まずは心だけでも旅をしたい。あなたの「夏の思い出」、教えて下さい!
こんにちは!どさんこ大学生RUNAさんの次にバトンを受け取った、さつきです。
「 夏がくれば思い出す~♪」の、あの歌が聞こえてきそうなこの頃。
おうち夏休み(?)も二度目となりますが、みなさんにはどのような夏の計画があるのでしょうか。
私の家では2か月前から仕込んでいた梅シロップを飲んで、夏バテ対策をしたり、ベランダで育てているゴーヤが早く実をつけないかとワクワクしながら過ごしています。
梅雨がやっと明けたのもつかの間、今度は真夏日や台風で不安定な日が続いていますね。 自然は着々と次の季節に移り、人間の方は焦ってしまいますが、なかなか思うように動けないこの夏。まずは心だけでも旅をしたいものです。
というわけで、今回のお題は「夏の思い出」です。
暑い季節になるとふと思い出す場所や人、景色など。記憶をさかのぼりながら、ライターズのみなさんのなつかしいエピソード、お聞かせください!
さつきの思い出「人生でもっともアツい夏休み」
わたしが夏になるとまず思い出すのは、高校時代の夏休みです。
「強い女子になる!!」という単純な考えから、私は通っていた高校で盛んであった少林寺拳法部に入りました。平日休日問わず、体育館下の道場に通う日々。おかげで高校3年間の思い出は、ほとんどが道場での出来事です。1年生で入部してから半年ほどで、血豆から骨折まで、ひと通りのケガを経験しました。
そんな武道少女も夏休みに入ればようやくほっと一息...。つけるわけはなく、毎年8月に入るとやってくるのは泊りでの夏合宿。それも少林寺拳法の総本山がある香川県での稽古です。
異常な暑さと全国から集まった学生たちの熱気で、稽古場はまるで蒸し風呂のよう。わたしは他の仲間に置いていかれないよう、声がかれるほど気合を出し、朦朧としながら汗だくで突いたり蹴ったり、必死で修練に耐えていました…。
そして、こちらがわたしが忘れる事の出来ない景色。
稽古の終わりに、ランニングをすることになり、他の部員たちと連れだって近くの海に走りに行きました。そこでわたしたちが目にしたのが、この静かな海。沈もうとしている太陽が空と山と海をほんのりと染めて、幻想的な光景をつくりだしていました。
楽しい事よりも、悔しいことや情けなくなることの方が多かった高校時代。今では「女子大生」などと呼ばれることにも慣れてしまいましたが、この涙と汗でぐしゃぐしゃだった高校生時代のわたしは今もこころの片隅に残っています。
石原侑美の思い出「沖縄・小浜島への衝動」
自分の気持ちが整理できない時、衝動的な行動をとるのはわたしだけでしょうか。
2011年の夏、私は沖縄・八重山諸島にある小さな離島・小浜島に一人で旅に出ました。ふと見たWebサイトに「小浜島」の文字が目に入り、あれよあれよと予約。翌日には空港に向かっていました。
2011年といえば、日本中が大きな地震によって揺れ動いた年。当時私は大阪に住んでいたものの、整骨院の受付のアルバイトをしていた私は、患者さんの「心の毒」を食らっていました。
地震による直接的な被害は少なかった大阪でしたが、患者さんの中には、故郷が東北や関東という方も多くいましたし、親戚や家族が東北・関東にいらっしゃる方も。物資を届ける手配や、現地に行って家族や知り合いを助けられず気にやむ方が毎日来院し、いつもと変わらない会話をしていたと思うけど、やっぱりどこか「心の毒」を整骨院で吐き出していたんじゃないでしょうか。
直接ひどいことを言われたわけではないけれども、毎日患者さんと接していて、私の心がどっと疲れてしまい、ある日突然、沖縄の離島に行ったわけです。
石垣空港に到着し、船で30分、小浜島に着いたのは夕方でした。
今でも忘れません。新鮮な太いもずくを食べながら、泡盛を胃に注ぎ、ターコイズブルーの綺麗な海を眺めたあの夜を。何をするわけでもない、ただ食べて、飲んで、自然の声を聞いて、私が居て。
私が生きている。ただそれだけでいいじゃないか。
そう体感できた夏の海が、私の心を癒してくれました。
その海の青さと、もずくの食感を思い出しながら、今日も泡盛で乾杯!
あいすか(かあちゃん)の思い出「小3で経験した無人島での2泊3日夏キャンプ」
わたしが夏になると思い出すのは、小学3年生の時に参加した無人島での2泊3日夏キャンプです。
電気も水道も通っていない無人島で、レンジャーサポーターの大学生から社会人の付き添いのもと、かなりサバイバルな生活を過ごしました。
かあちゃんの両親はお店をしていて、子どもをキャンプに3日間も連れていけなったのもあったのでしょう。ほぼ強制的に島送りとなったのでした。(笑)
市内の小学生が集い、グループに分かれて、お兄さんお姉さんに優しくしてもらいながら、行きはよいよいでした。
着いたら、もうサバイバル。まずは、土を掘って簡易トイレを作りました。
そのあとは、グループごとに分担作業。テントを張ったり、食材を運んだり、、。
かあちゃんのグループは竹をひたすら切って割って、食器と箸をいくつも作り続けました。正直、暑いし、お腹はすくし、つらかった。だって海で遊べるだけだと思ってたから。
その後は、夕飯づくり。カレーライスを作ったんですが、飯ごうでご飯を炊くのも、石をカチカチして火をつけて。えっ!!ですよね。まあ、原始人のようでしたね…。
そして、かあちゃん、やっちゃいましたよ。ご飯炊くときに、水を入れるのを忘れたんです。
火をつけるのもやっとだったのに、できたご飯が焦げ焦げ。そりゃ、みんながっかりよね。同じグループの男の子たちにも、すごーーく怒られました。
そしたらね、かばってくれた女の子がいたの。Kちゃん。
彼女がね、「お焦げ、おいしーー。カレーにつけたらサイコーー!」って。
そしたら、みんなが、面白がって食べはじめたの。(笑)
ほかのグループの子たちも食べたいって言いだして。
それで、他のグループの普通のご飯も少し交換してもらい、なんとかお腹を満たすことができました。
それから、彼女とは3日間、ずっと一緒に過ごしました。
帰る日、2人で泣きました。離れたくなくて。小学校が違っていたから…。
また来年も無人島で逢おうね。って約束をして。
その翌年も一緒に無人島へ行ったんだけど、Kちゃんは引越をしてしまい、音信不通になってしまいました。
だけどね、、ちょっと忘れかけていた頃、なんと進学した県立高校でまた偶然に再会したのです☆
びっくりぽんでしょ。
彼女とはね、いまでも仲良し。
お互いに子どもができてからも、家族ぐるみで仲良くさせてもらっています。
コロナが落ち着いたら、また一緒にカレー食べたいな。
いけかよの思い出「文化祭の準備で超青春していた」
え、文化祭って秋なんじゃないの?と思う方もいるかもしれないですが、岡山の田舎にある母校の普通科高校では、夏休み中に文化祭の準備をし、2学期が始まってすぐの9月初旬に体育祭と文化祭が連続で行われるという学校でした。
一番思い出に残っているのは高3のとき。受験を控えているため、3年生は文化祭へはあまりコミットしないというルール?があったのですが、わたしのいた3年4組は、学年イチのクリエイター少年&お調子者が集中していたため、3年生でも文化祭に出よう!と大盛り上がりだったんです。
もちろん、中には冷めている人もいましたが、わたしは俄然盛り上がる派。クリエイター少年を中心に、自然と有志のメンバーが集い、その熱はクラス全体に波及していきました。
当時の時事ネタをいくつか寸劇にするというクリエイター少年のシナリオで、みんなで小道具を毎日夜遅くまでかかって作りました。ピカチュウとか、もののけ姫の山犬とか、いろいろ。場所は学校から徒歩5分のクラスメートの家、というか庭(お寺の子でした)。美術系だったわたしは、山犬のハリボテに顔を描いたりして「うめーな!」と褒められたことを覚えています。シナリオを一部手伝ったりもしたかな。
もちろん当日は大盛り上がりで、終わったあと頑張ったメンバーで集まってこっそりお酒を飲んだような気もするな。
しかしイベントというのは魔物で、おかしなテンションになってしまうもの。わたしは文化祭の流れの中でそのクリエイター少年に惚れちゃったりしたのですが、巡り巡って今となっては「あたしあんたのこと好きだったんよねー」と言えるような良き友に。
コロナの影響もあって長いこと会ってないけど、久々にちょっと連絡してみようかな。
momoの思い出「あの子たちの中で大人になれたのはどのくらいいるんだろう」
テーマの内容に悩んでいたのですが、思い出すことがなかった記憶が頭の中に突然浮かびました。
それは「子ガメの放流」。
通っていた小学校では毎年、夏休み中の全校登校日に「子ガメの放流」行事がありました。
アカウミガメの卵を保護して孵化→放流に取り組んでいた学校だったからです。
地元の海は大好きなんですが、わたしは生き物があまり得意ではないので、子ガメはかわいいと思うけど手に取ることに積極的にはなれず、毎年微妙な気持ちで参加していました。
なので特別たのしかったとかうれしかったとかいうような「夏の思い出」ではありませんが、大人になって振り返ると貴重な経験だったなと思えました。
しかし、記事を書くにあたり何となく検索してみると、今さらながら考えさせられる内容にぶつかりました。
卵を保護するのは孵化前に他の動物に食べられてしまうことを防ぐためというのが理由の一つだったと記憶しています。
そういった自然に起こる脅威から守ろうとする活動の一方で、本来の生態やリズムに合っていない状況を子ガメ達にもたらしていたことを知りました。
もしかしたら当時はそこまで研究がなされておらず、その時点では間違いではなかったのかもしれません。
それでも新たに知った情報に胸が痛み、記憶は苦しさも伴うものに変わりました。
ただ、昔の記憶が急に思い出されたことには意味があると感じています。
今回のテーマをきっかけに忘れてはいけない「夏の思い出」を再認識できました。
同時にガマンしていた地元の海への恋しさもまた募り始めました……
どさんこ大学生RUNAの思い出「かけがえのない出会い、夏。」
2年前の大学2年生の夏、私はスキューバーダイビングの合宿に参加しました。この合宿は少人数でレスキューダイバーライセンスを取るためのものだったので、しっかり座学し、しっかり実習を行う合宿でした。そして、自分たちで朝・昼・晩、ご飯を分担して作るなど、チームで一丸となってライセンス取得を目指しました。
友達に誘われたものの、知らない人と約1週間も共同生活するのは不安しかなく、はじめは断りましたが…粘り強い友達の誘いのおかげで参加を決めました。
普通、合宿チームは20人前後でしたが、たまたま選んだ合宿の日程に集まったのは、わずか7人!宿泊先では、人数があまりにも少なかったので、みんな同じ部屋で川の字就寝へ…。
この合宿がどうなるのか、この頃は想像もできませんでした。
早朝から朝ごはんの支度が始まり、すぐ食べると、宿泊先から総重量約20kgの重機材を背負って海に行きます。約30mの潜行、海の中でのトラブルの対処や救助活動、約800m以上の泳ぎの計測などのさまざまな実習をし、さらに座学が深夜まで続く…という毎日でした。
この繰り返される毎日の中には、チームの協力が必要不可欠でした。
辛そうな人がいたら手伝う、泳ぎの計測の後にがんばったね!おつかれ!と声をかけ合う、座学で寝ないように起こしあうなど…
偶然集まった話したこともない7人は、いつの間にか"仲間"のようになっていました。
人見知りな人が多かったはずだったのに、休憩時間が多く取れそうな日には手持ち花火しようよ!や、みんなでこれしたら楽しそう!など和気あいあいな空気感になっていました。
行くか迷ったら、後悔しないように行くべきだと、よく母に言われますが、合宿でその言葉を実感しました。
合宿終わりには、温泉、花火大会にみんなで行ったり、その後も打ち上げや誕生日会を開いたりする仲間として今も繋がっています。
コロナ禍じゃなかったからこそ、合宿に参加できて、健康だからこそ海で泳げる。何気なく参加を決めたこの合宿が、今は遠い存在に感じてしまうので、この時の写真を見るだけで幸せが込み上げます。
ただ楽しくて、二度と帰れない夏でした。
思いがけない時に、かけがえのない人と出会う。
夏の特別な雰囲気が、より一層私たちの仲を深めてくれました。わたしに大切な仲間の出会いを連れてきてくれた夏のマジックに、またかかりたいと願う今日この頃です。
おわりに
考えてみれば、人の思い出を聞く機会はあまりないもの。今回はライターズのみなさんが心の中で大切にしているものの一部を垣間見れた気がします。
わたし自身は忘れていた当時の感情も、言葉にすることで思い出すことができました。再び香川の地を踏んだ暁には、讃岐うどんをゆっくりと味わいたいです。
後になっても思い出す記憶や人は、時に今の自分を励ましてくれます。この夏、あの時出会った人に久しぶりに連絡するのも良いかもしれません。
これを読んだあなたも、懐かしい記憶に浸ってみてはいかがでしょうか。
Text by さつき(心の旅人さつき)