アメリカで争点化した“治安” 【前編】コロナ禍の治安悪化はなぜ起きたか
こんにちは。雪だるま@選挙です。この記事では、昨年のアメリカ中間選挙などで大きく争点化した「治安」「犯罪」について考えます。
2020年初頭にCOVID-19の感染が拡大し、アメリカでも都市封鎖(ロックダウン)など行動制限措置が取られました。直後から、アメリカでは犯罪率が上昇し、選挙でも大きな争点として浮上するようになりました。中間選挙では、特に共和党側が民主党知事の失策が原因だとして争点化を図り、一部の州では戦略が成功しています。
この記事では、なぜコロナ禍で治安が悪化したのか、そして選挙にはどのような影響を与えるのかを分析していきます。前編では治安が悪化した原因、後編ではそれを前提に選挙や世論に与える影響について分析します。
治安悪化の現状
2020年以降の犯罪率上昇
まず、治安が悪化している現状について見ていきます。次の図は、アメリカの主要35都市で発生した殺人事件の数(人口100000人あたり)の推移を示しています。2020年から2022年にかけての3年間で、件数が急増している様子か分かります。
ただし、2020年以降に事件数は急増しているものの、1990年代以前の高い水準と比較すると、低い値で抑えられています。治安の争点化は、犯罪の絶対数が多いためではなく、直近の都市と比較して犯罪率が急増しているという相対的な要因であると分析すべきだと考えられます。
犯罪率については、2022年のデータでは種別によって異なった傾向が表れています。殺人や銃犯罪はピークアウトして減少傾向が確認されていますが、窃盗や自動車の盗難は増加し続けていることが分かっています。
全米の主要27都市のデータで、2022年は殺人が約4%減少したことが判明しています。一方の自動車盗難は、データが存在する30都市のうち27都市で、パンデミックの初期より増加しています。これらの都市では、2022年に自動車盗難が約21%増加したと確認されています。
大都市で争点化した治安対策
犯罪率の上昇は、人口規模に関わらず全国的な問題だとされていますが、特に大都市で争点化しています。
特に都市部で治安対策が問題となっている背景については、この後で詳しく分析していきますが、共和党の攻撃対象となる民主党が大都市の市長ポストを持っているケースが多いことや、ロックダウン以降のホームレス増加が体感的な治安悪化と結びつきやすいことなどが、理由と考えられます。
ニューヨーク市の有権者を対象に行われた世論調査では、1999年以降で最も犯罪への不安が高まっていることが示されています。
選挙結果にも、このような動きは直接的に表れています。2021年のニューヨーク市長選挙では、元警察官のエリック・アダムズ現市長(民主党)が勝利し、警察機能の強化を中心とした治安対策を進めています。
また、2022年秋の中間選挙では、ニューヨーク州で民主党が苦戦を強いられました。ニューヨーク州は民主党地盤の州でしたが、治安対策の不備を指摘する共和党が躍進し、下院の接戦区を奪取するなどの成果を収めました。
その他、今年2月に行われたシカゴ市長選挙では民主党現職が40年ぶりに予備選で敗北しました。犯罪対策が不十分だとの指摘が相次ぐ中で、決選投票には警察機能強化を主張する民主党保守派と、福祉政策強化を主張する民主党進歩派がそれぞれ進出しています。
コロナ禍と治安悪化 どう関連するのか
2020年の新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大を機に、アメリカでは犯罪率が上昇し、世論の不安が大きくなっていることが明らかになっています。
ここからは、コロナ禍と治安悪化にどのような関連があるかを分析していきます。
社会経済の停止と失業率の上昇
コロナ禍の初期は、アメリカでも厳しい行動制限措置が課されました。都市封鎖(ロックダウン)によって経済は停滞し、失業率は記録的に上昇しました。
失業率と犯罪率の上昇は、関連している可能性があります。研究によると、コロナ禍では失業率が悪化しましたが、これは最も「不均衡な」形だったとされています。
つまり、ホワイトカラー労働者はリモート勤務に移行したため雇用が維持されたのに対し、ブルーカラー労働者は現場勤務が前提のため失業したケースが多かったと分析されています。
不均衡な失業の結果、犯罪歴をもつ労働者が多く失業した可能性が高く、直後から犯罪率が上昇したことと関連していると主張されています。
犯罪歴や社会的ストレスの増加は、平時であれば直ちに犯罪に結びつくものではありませんが、コロナ禍初期にはロックダウンが実施されたため、これらの潜在的なリスクを適切にケアすることができなかった点に留意する必要があります。
青少年コミュニティの閉鎖
COVID-19の感染拡大で社会経済活動が停止し、青少年のコミュニティも長期間の閉鎖を余儀なくされました。学校や課外活動を行う民間のクラブなども閉鎖され、青少年の一部は社会から隔絶されたと考えられています。
これは同時に、これらの青少年が社会福祉のネットワークから抜け落ちた可能性を示唆しています。非行に走り得る青少年たちを事前に検知し、社会全体で保護するための福祉機能の低下は、犯罪率上昇の要因だと考えられています。
また、ロックダウンなどの制限措置は社会にストレスを蔓延させ、結果的に暴力犯罪の増加につながったとする指摘もあります。
銃器の拡散
アメリカにおける犯罪を議論する上で、銃による犯罪という視点を外すことはできません。パンデミック下で銃器の拡散は、1998年以降で最多の水準に達していることが示されています。
銃器がコロナ禍に拡散した理由は、販売された銃の種類から検討されています。カリフォルニア州に限定されたデータですが、特に護身用の銃が多く購入されていることが分かります。
この理由について専門家は、コロナ禍で社会に蔓延した不安、不確実性によって保護を求める意識が社会に広がったためであると分析しています。銃器の購入は犯罪へのコミットを必ずしも意図したものではないとみられます。
ただし、銃器の拡散はそれ自体が重大事件の引き金になります。家庭内を含む小規模な摩擦や衝突も、銃器が拡散されて使用に結びつきやすくなることで、結果的に重大事件に発展する可能性が高まります。
コロナ禍に銃器が拡散されたことは、様々な社会的要因を背景とするフラストレーションが、重大事件に引火する“導火線”の役割を果たしている可能性があります。
BLM運動と警察機能の弱体化
コロナ禍で経済状況が悪化したことや、社会的ストレスが蔓延したことは客観的に明らかな事実として受け入れられやすいですが、BLM運動は政治的運動として党派性を帯びており、犯罪との影響を評価する上では様々な立場が表明されています。
BLM運動とは、Black Lives Matter(黒人の命も大切だ)の略です。運動は2010年代前半から行われてきましたが、2022年5月に発生した白人警官による黒人男性の殺害を契機に全国で展開されました。
BLM運動は、警察による黒人差別への抗議が中心ですが、警察機能を弱体化させる原因となったと指摘されることがあります。
BLM運動は、差別の原因になっているとして警察予算を縮小し社会福祉に回すことを求める "defund the police" や、警官が不審者を一時的に拘束できる "Stop and Frisk" の廃止などを主張しています。
運動の結果、警察機能が弱体化したり、警察官自身が取り締まりを抑制したりするようになり、犯罪率の上昇を招いたとの指摘があります。特に共和党は、BLM運動を支持する民主党やリベラル派を批判する文脈でこのような主張を展開しています。
実際に、BLM運動と犯罪の増加はどれほど関連しているのでしょうか。警察に対する抗議活動によって、警官自身が取り締まりなどの行動を抑制する、警察への信頼が低下することで犯罪が発生しても通報する者が減少するといった影響が起こることが研究により指摘されています。
なお、これらは「ファーガソン効果」(Ferguson effect)として知られており、存在自体を含めて様々な議論があります。
また、Stop and Frisk の減少は犯罪率上昇の主要な原因ではないと指摘されています。この記事の後編で事例として扱いますが、2016年にシカゴで犯罪率が急上昇した際も、Stop and Frisk の減少が原因とする見方がありました。
しかし、2010年代前半にニューヨーク市で Stop and Frisk が減少した際に犯罪率は上昇せず、低い水準で抑えられたことなどから、Stop and Frisk の削減を求める運動が犯罪率を上昇させている可能性は低いとみられています。
警察への抗議活動と治安の悪化が関連している可能性が示されていますが、これは警察への信頼低下と警察官自身が取り締まりを抑制することが原因であると考えられます。
後編の内容
アメリカでは、コロナ禍に治安が悪化しましたが、その要因は複雑に関連しています。このうち、選挙という点では「銃器の拡散」と「BLM運動・警察改革」の2点が重要になります。どのように重要であるか、争点化が図れるかなどは後編で議論します。
また、後編ではこの2点について、2016年とコロナ禍の2度シカゴ市で起こった犯罪率上昇を事例としながら、具体的に検討します。