【イベントレポート】「最期から考えるフィンランド式生き方デザイン講座」で見えてくるわたしの“豊かな生き方”
少子高齢化といわれる今の日本社会。「自分の人生のありかたについてじっくりと考えてみたい」「高齢者の方たちと関わるお仕事をしている」「介護について興味がある」という方は多くいるのではないでしょうか。
2021年1月31日(日)にオンランで行われたイベント、「最期から考えるフィンランド式生き方デザイン講座〜フィンランド高齢者福祉施設の事例から〜」は福祉や生き方など、さまざまな視点から「これからの私の生き方」に興味を持っている、学生さんから社会人の方までが参加しました。
モデレーターははElämäプロジェクト代表の石原侑美さん、そしてゲスト講師としてフィンランド在住のヒルトゥネン久美子さんが登壇し、「フィンランドの高齢者施設のありよう」を通して「人生の最期」についてお話しされました。
ヒルトゥネン 久美子 氏
フィンランド在住ツアーコーディネーター、通訳
フィンランド在住26年。全日空、フィンランド航空客室乗務員を経てフィンランドに移住。
現在はKH ジャパンマネージメント株式会社を経営し、フィンランド教育と福祉のスペシャリストとして視察や研修プロジェクトなどのコーディネートを手掛けている。
年間の視察、研修プロジェクトは40件を超える。日本においてもフィンランドセミナー、スタッフ研修などを提供している。
講座ではフィンランドの基礎知識を学んだあと、同国の高齢者施設のお話を聞き、参加者どうしの意見交換も含めながら、最期から自分の人生をどのように考えていくかというワークを行いました。
このイベントレポートではその一部をお伝えしたいと思います。
「高福祉社会」フィンランド
マリメッコやサウナなどで有名なフィンランドですが、高福祉社会としても世界的に高い評価を受けている国でもあります。
それは教育、福祉において「誰もが平等な機会を得る権利がある」という人権を尊重した北欧の国々に共通する価値観が基になっているからです。
この価値観のありかたが、結果として世界幸福度ランキング1位という形で表れています。幸福度とは、「幸せか・幸せでないか」という主観的な意見で測るのではなく、「1人当たりのGDP」、「健康寿命」、「自由度」、「社会的支援の充実」、「腐敗度」、「寛容さ」などの項目から数値化して総合的に判断されます。
今回の講座では「社会的支援の充実」にあたる高福祉社会に絞ってお話しされました。
侑美さん
「フィンランドの高齢者福祉では、在宅介護が基本なんです。それは『自分で選んで決定する』という意味で、『自立思考が高い』高齢者がフィンランドには多くいるからだと言えます。」
「ひとり一人が平等に社会的サービスを受けることができる」というように、個人のあり方が重要視される社会だからこそ、結果として国全体の幸せとして見える形でも表れているのだと思います。
今回の講座には以前からフィンランドの介護制度に興味を持っている方、介護福祉に関わるお仕事や経験をされている方などが参加しており、フィンランドの高齢者福祉についての関心は高いようです。
つづいて、久美子さんによるフィンランドの高齢者施設についてのお話しです。このレポートでは特に心に残った部分をいくつかお伝えしたいと思います。
小学校から学ぶわたしの人生
フィンランドに移住してから、「わたしがわたしである」ことにじっくりと目を向けるようになったという久美子さん。
フィンランド人の何もしない時間すらも楽しむ姿は久美子さんにとって新鮮な体験だったそう。そんな同国では、人生についての学びは小学校から始まると言います。
久美子さん
「フィンランドでは小学校一年生から「宗教」の時間があります。これは日本の道徳の授業のようなものなのですが、この授業を通して子どもたちは赤ちゃんからお年寄りになるまでの人生(人生曲線)を見るんです。
わたしは日本にいた時は自分の経験した出来事をひとつひとつ切り離して考えていました。過去や前をみるということがあまりなかったんですね。
しかしフィンランドでは『あなたもわたしも、いつかは最期を迎えるときがくるんだよ』ということを自然に話しながら学びます。これはわたしにとって新鮮でした。」
自分の人生を一連のつながりとして見るという考え方を小学生の時点で学ぶというのは衝撃的でした。
改まった場面ではなく、自然な対話のなかで人生をみつめることでありのままの自分を受け入れられるような気持ちになる気がします。
介護施設でも「わたし」の暮らし
次に久美子さんが特に関わりが深いフィンランドの認知症施設、Villa Tapiolaでのお話しを取り上げてご紹介したいと思います。
久美子さん
「ここの施設にいる方は一人残らず自分のお部屋で亡くなっていくんです。病院に行くということはありません。
施設の中でもいままでと全く同じくらしができるように工夫がされています。お食事も好きなだけ食べたり、お風呂も好きな時に入れるなど、その人に合わせてフレキシブルに対応します。
また、ここでは介護士の方も一緒に食事をするんです。高齢者の方も介護士の方も一緒に時間を過ごすということが楽しいのだと思います。」
「高齢者」として見るのではなく、「○○さん」としてその人を見て接することで、施設での介護士さんとの関係も日常に近い自然なつながりになっているのだと感じました。
それが、結果としてほんとうに必要なことを手伝うための介護になっているのだと思います。
人生の扉をふりかえる
「高齢者の最期の仕事は人生の思い出の部屋を確認していくこと」
これはVilla Tapiolaの施設長トゥーラさんの言葉です。この言葉に強く励まされたという久美子さんは次のように話します。
久美子さん
「自分の人生のなかで開けたくない扉ってあったりしませんか?でも良かったこと、楽しかったこと、辛かったことなど色々あるけれど、それを全て経験したのが今のわたしであるのだと思います。
経験してきたことを一つ一つ確認していくということが、安心して自分の人生を受け入れて命を終えることなのかなと思います」
みなさんも今までの人生で「もう思い出したくない」ということはありますか?
でもその経験に対して目をつぶってしまうのではなく、頑張って乗り越えたわたしとしてその経験を見つめなおすことで、そんな弱い自分や上手くいかなかった自分も許して「わたし」として受け入れられるのかもしれません。
侑美さん
「死を考えるということは、つまりそこにどのように到達したいのかを考えることです。自分は『どうすることがベストなのか』を考える前に『自分は●●にとってどんな存在なのか』というBeingをベースにして、そこから『●●をする』というDoingを積み上げて考えていくということが大切です」
最後に、ここまでのお話を通して「自分はどんな存在なのか」というBeingを考えたうえで、グループに分かれてこの講座で感じたことを共有し合いました。
参加者からはこんな感想が寄せられました。
・日本では長生きすることが良しとされる。だから利用者さんの食事や健康管理などを第一にするあまり、家族との面会など利用者さんにとっての「楽しみ」の部分が二の次になってしまうと感じる。
・「楽しく生きる」ことを追求するとフィンランドのように形になるのかなと思った
・両親の緩和ケアの経験から、「あなたの存在がありがとう」といってもらえるような最期が良いと感じている
・「どうやって長く生きるか」よりも「どのように生きるのか」というような質を考えることが大切だと思った
・「丁寧に生きる」を目指すよりも「丁寧に暮らす」から始めるとより身近なことから始められるのだと思う
最初のグループワークでは、殆どの方が「最期」というという言葉は何歳になっても使うのに躊躇してしまうというような印象をもっていました。しかし、後半の話し合いではみなさんが今の暮らし方を前向きに見つめるキーワードとして「最期」を捉えていたように思います。
おわりに
まるで人生の楽しい部分がぎゅっとつまっているようなフィンランドの介護施設のくらし。そこでのくらしでは「できないこと」に注目するのではなく、その人のために「できること」や「必要なこと」を見つけて、それを最大限に活かしているのだと感じました。
それは、「良い時も悪い時もそのままの『わたし』としていられるようにすることがその人の幸せである」という、フィンランドの人々の考え方が表れているのだと思います。
予定時間を過ぎた後の質問の時間にも多くの方が残り、今回の講座を通して発見したことを共有していました。
エラマのこの対話の時間は、その日初めて会った人どうしでも、ぐっと心の距離が縮まります。
参加者さんの何気ない「心が豊かになった」という言葉は、そんな暖かい空間を表しているように感じます。
「最期」という言葉から始まったこの講座は、「今」の自分のどんな部分とも向き合ってみよう、という勇気を私に与えてくれました。
それが結果として、そのままの「わたし」として心地よく生きることに繋がるのだと思います。
そして、このレポートがあなたの豊かな生き方に踏み出す一歩にもなり、ありのままの自分と対話する人々の輪が広がっていくきっかけになればと思っています。
Text by 心の旅人さつき