母娘、はじめてのフィンランド旅行「人生の年輪を感じる」人たち、自然との出会いがつまっていた
こんにちは、あいすかです。
9月も終わりを迎え、まだ関東は暑さを残しつつ、秋の気配?も感じている今日この頃です。
みなさん、お変わりなくお過ごしでしょうか。
前回の記事では、夏休みの母娘、初フィンランド旅前の気持ちを書かせていただきました。
親子ともども、体調を崩すこともなく、無事に旅を終えて帰国し、日本でいつもの日常を過ごしております。
全てがネタになる、そんな旅にしたい!と書いて締めくくった前回の記事も振り返りながら、フィンランドへ行って何を感じてきたのか、わたしと娘のこと、少しずつアウトプットしていこうと思います。
旅の時系列報告というよりは、この旅の間に何を感じ取ってきたか、母からみた娘の成長だったり、小学校の子どもたちと先生方から学ばせてもらったこと、対話したこと、わたしが考え感じたことを素直に綴ってみたいと思います。
今回もしばし、かあちゃんの手紙にお付き合いくださいませ。
娘の逞しさ
娘にとっては初の海外旅行、最初の壁はロングフライトでした。現在はロシア上空を迂回して飛行するため直行便でも13時間かかります。
娘もわたしも、できる限りストレスなく目的を達成できるよう、フライトはフィンエアーの直行便に。
ヘルシンキ国際空港に到着して、ツアーメンバーが集合する待ち合わせ時間まで約1時間ありました。
娘は早速 「本場のシナモンロールを食べよう!」と、2食目の機内食を食べた直後にも関わらず、空港内のカフェを探し始めました。娘に旅のエンジンがかかってきたことを確認しつつ、わたし自身、フィンランドへ来たんだと実感したのでした。
娘はツアー中、自家発電が始まったかのように、母のわたしから離れ、自らメンバーに個々に話しかけ、母親以外の大人たちと行動を共にしたり、自分の思うように行動しはじめました(母娘が二人きりになったのは、この旅の間、本当に寝る時のみだったのです!)。
「参加者の皆さんも、それぞれ思いがあってフィンランド旅行に参加しているはず。自分のペースで街を見たり感じたりしたいだろうに、我が子がくっついていると、迷惑ではないだろうか…」と、母親のわたしは多々感じておりました。
でも、その考え方こそが、子育て中に培われてしまった「日本の母親の脳みそ」なのだなぁと気づくことになります。
もちろん、ご一緒した日本からの参加者のみなさん、出会えたフィンランド人のみなさんが「大人の包容力」で接してくださったことは言うまでもありませんが、何よりみなさん、「子どもへのまなざし」が温かかったのです。
親以外の大人たちと旅の一コマを共にし、吸収したことを自らシェアしようとしている子どもの姿は、とても逞しく、その後はわたし自身も「我が子」を意識せず、旅そのものを楽しむことができました。
同時に、いまの日本の社会、学校、地域に場所を移して考えてみた時、このように大人たちの子どもたちを見つめるまなざしに、余白はあるだろうか?
日常生活の中で、子どもと同じ目線で、じっくり対話をする心と時間の余裕を、大人たちは持てているだろうか?
この問いは、日本に帰国後、わたしの日常生活にも変化をもたらすことになりました。
(そのことは、最後のツアー番外編にまとめとして書いておきます)
ヘルシンキで思い出したドイツのこと
ここでは、フィンランドの学校システムや授業といった仕組み的なことをお伝えするのではなく、2023年8月、日本人親子が参加した小学校視察の個人的感想として受け取ってもらえたらと思います。
今回はヘルシンキ市内の2つの小学校へアポイントメントを取ってくださっていて、ツアー参加者は2グループに分かれ、1校づつ少人数で見学に行きました。
1校はヘルシンキ中心部の公立小でフィンランド人が多い学校。もう一つは地下鉄に乗って20分くらいのところにある移民の方々が多く住む地域にある小学校でした。
わたしたち親子は後者の小学校へ伺いました。エラマプロジェクトメンバーのミッラも通訳として同行してくれました。
エントランスに入ると、すぐに開放的な空間で、天井から手作りのオブジェがかかっているカフェテリアに到着(上記写真)。ここで生徒と先生たちはバイキング形式の給食をとるそうです。一瞬、学校というより、どこかのカフェにきたかのような錯覚に陥りました。
その後、校長室や職員室へ行き、荷物を置かせていただいてさっそく校内の見学へ。
まず小学校1年生のクラスへ伺いました(担任の先生2人と20人弱の生徒がいるクラス)。
私たちも、ひとり一人が日本のどこから来たのかを説明し、子どもたちからの質問にも答えました。
「日本へ行ったことがあるよ!お寿司食べたよ!」
「マリオ(スーパーマリオ)の国でしょ!」
などなど、手をあげて質問してくれる子どもたち。
使っている算数の教科書を見せてくれました。
フィンランドの小学校は8月中旬から新学年がスタートするため、入学してまだ2週間目の子どもたちだったのですが、日本から来た視察者を快く迎えてくれて、人懐っこく話しかけてくれました。
小5の我が娘を見て、
「あれ?(子どもの)お姉ちゃんがいる!学校は?」
と、こっそり聞いてくれた生徒さんもいました。
(フィンランド語だったのでおそらくそんな感じの意味かな?)
すると「私は今サマーホリデー中なのよ!」と、質問してくれた子に日本語で返す娘さん。
言葉は分からなくても、ニコニコしている小1と小5の子どもたちに癒された大人たちでした。
その後、5年生の全生徒さんがサプライズで私たちに合唱のプレゼントをしてくれました。
入口のカフェテラスの広場にならび、ざっと並んで、ラフな感じで、歌っている子もいれば歌っていないけど笑顔の子もいたり、それぞれ好きなように表現している感じ。音程的にはちょっとズレた感じの合唱だけど、それがまた心に響くんです。日本からやってきた視察団のために歌いましょう、と無理やり歌わされている感じでもなく、歌いたくなければ歌わなくてもいいよ、という空気感も漂っている。けど、イヤな感じは全くなくて、心地よくて、なんだか、その歌声と佇まいに感動してしまいました。
おそらく、一番ウキウキ楽しそうにしていたのは、ピアノ伴奏担当の担任の先生でした。(笑)
チラッと横を向いたら、娘の眼にもうっすらと涙が…。わたしは娘の顔を見ていないふりをしておきました。フィンランドの同級生の歌で何か心が動いたのかもしれないですね。
その後、さらに少人数に分かれ、6年生の英語クラス、または移民の子どもたち向けフィンランド語補習クラスのどちらか行きたい方へ行くことになりました。
(わたしは移民クラスの見学を希望し、娘は英語クラスへ行きたいということで、後はずっと別行動でした)
実は、今回の小学校視察全体の中で、わたしが一番心に残っているのは、このヘルシンキの小学校、移民クラス担任の女性の先生との出会いです。
彼女は、この8月(新年度)から移民クラスの担任になったばかりで、昨年度までは6年生の通常クラスの担任だったそうです。
国の方針なのか、移民の子どもたちがフィンランド語を覚えて、通常クラスに早くいけるようにすることが優先され、教科の遅れに繋がらないようにすることに重きを置かれているように、わたしは感じたんです。
ちょっとイヤな質問かも、と思いながら、担任の先生にこう質問してみました。
「通常クラスへ行ったとしても、移民の子どもたちが言語面、心理面で困ったときにサポートをうけられる体制が学校内にありますか?」
彼女は
「それは、このクラスです。わたしは、移民の子どもたちが早く通常クラスへいけることも希望しますが、フィンランドの生活にも慣れていない子どもたちにとっては、まず学校という場所が彼らが生きるセーフティーネットであると考えています。ここに来れば、安心して生活できる。そう思ってもらえるように、わたしはここにいます。」
そして、続けてこう話されたんです。
「わたしも、実は9年間、2人の子どもたちが小学生の時にドイツに居ました。ドイツ語は全く分からず、子どもたちも現地校の移民クラスにはいっていました。当時、学校に通うことで母子ともに救われたんです。だから、わたしはフィンランドに戻ったら、教師になって同じような子どもたちや親を救いたいと思いました」と。
それまでは表現者として芸術系のお仕事をされていたそう。しかしドイツへ行ったことで教師になられたと聞き、働き方がフレキシブルかどうかということよりも、人のために働きたい、と主体的に思う彼女の人間性に惹かれてしまったのでした。
そういえば、20年前にわたしもドイツへ留学していたことがあり、当時の学校の雰囲気と、なんとなく今のフィンランド(ヘルシンキ)は似ていると感じました。当時のドイツも移民を受け入れ始めていたころでしたし、教育は大学まで無償で、日本でいうところの高校と職業訓練校に分かれていたり、制度も似ています。そして徴兵制もある。
ヘルシンキの小学校を見学しながら、ドイツを思い出しました。そして同じ頃にドイツで子育てをしていたフィンランド人女性はそこで生き方を変えた。
そう思うと、これからのわたしはどう生きて、社会に何を還元して、逝くか。大げさに聞こえるかもしれませんが、そんなことを考えるきっかけになった出会いだったのでした。
ちなみに、英語クラスを見学していた娘はというと、
「わたしの学校(公立小)の英語クラスと似た感じだったよーー。楽しかったよ。」
とニコニコ戻ってきたのでした。
湖水地方で磨かれる感性
ツアー後半は、湖水地方へ行き、コテージに滞在しました。わたしたち親子とご一緒してくださったご家族も、お母さんと10代、20代の娘さんの3人で、数日間のコテージは5人でのんびり&ワイワイ過ごしました。
湖水地方Saimaa(サイマー)在住でsaimaaLifeの設立者、Mari Pennanen(マリ ペンナネン)さん(以下Mariさん)から森林セラピーを受けたり、自然のなかで本来の私たちの在り方をみつめるナチュラルウェルビーイングを実践しながら、のんびりと過ごすことができました。
Mariさんは、私たちの滞在中、博物館見学から現地の小学校視察までアテンドしてくださり、日中はずっとご一緒することができました。ご自宅にもご招待いただき、Mariさんの娘さんたちともお会いでき、我が娘も嬉しそうにしていました。
コテージを経営されているご家族の皆様にも、大変お世話になりました。おばあちゃまからはかぎ針あみで作るキーホルダーや木製の織機で絨毯を編む工程など、手仕事を教わる機会もいただきました。
わたしにとっては田舎でのんびり、という感覚に近い滞在生活でしたが、娘だけでなく他の参加者の子どもたちの心のなかの変化も感じました。
例えば、綺麗な夕日をみながら、「いまボートに乗りたい!この夕日が綺麗だから!」と、その風景を心に刻んでいるかのように、眼をキラキラさせて話してくれました。
フィンランドの自然と子どもたちの表情の変化から「いま、この一瞬一瞬を大切にしたい。この気持ちを、見逃してしまってたら、もう巻き戻しはできないのだ」という覚悟も学ばせてもらいました。
ツアー番外編:尊敬する女性との再会、そして帰国後
親子での初フィンランド旅はエラマプロジェクトに大変お世話になりました。
ツアー中の自由時間や隙間時間では、わたしが尊敬する日本人女性2人にお会いすることができました。
おひとりは大学の先生で、長年フィンランドの福祉を研究されている女性です。偶然にもヘルシンキに滞在中とのことで、初日の夜ご飯をご一緒することができました。
わたしが大学院で研究していた産前産後の女性の心身の健康や、フィンランドのネウボラのお話など話題は尽きず、そして現在の課題についても伺うことができました。
そして、もう1人は、フィンランド在住で教育と福祉のコーディネーターをされている方です。最終日、わたしと娘が帰国する日に、わざわざ会いに来てくださいました。
ツアーで感じたことや、フィンランド教育のこと、これからの課題、尊敬するお二人とフィンランドで対話できたことは、わたしたち親子にとって帰国後の新たな目標を考えるきっかけになりました。
娘はフィンランドから帰国後、まったくフィンランドの話をしなくなりました。
いま目の前にあること、学校生活、友達との時間、吹奏楽など、これまで以上に熱中し、いま自分がいる場所でできることを深め、可能性を広げているようにみえます。
わたしも、娘と同じように、日常生活をていねいに、「いま」をより意識するようになりました。
朝、少し早めに起きて、ヨガをして、ご飯を炊いて、味噌汁をつくって、子どもたちが起きてきたら、ゆっくり朝ごはんを食べる。
時間に余裕をもって仕事をする。
自分のスケジュールを詰め込み過ぎない。
子どもたちの行事が続いても、一日のうちで必ず自分だけの時間を確保する。
今できていることは、明日もできる。その積み重ねが未来のわたしを作る。
ちょっと大げさかもしれないけど、これが帰国後のわたしのマイプロジェクトです。
次回、フィンランドへ行く際は、またドイツにも立ち寄ってみたいな、と思います。
長くなりましたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)