見出し画像

患者が減ったら病院が赤字だから高齢者医療を維持しないといけない

最近こんな記事があった。
急性期病院が急速に赤字になっていて、病床利用率を高めなければならない、という発表だ。



まず、なぜ急性期病院が赤字になるかだけど、端的に言うと病院と診療所で、医療費引き上げが連動する仕組みが、1961年に、日本医師会が運動して、「四原則合意」を取り付け、開業医に有利な診療報酬の仕組みを作り出したことだ。

具体的には

この医療費紛争と「合意四原則」は大きな影響を残した。一つは、医療費問題に自民党が介入し、政治的解決をはかる前例をのこしたこと。二つは、病院部門の赤字問題に対処する医療費引き上げを診療所(開業医)にも均霑するというパターンを作ったこと(そのご1965年、1967年、1970年に踏襲された)。三つは、医療費増高問題や「抜本改正」問題の発端となったこと。

日本社会保障の歴史 学文社 1991年 

 この、1961年の政治的合意が今も引き続いていることが最大の要因だ。

もちろん急性期病院で加算がついて1.3倍とかになったりはする、それを積み重ねることで倍率は上がるが、それでも限度がある。

例えばクリニックで胃カメラを行う場合、医師1人と看護師1人が実施する。難しい人やリスクの高い人は急性期病院=総合病院に依頼するだろう。
一方で病院では、初期研修医、後期研修医、その上の医師と三人がかりで行うところもある。
単純に人手が多いし、難しい人も多い。

 つまり総合病院のほうが比較的複雑で時間と人手とコストがかかることをやっているけど、基本の値段は一緒なのだ。
これは1961年に病院と診療所の診療報酬を連動させる前例のためで、今のところ変化していない。

だからこそ開業医は長年にわたって少ないリスクでお金持ちになるための方法であり続けたし、急性期病院の赤字は慢性化しているのだ。

値段が同じだからこそ、病院は薄利多売的にならざるを得ない。とにかく病床利用率を上げる。そのためには不要な入院も受け入れる。

好例は腰椎圧迫骨折で、この病気は原則として痛み止めを飲んで安静にする他ない。医学的には殆どが入院の必要はない。しかし、入院を強く希望する家族も多い。そこで急性期病院は病床利用率を高めたい病院に転院を依頼する。
そして入院すると動かなくなるので廃用が進み、いよいよ家で暮らせなくなる。

他にも本来は寿命で良いと考えていいような救急搬送で、病院に来た時点でこれは老衰と考えられるので看取りましょうと医師は話をしても良い。
だけど、病床利用率を上げたい病院側としては入院させたい。

患者側も、入院しても医療費が殆どかからないし、年金と合わせれば収支はプラスになるし、亡くなってしまえば年金はもらえないので、もちろん入院を希望する動機がある。

医師としては下手に入院を断れば病院経営に悪影響を与えてしまうし、それは自分の雇用を危うくする。

病院、患者、医師のそれぞれが医学的に利益の乏しい入院を受け入れるインセンティブが強い。

入院を断るインセンティブとしては何があるだろうか。

病院側としては、あまりにこのような人が増えすぎると若い医師にとって魅力的な病院ではなくなるので、将来的な人材獲得に支障をきたす、という考えはある。医学的な利益の乏しい医療をやり続ける姿を見て、この仕事をやってみようと思わせるのには高い給与と良い労働条件が必要だが、それは病院経営を悪化させる。

医師側としては、単に本人のためにならないよね、という考えをどれだけ持つかだ。実はこれを支持する医学的証拠はあからさまには提示されないし、大学で習うこともない。英語論文ではしばしば見るが、日本語論文ではあまり見たことがない。実は僕らは高齢化の先進国でありながら、その知見を十分世界と共有できているわけでもないのだ。

胃管が挿入されて行動制限されて生きるのがどうかを想像して、自分だったらやめてほしいなってどれくらい思うかという気持ちが説得の理由になるだろうけど、現代の医療はパターナリズムへの反省から、患者の意思、あるいは患者家族の意思(患者の意思を患者家族が推定したもの、ではない)を尊重する傾向にある。

患者側としては…実はこういう場合に患者自身の意思はあまり関係がない。
施設職員が救急要請したとか、家族が心配した、などが多くて、本人はあまり何が起きているか気づいていなし、本人が入院を希望して来院するケースは、多くはない。本人の希望がなく、原因が老化だからこそ、これが問題になるわけだ。

勿論腰椎圧迫骨折の場合は、痛いから何とかしてほしくて入院を希望することが多い。が、結局痛み止めは内服なので入院と外来であまり違いはない。まあ、安静のために点滴や尿道カテーテルを入れることはできるかもしれないが、それだって合併症を考えれば割に合うとは言えない。

家族側としては、一緒に過ごせる時間が減るとか、最後の時間を過ごせなくなること、そして本人の利益が乏しいことが、入院を選ばない理由になるだろう。

これを簡単にまとめると、以下のようになる


病院が赤字だからどんどん入院を入れよう、とすると必要ない医療をたくさんやることになる。

でも、そんなことをすれば、原資は勤労世代のお金と人的資源なので、巡り巡ってみんなが貧しくなってしまう。

だから、不要な医療をきちんと断れる仕組み、不要な入院を避けることができるような仕組みを作らなければならない。また、そういう動機が生まれるような設計も必要だろう。

先ほどの図で考えると
病院に関しては
1.病床利用率を高めずとも病院経営が維持できるように、病院の診療報酬を高め、診療所と連動させない
2.病院/病床数を減らして、地域の需要に合った病床数にする。特に人口減少が予測される地域では、病床を段階的に削減する計画を立てる

医師に関して言えば
1.入院をおすすめしない選択肢を提示すること自体は、問題はないので、とにかく一度話をしてみる。そこで家族が激昂したり、入院を迫る場合には、別の場所で誰かがしっかり話をしてくれるような仕組みを作る
2.医療裁判に関する知識のポイントを身に着けておく
3.トラブルになりづらい断り方を見つける

家族に関しては
1.入院することが経済的利益を生まないような仕組みを作る。これは以前から僕の記事で主張している一律三割負担がそうだ。敢えて複雑な制度を追加する理由はないが、入院中に医療費と年金が打ち消されるような仕組みも考えられる。ただ、どこまでを入院費とするか、という議論がある。

2.ギリギリの状態で介護をしている家族は当然にいて、圧迫骨折や誤嚥性肺炎で破綻する、ということはしばしばある。ただ、そうした家族は何らかの社会的サポートを受けていることが多いので、施設入所を早めに進める、何かあったときにどうするかを具体的に予め考えておく、もしくは判断する人を決めておく、ということが望ましいだろう。

病院の経営というのはその収益の大半が公金、という点で通常の経営と異なっている。経営努力をすればするほど地域や国が貧しくなってしまう、ということがありえるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?