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ゼロからはじめた手書く詩人 #4.5


手書く詩人

ゼロからはじめた手書く詩人です。
少し前からジョージア語バスク語での手書きの詩人をはじめています。
その詩の回想回、*.5(ポイント・ファイブ)です。
ここでは#4 悪魔の風鈴のジョージア語を回想します。

"ზ"を間違っていた

#2:間違い / #4:正解

以前に書いたとき(#2)では、縦に伸びている。いま思えば、上の丸と下の丸の間の棒が長い。
今回書いたものは、棒は短く、丸二つは隣接している。
PCフォントを見てみると、これ→”ზ”、丸同士が隣接して、棒もない。ネットで調べた感じでは、棒は短いが、なくはない。しかし長くはない。
#2のものは変。

夏のサウンドに心を乱した

朝の日課、手書きの練習。窓際の椅子に座り、カーテンを開ける。窓を開ける。十分な照明が入ってくる。ぎりぎり涼しめる風が入ってくる。夏の音が入ってくる。
夏の音は響く。特に我が田舎町では蝉が大音量。ジージージーに合わせて脳みそがチクチクします。
夏満喫。

ところが、手書く詩人としては、書いても書いても調子が出ない。元々が低いレベルだから、調子が出ないと困ってしまう。書いても書いても心の乱れが消えない。マインドフルネスがない。何かが違う。
何が違うのか。暑いからか。朝から暑すぎるからか。これも温暖化の影響か。
それでも、書いて、書いて、書いた。ひたすら書くものの、悪くはないものの、いつもより心地良くない。そして気づいた。ペンと紙の摩擦音が聞こえていなかった。
蝉の音の向こうに集中しながら、書く。すっすっす、微かに聞こえた。そして書く。一度、捕らえれば、聞こえ続ける。捕らえた音を離さず、書く。書いても書いても、もう離れない。認識とはそういうものだ。やがて無意識が発動していた。
改めて、五感で感じる手書きの楽しさ
脳の中の孫の手が脳みそを擦る。

上と下どっち?

ジョージア語の上下を判断できる日本人は何人いるだろうか。
下図、上下分かりますか?

左:正解 / 右:上下反対

まだジョージア語が記号に見えている私。上下反対には気づくが、反対でも違和感はない。書けと言われれば、反対にも書ける。

日本人にとって、ジョージア語の天地がどちらなのかは直感で区別できず、つまり曖昧である。重力が曖昧。
ジョージア語に明るくないことによって、この地球上で最も不変な存在である重力が曖昧になっている。

日本人が、未知のジョージア語に触れることで、重力から解放された。宇宙に行ったような重力のない状態ではないが、それとはまた別の重力からの解放。

重力からの解放、興奮が冷めやらない。→私の重力探求のHP
重力から解放されている空間では、時間がゆっくりと流れます。
slow down my worldです。

では、また次の詩でお会いしましょう。