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AIの未来と未来予測
───未来予知というのは主観の話も入るので、主観も軸に織り交ぜながら書いていきます。勿論ここに書いてある内容は不安を煽るような意図は入れていないので、私の未来予知のお遊びにお付き合い頂くといった軽い気持ちで読んで頂ければと思う。
前提
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AIの発展は予期しにくかったが今になってどう発展していくか皆にも明確になっていったと思う。使用すればするほどそれは理解しやすく、将来は新人のクリエイターは厳しいだろうと予測できるし、小説の価値も漫画の価値もそうだし、映画、教養、と様々なものが人だけで行うことが無に等しいものになるとわかる。じゃあこれらは「不要」かというとそんなことにはならない。
前提込みの主観
この先で無くなるという考えと今無くなっていないという事実を混同するとそうなるだけであって、例えば自身が書いている当note内ではある前提として一般的なAIに出来ないアプローチで作っている。
「創作話のバッドエンド」「ブラックジョーク」
「誹謗中傷に"等しい"こと」「肖像権を"侵害しそう"なこと」
これらはグレーゾーンであって違法ではないが、これらはオンラインならAIに規制されて書かれない。
そしてこの手前にAIでも今後つくれるであろう。
「教養」「哲学」「社会的な内容」
これらが入っているから良しと自身で判断していて、当note内でのスタイルになってる。
ただこれもオフラインAIによるものならそれらを作れるんだけども、そうなってくると以下のように書いていくことになる。
1、オンラインでDL。
2、オフラインで書く。
3、オンラインで共有。
この流れに入るから、DLした履歴があるとのちに問題になると想像がつくことからも、今後はその入手先がグレーゾーンになるという犯罪が生まれるというのが私の見解。
そうしてそれは自身のオリジナルですよと振る舞えるという行為になっていくが、結局のところその開発は大手が独占することから、大したものはつくれない。
さらに月日や年月が経つと、例えるなら大手がつくるゲームと個人がつくるインディーズゲームとしてつくられるぐらいのバランスになる。
なのだから物としてはそれなりになるのでそのグレーゾーンのものも多少有用なものになるし、かといって最高なものを提供はできない。
しかし、ここの差もどんどん埋まっていき、現状にあるゲーム業界のインディーズ界隈のように質の良いものが生まれては、最終的には差がまったく無くなってしまうだろう。
寧ろ企業側は危ういものを避けなければならず、個人でつくる内容が濃くなっていく。
どちらを良いと捉えるか、質もモラルも良い企業側から提供されるものが良いか、質は良いが少々乱暴な要素が入っている個人でつくられたものが良いか、といった要素に入る。
そのどちらが規制の対象に入りやすいかを想像すれば後者でしょうが、そこに今あるフェミニストの過激化の問題なども取り沙汰されていく。何もかもを規制するのはどうかといった問題も同時に発生するでしょう。
売りたいもの
AIのニーズはまだ出来上がってないから、その母体数の中からどの分野がみられてどの分野が数値を持ってるか、それに合わせながら、それを別ものとして売るという形になるから流動的なものに近い。
例えば当note内で例えるならクソゲーレビューが数値を持つなら、それを別のもの、動画、映画、漫画、書籍、ゲーム、文(鍵有り)といった形でニーズとして捉えて売る必要が出てくる。
ここに問題があって、例えば哲学の分野とクソゲーという分野は別の位置にみえやすく需要が違うし、当note内にはそれらが雑多のように一緒にされているから、その両方が購入されたときに問題になりやすいし、荒れやすい。
youtuberやsnsが荒れる理由がこれで、炎上商売が少々通じなくなりつつあることから、将来さらに厳しいと考えて自然で、炎上で売る手法は今後古臭いものになるでしょう。
無料なら荒れても問題ないが、有料だと返品や返金作業に追われるのでマイナスに働く、まして逃げざるを得ないのなら活動すら出来ない、戦争と違ってそれは情報として残るから。
よって売りたいものは別チャンネルに移動という形になる。
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「クソゲー」という分野を扱ったものに移動を促し「哲学」という分野を扱ったものに移動を促す、という形を取る。これはその当note内でやらないという意味になる、雑多なブログだからね私のnoteは。
比較的note内で売っても問題ないものは売ってもいい。例えば哲学とか社会的なものとか教養のあるものとか、逆にいえばクソゲーとかブラックジョークに該当するものは売ってはいけない、別の場所に誘導するしかない。
勿論これは例えとして書いたものであって、これを各々が自身に当てはめて考えるものとして捉えて頂ければと思う。
他の売りたいもの
グレーゾーンとしてAIをオフラインで使えるものは今後人気になるから、それが可能な人は売った方が良い。今後規制が強まるからそうなってくると違法になる。
現在あるのがpinokioAIなどが有名か、まだまだ他にもあるだろうが、少なくともその卑猥系の界隈で問題になってることからもすぐに規制はくるでしょう。そうなると良い文とか良い映像とか良い漫画などの分野になってくる、それがオフラインAIからなら規制されるのに相当時間がかかる。
よって売るならオフラインAIであるし、卑猥なものもそちらに入るでしょう。
1、オフラインのAIを売る。
2、オフラインAIを使ったものを売る。
おおよそがこれが売れるもの、先の未来で売れるものになる。
このどちらが売り上げがいいかというと(2)がいい。
(2)なら大量生産できる、放置するだけで勝手につくってくれるから。
開発したいのは(1)、売りたいのは(2)、そして下火になれば(1)を売るというのが流れでしょう。仮にVRで卑猥系を生成でき、そのVRも安価ならかなりの売り上げになるとわかりやすく予想できる、これは動画でもゲームでも同じだ。
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今後風俗の価値は上がると予想され、それ以外だと現在最も人気があるのが発信されたものに参加すること。ただ見るという動画はもう飽きられていて、そこに参加していきたいという欲求が生まれている。これは今起きているトー横系はその系譜のようなもので、需要は今でも上がっている。それだけ今でさえ無料のものが過多になっていて価値が下がっているということを意味する。
売るという概念の消失
あと10年もすれば今の価値観すら古くなる。今から10年前を想像したらわかりやすいし、そのもっと前を想像するとさらにわかりやすい。
PS2の初期はバイオハザードのカクカクのポリゴンをありがたがった。今見れば笑えるレベルで、3でも古い、4で追いつくけど安っぽい、PCゲームでようやくいいなと思えるクオリティ。
勿論それは今ある映像とを見比べての話で作品そのものは良いものだ。
ファミコンなんて見れたものじゃない。これは映像としてという意味で、ゲームは今みてもレトロ感があって雰囲気はいいが、リアルかというと文字の羅列のように感じるらくがきの一種だ。そのファミコンから10年してPS初期かSFC後期な訳で、そこには実写のムービーや綺麗な音楽もあった、これだけで相当な進化だ。
このことからもAIの現在のものがかなり古いものになる。
IQが120を超えたのものの一般公開をされたのが2024年の後期のAI、これが10年したら今現在の我々の感覚では理解できない範疇だから、AIが絵を一瞬で書くことが古い、動画をつくるのが古い、CMに起用される映像が古い、となれば、ゲームの観点から考察してAIの現在がPS2レベルが現在値なら10年後にはPCやPS5レベルになるだろうと想像すると以下のように考えられる。
1、現実に近いレベルの映像。
2、なめらかに動く。
3、操作性が簡単になる。
4、スムーズに展開される。(ラグやインプットラグがない)
といった要素に入る。
ここにAI特有の要素としてさらに追加される。
「勝手に量産してくれる」
という要素が入る。
AIというのは昔で言うbotにもなるから、所謂PCと同じ位置のものがつくれるのだから、自動で量産して自動で宣伝して自動で発信してくれる、というのが簡単に予想ができる。
つまりは先ほどの4つの項目に5つ目の要素が追加される。
5、全てがオート化される。
全てがとなるとわかりにくいから、さらに細分化すると以下のようになる。
5、以下の形でオート化がされる。
A、学ぶ。
B、生産。
C、宣伝。
D、発信。
これらをやってくれるとなる。
現実に近いレベルでなめらかに動き、操作も簡単でシームレスみたいに展開されて、勝手に学ぶし生産も宣伝も発信もやってくれるというのがAIの未来。
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ここまでを何故ゲームで例えるのかの理由は、ゲームそのものがプログラミングの言語だから、これはAIも同じ位置にいることを意味する。
ここから悲観的になると全てを怖がるのだけれど、一旦それは置いておいてよい。
なぜならその部分だけはストーリーのようなものだから想像の範疇で予測とは違う。AIがどうなるかは予測できても、そのストーリーは創作活動と似てるので小説とかそういう要素に入ってしまって意味なし、それが出来る人は未来予知の素質ありという話に入るだけだ。
この観点からAIを使う側になる必要がないことがわかる。
つまりはAIに使われる側になったほうが良いということになる。
今はAIを使う側になったほうが有利なんだけども、今我々がみているぐらいの価値しかないのだからたいしたものをつくれない、よって個人で行う商売に向かない。
精々バイト程度の金額が手に入って良し、程度のもの。
大手のように開発に莫大な費用を投じることが出来るのなら別だけども、そのようなことは大企業や大富豪にしか出来ないし、その企業達でさえ間に合って無い。
AIによる絵は似たり寄ったりで、動画にしろたいしたものがないし、それなりにみえるからこそそれなりの価値でしかなく、生成された音楽もたいしたものじゃない。
まだ人間が手を加えないと作品にすらならない。
例えば小説をAIに書かせてもおもしろい作品にならない、オチがつまらないし全体的にも平凡、ありきたりで誰でもかける一般的なもの以下に存在する。
風景とか情緒とかの描写はまだましレベルで、奇抜なものは作れない、アート寄りなら今のAIでもかなりレベルが高いがそもそもその世界は上下関係で成り立っている。その辺りはここでは書かないがある程度調べていくとわかる、芸術界隈は作品の良し悪し以外の要素も必要になっている。
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これが進化すると上記に書いた"現実に近いレベルになる"ということからも価値は今後かなり上がる。さらに操作も簡単で挙動も良いなら使いこなす必要が無い、簡単なゲームをやるみたいにお菓子でもつまみながら片手間でつくれることになるから。
だからこそ将来は使う側というよりもAIに任せるという放置主義の能力があれば良いことになる、つまりはAIに使われる立場を取るのが良い。
ここまでくると人がつくる小説も漫画もアニメも映画も動画も卑猥系も利益になりにくい、これが各自AIに携わっている人らが抱いている脅威の一部、もはや怖いとまで思わせている要素になっている。
この時代になればAIでものを売る時代は終わる。
こうして売りたいものはここで書いた一番初めの内容に戻る訳だが、だからこそ長期的に続けて問題ないのがそういった少々AIで再現できない乱暴なものというのが需要として出てくる。
これが当noteに書いている創作活動をするべきだとしている理由になっている。ここには売るという概念は無く、もはやこの段階になると売るという概念そのものが変な話になっている。価値はその個人や各々に存在する時代に入るから、自身が楽しいとか、それをみて他者が楽しいとか、そういった分野の話だ。
これはらくがきに似ている。
そうして売るという発想の転換から評価という価値という概念に変換される。
この人はそういう人であるという価値、その人が発信しているそれはその人であるという価値観が今でいう売るという概念に近い要素に今後なっていく。
これが人間的にならざるをえないという未来の形、それはあと10年すれば来ると私は予想している。
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クリエイター
それは人間性になる、作品はAIに負ける、量にしろ質にしろ敵わない。創作したものに価値があるのではなくて、創作活動に意味が出てくる。
例えば「HUNTER×HUNTER」で有名な富樫先生がAIで作品をつくったぞ、となれば読みたくなるし見たくなる、これは人間的価値。
よって当noteでは哲学を書き、ブラックジョークを書き、小説を書いている。この流れでぱっとしないなら敗北で、間に合えばそういった立ち位置になるのだから楽しみながらやろうという意識だ。
よって今、創作活動はするべきと当noteにずっと書いているのがその為だ。もはや急がないと間に合わないよ、というのが私の考えである。
◇
|最後に…。
その時代に入ると脳を使う売り物はAIに負けるのだから、文学も映像もゲームも数学も全て、かといって肉体労働だけが残っても人は補助のような位置にしかならないだろう。オート化が今でも進んでいるのだからさらにもっともっとチープな肉体労働になる。
"刺身にたんぽぽを乗せる"みたいな存在するのかしないのかわからない職業を、工場のあるあるのように笑い話のように例えとしてされるが、そういうものが人の働きの主流になる時代が来るかもしれない。
その時代に入れば肉体が老すればもはや価値なしとなるし、人間的な要素の評価の時代に備えるならその意思表示として今創作活動をするか、あるいは限界と感じてそれに備えて遊びに重視するかの2択になっている。
肉体は衰えるから、人間だから。
肉体的な活動なんてものは精々たかがしれていて長期間できないのだから。
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こうなるとネズミの実験のケースが至極当然の結果にみえる。であるから一番初めにこのnote内で記事として書いた。(※上記画像にリンク有り)
見た目を良くするだけになるという要素は、まさに評価に対する最もわかりやすいアピールだ。私はあのネズミの実験は人間の実社会にも入ると思っている、勿論人間だからもっと多様性のある内容にはなるだろうけども。
以上が今後のAIの未来予知として私は考えている、個人としてここに書いた内容はその未来は確定しているとも考えている。
|以上…。
◇