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癒しと休息を優先した2022年上半期、みえてきたことはリアルな日常と新しい感覚

こんにちは、あいすかです。
6月になりましたね。2022年の上半期が終わろうとしています。歳を重ねるごとに1年があっという間に過ぎ去っていくように感じるのは、わたしだけでしょうか。

草花の色がかわり、季節の移り変わりを感じることもありますが、最近ではご近所のお子さんが、ちょっと見ない間にいつの間にか青年になっていて、本当にびっくりしました。

あきらかに目に見えて成長・変化している人や環境に出会ったとき、「時の流れに浸っている自分」に出会います。
前回の記事でも書いたとおり、わたしにとっての上半期は、時の流れとともに、より「いま」を意識する時期でした。

今回は2022年の上半期を振り返る時間をみなさんと一緒にもてたらと思います。
しばし、お付き合いください。

2022年上半期の振り返り①週に1回は癒される文章に触れた


上半期、わたしが習慣にしていたのは、毎週月曜日に必ず「しいたけ占い」を読むことでした。

占いが好きだからという理由ではなく(嫌いではないですが)、しいたけさんの文章を読んで癒されたいから。

読んでいただくと分かるのですが、毎週、星座ごとにパワーアップとクールダウンのカラー2色がでてきます。そのカラーをもとに、しいたけさんがアドバイスをくれるのですが、その文章が絵本のような短い文章とお笑いのセリフをミックスさせたようなストーリーになっているんです。

そして、核心をついた言葉を発する前には、腰を低くして、ちょっと後ろめたそうに語るところが、わたし好みなのです。これ、相手(読者)への思いやりだなって常々感じています。
気心のしれた親しい近所のお兄さんにコーチングされているかのような気分になります。

たしの場合ですが、月曜日って一週間のスタートの日だからか、無意識レベルでちょっとエンジンをふかしがちになるんです。
土日の疲れが残ってる時もあるし、しんどい日もあります。それでも動かなければならないときはある。

そんな日に、しいたけさんから癒しの言葉をもらって、「さあ頑張ろう」という意識に変える。
正直、読んだ文章もラッキーカラーも、その場で気持ちを切り替えたらほとんど覚えていなかったりするのですが(笑)

この半年間、優しい文章に触れたくなったとき、ライターとして言葉の引き出しを増やしたくなったとき、しいたけさんの言葉を読み返すことが多かったです。

あと、しいたけ占いにかぎっては、自分の星座以外の星座の文章を読むこともおすすめします。(さそり座の人がてんびん座やおうし座のアドバイスを読むなど)

最終的に、12星座分を読んだ達成感も残るし、結果、脳の中にプラスの言葉がたくさん残っているような感じがするからです。

そして、世の中12星座(12タイプ)で人は区別できない、ということも理屈でなく感覚で分かるようになりました。
兎にも角にも、しいたけさんの文章からコミュニケーションを学んだ半年間でした。

2022年上半期の振り返り②脳を休息。オンラインに飽きた?


2021年最後の3カ月は、わたし自身が眼を患い、デジタルデトックスをしたこともあり、今年に入ってからインターネットからの情報は必要最低限にとどめていました。

そして、あえて「自分の感情が揺さぶられない言葉」を選んでいたように思います。

鍼灸師でもあり、東洋思想や西洋医学、物理学にも詳しい友人がいるのですが、彼がわたしに年明け早々教えてくれたことがあります。

「あいすかは気を遣いすぎる。人に気を遣うということは、思考しているということだから決して悪いことではないけれど、脳がフル稼働状態になる。そうすると、感覚が鈍るんだよね」と。

その時は、なんとなく、わかったような気でいましたが、徐々に日常生活のなかで脳を必要以上に使っているということを実感するようになりました。(意識していたからかな?)

ちょっとしたことなのですが、InstagramなどのSNSで流れてくる文章、映像が以前と比べてとても気になるようになってきたのです。

たとえば……
●難解な表現、難しい言葉 ⇒ 頭のあたりが熱くなる。考えるから血流が脳に集まる。
●キツイと感じる言葉や文章、人を批判する言葉 ⇒ 胸がざわつく。モヤっとする。この人は何か嫌なことでもあったのだろうかと、また頭で考える。
●投稿頻度が高く、キラキラ系の投稿 ⇒ 「すごくお仕事頑張ってるなぁ」「このアングルはどうやって撮影しているのだろう」など、わたしの日常生活に直接影響もなく、考える必要のない他人のことにまで、自分の脳を使ってしまう。

こういう風に分析がはじまったら、もうこれは、脳を休ませてあげなさい、というメッセージです(自分のなかで、SNSやまわりの状況を受け流せなくなってきているから)。

最初は、単にオンラインに飽きてきたからかな?と思っていたのですが、それだけの理由ではなかったのです。
大好きな海を見ても、青く澄んだ空をみても、あまり何も感じていない自分に気がつきました。食事に関しても、いま何が食べたいかわからない。
時間がない時は食べなかったこともあります。

でも作るときも栄養があり、農薬の入っていない野菜を探し(大切なことなのですが)、加工品は成分表示をみて添加物をチェック、最終的には子どもたちが好きで食べてくれる味付けやメニューにする、などなど、頭で考えて選択することばかりだったのです。

これが食べたい、想像したらよだれが出る、と感じるような動物的な欲求は全くなし。ちょっと、わたしの感性鈍ってる!
そう気づいてから、また数日間、パソコンを閉じたのでした。

2022年上半期の振り返り③人に触れることが失われた代償

社会的に見ても、この2年間はリアルで行われていた行事、リアルで経験しないとできない仕事、いろんな事が閉じられていた時間でした。もうすでに、オンラインで済ませてしまっていた代償が、あきらかにあらわれてきています。

たとえば、ある教師の知人から聞いたことですが、看護学校、保育士や幼稚園教諭になるための養成校や大学、鍼灸専門学校など、人に直接触れる未来の専門職が、人に触れる機会が極端に少ないまま、現場へ出なければならなくなってきているそうです。

実習はオンラインではできません。人との距離感のとりかた、間合い、人に直接触れることで得られる学びや経験が絶たれてしまったのです。
赤ちゃんを抱っこする、おむつ替えをする、沐浴をする、この3つの行為をオンライン1時間半、見ているだけで果たして習得できるのでしょうか。

わたしは子どもを2人産んでいますが、最初の子を初めて抱っこしたときは、手が震えました。そういうものなのです。

子どもたちの間でも、密を避けるため、異年齢交流もなくなっていきました。小学校に入学してから、ずっとマスクを着けたままなので、お友達の顔と名前がなかなか覚えられない。また、高学年が低学年のお手伝いをしたり、学校という社会環境から得られるリアルな体験がぐっと減ってしまいました。その状況でも子どもは成長していくのです。後戻りはできません。
これから、条件付きで行動できるようになったとしても、以前と同様にはできなくなっていることを、わたしたちはもう既に理解しています。

さて、あるメーカー企業では、在宅勤務が推奨されるようになってきている昨今にもかかわらず、今後、あえて対面での仕事や出社日数を増やすことを決断したそうです。

AIの稼働が進んでいる企業であっても、ヒューマンリソースを底上げすることこそが企業の存続につながると考えているように思えます。
企業にコンサルタントをいれるのではなく、社員全員がコーチングを学ぶことに力をいれていくような、そんなイメージでしょうか。

人に接する、人に触れる、という感覚が変わってしまった2年間。
これから、傾いた建物をなんとか穴を埋めて補強して使い続けるのか。それとも思い切って壊して新しく建て直すのか。これまでにない発想でチャレンジをしていくことが求められているように思います。

2022年下半期に向けて意識したいのは「感覚を少しだけ遠くへ」

下半期以降をどのように過ごそうかと考えたとき、まずは「近く」と「遠く」のバランスを整えたいと思いました。

大きく何かを変えていくということではなくて、まずはわたし自身のなかにある感覚を整えることが優先だと思ったから。
旅行に行ったり、友達に会ったり、条件的には少しづつできるようになってきたとはいえ、「普通に友達に連絡を取って会う」「遠方の実家に帰省する」ということが、とても遠く感じられてしまい、行動できなくなっていました。

直接会うのは物理的に近くにいる人だけ。ちょっと遠いところにいる人とはオンラインのみ。海外にいる人たちをより近くに感じる、というメリットもオンラインにはありますが、直接触れることはできない。

ここ2年間の極端な生活で、こうしたあたりまえにあった人間的な感覚「近く」と「遠く」のバランスが崩れてしまっている。
わたしも遠方の家族と、2年くらい直接会えていません。それが、悲しいしもどかしいし、そういう状況がちょっとおかしい、と感じるようになりました。

行きたい場所へ行けた時に、いまの自分がどう感じるのか、少し怖くもありますが、やはり楽しみのほうが勝ってきています。
感覚を少し遠くへ向けるように意識する。いまのわたしたちには必要なのかもしれません。

Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)


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