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映画 落下の解剖学を観ての感想
※ネタバレ有り
雪の降るある日に突然死した夫サミュエル、残された妻(主人公)サンドラと息子ダニエルと犬スヌープの、裁判が終わるまでの長い1年間を追った映画
夫サミュエルの突然の死を悲しむ間もなく、警察が立ち入り、事情聴取を決め込む
夫の死について、死ぬ前の夫とのやり取りについて、何度も繰り返し質問される 事実を明らかにしなくてはいけないから、頭ではわかっているけど、事件のことをずっと考えさせられて、傷口に塩を擦り込むようにされるのはつらいものがある 夫のことを知らない人が夫の死についてずっと聞き込みをしている、そのストレス 夫の死のショックをもう一度繰り返し体感させられているような、そんな辛さ
昨日まで生きていた人が、急にいなくなってしまうということが、残された者たちのこころにどれだけショックを与えるか こころにぽっかり穴があいて、急に死んでしまったという事実を受け入れられない その人が居ない空間というのを見ていられない
老衰や病死なら、介護や看護で最後の時間を共有でき、看取りまでの「覚悟」を決められるが、それがまったくないのだ 看取りという覚悟や死を受け入れるという明確な区切りがないまま、大切な人を失ってしまった、という喪失感は「一生」続く
裁判で妻サンドラと夫サミュエルの口論に端を発し、彼らのスキャンダルに発展するシーン サンドラがバイセクシャルだから取材に来ていた女子大生を誘惑して夫を苛立たせただことの、ダニエルの教育の仕方について負担がフェアじゃないだことの、小説のネタをパクってるだことの…本当にこんなこと夫の死に関係あるの、と言わんばかりのサンドラ 検事に一方的にやり込められ、言葉に詰まり、英語で弁論を始めてしまう これは3度目の夫の死…
金曜日の裁判が終わり、サンドラと離れて週末を過ごしたい、というダニエル サミュエルが抗うつ剤を飲んでいたことも、オーバードーズで自殺未遂したのもダニエルにはショックだったし、一旦自分自身で何が正しいのか整理をつけたいという思いがあった
ダニエルは子供ながらに事実を理解しようと努力していたし、誰を信じるべきなのか、葛藤していた
サンドラと距離を置きたい、とダニエルに言われ、ショックを隠せないサンドラ サミュエルとの口論の内容から、ダニエルのことを邪険に扱っているように勘違いされたのでは、と自責の念に陥っている
月曜の裁判、ダニエルの証言 この映画のハイライトのシーン ダニエルの独白に合わせて夫サミュエルの映像が流れるシーン
ひとは突然死ぬし、その日は必ず来る 犬のスヌープはもう犬としては若くない 賢い犬、ダニエルのために気配りを欠かさない犬、でもその気配りで他の犬より神経をすり減らして寿命が短くなっているとしたら?
犬のスヌープになぞらえて、自分の死をほのめかすシーンだが、あまりにも切ない…あの超絶辛口皮肉たっぷりの検事でさえ言い返す言葉がなかった サンドラとの口論の内容からも、ダニエルの視力が悪くなってしまったのは自分のせいだ、と罪の意識に駆られ、良心の呵責からダニエルに人一倍気を使って、大事にしていただけに、このセリフはこたえる…
裁判は物事の区切りをつけるものだ 裁判が終わって、サンドラの無罪の判決が出たあと、ヴァンサンとサンドラが打ち上げで飲んでいる サンドラが「無罪で勝訴したら、何かが変わると思ってた、見返りがあると思ってた、でも違った」というシーン
勝訴しても、死んだ夫は帰ってくるわけじゃない、元通りの生活は二度とやってこない、息子ダニエルとふたりっきりのさみしい暮らしが待ってる、これから独りで裁判にかかった莫大な費用を返さなければならない、自分や夫のスキャンダルは世間に露呈したまま記憶に残り続ける…
最後夫の書斎で犬のスヌープと一緒に眠るシーン、そして悲しげなピアノの調べは、生き残ったとしても良いことがあるわけじゃない、これからもかなしみは続いていく、、、ということを表現したかったのではないか
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー余談だが、旦那さん絶対ヒップホップ好きや、冒頭で50cent流してたし、犬の名前スヌープやし絶対そうや!!!!50centのあのアルバムは名盤やね…