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"あなたでなければならない"を選択したい理由について。



この世界で、
"あなたでなければならない"ことなんてないとは思う。

世界にはたくさん人がいるから、
いろんな人との出会いがあるなら
きっと代わりが利かないなんてことはない。


"あなたを知りたい"と
"あなたを異性として知りたい"は違うということ。
当たり前のことで、混同しがちなこと。


あなたの考えを知りたいというのは
人間を知りたいからで
外の器が素敵だ魅力的だというのは
異性を感じたいから。

女であるという、男であるという
備わっている記号や誰かからの色眼鏡な目線などからはきっと逃げられないのだけど

そこに
"あなたでなければならない"
がないのなら
"自分"という人間としての存在の
アイデンティティの喪失たるや、
まるで代替えの利く便利品であるかのような

個としての存在でいられないのなら
きっと心が擦り減って
身体も擦り減って
アイデンティティと一緒になにか大切なものが自分から流れていく気がしてならない。

「わたしはちゃんと人です」と
お互いに叫んでも構わない間柄でいれたなら
なにをしたっていいのだ。
なにをしたって受け入れ合える。

誰かときちんと向き合わなくたって
器を貸して、ありがとう、またね。
あなたの考えや人間性は、よくわからないし知らないけれど。
理解する努力は、し合えていないけれど。


誰かが、あなたの手入れをしました。
わたしはそれを喜んで手にしました。


それらをもしも繰り返した時に
誰かをほんとに自分が大事にしたい時
大事な人を大切にする感覚がいろんなことで鈍りそうで
あくまで自分の場合なら
それが一番大きな損失であると言えようか。


大事な人がほんとに大切だ。
シンプルにそれでいい。
回りくどく何かをゆっくりと失って溶けるような感覚が、
誤魔化しもなく自身に降り掛かるのなら
最初からただひとりを愛せばいいのだ。


"あなたがいい"に全力を費やせばいいし、"わたしがいい"を大切にすればいい。


世界はシンプルで、複雑にしているのは自分自身だと、アドラーも言ったじゃないか。


この世界で、
"あなたでなければならない"ことなんてないし、
きっと代わりが利かないなんてことはない。
それでも"あなたがいい"を選択したい。


打算も何もなく
錆びれのない、屈託のない、"あなたを大事にしたい"という感情に、ただ正直でいたいのだ。

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