてもスマホにとうとうと流れてくる。
情報量の多い近年、そんな情報を毎日のように見ていたら「片づけねばならない」「整っていなければならない」と頭が思い込んでしまい自分の家がとてもダメな家なんじゃないかという気にさせれてしまう。
時には情報を遮断してみるのもいい。
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はじめからダメなんじゃないかとネガティブな気持ちで始めても、いい片づけはできない。
「ほらやっぱりダメだ」と心がネガティブに引き戻されてしまうのだ。
片づけは小さな成功体験の積み重ねでどんどんレベルが上がるもの。
心もそれにつられて明るくポジティブに変わっていくし、空間も変わっていく。
「ねばならない」をやめてみよう
そもそも家ってそんなに片づいて整っていなくてはならないのだろうか。
「そうだよね」と思ったそこのあなた、ぜひ一度「ねばならない」をやめてみよう。
・片づけねばならない →片づけなくてもいい
・整ってなければならない →整ってなくてもいい
・終わらせねばならない →終わらせなくてもいい
1日でもいい、やってみるとなんらかの効果絶大
身も心も楽になる感覚が戻ってくる。
一週間に一回でもそんな日をつくってみるといいと思う。
心の開放デーだ。
母を見ていて思う。
私の70代の母は主婦の鏡どころかスーパー主婦。
家事や片づけを完璧にこなし、一日中動き続けている。
旅行に行く時には家中をスッキリと片づけ、それからでないと出かけられない。
面白いほどに似なかった娘。
そんな娘から母を見ていて思った。
「ねばならない」を卒業してみたら?試しにでもいいから。
年季が入り過ぎて「やめる」ではなく「卒業」をお勧めしたい。
「ねばならない」は時に人を苦しめ追い詰める。
家事や片づけにおいて「ねばならない」ほど人を苦しめることはない。
だけど必要なインテリアと整理収納
だからといって洗濯物がいつも窓にかかっていて床にモノが散乱している家でいいのかというと、そういうことではない。
片づけなくたって死なないし、不具合のないことも多い。
だけど一度きりの人生「幸せ」と思える時間をどれだけ増やせるか
「楽しい」と思える時間をどれだけ増やせるか勝負。
「ねばならない」に追い詰められることなく、家事ストレスを減らし、好きなモノに囲まれて暮らす。
そこが大事だと思うからインテリアと整理収納。
気付けば「幸せ」と「楽しい」が増えているはず。
そんなポジティブな想像をしているだけで私は楽しい。
elico