見知らぬヒトを味わう
信号待ちをしていると、ふと斜め下の方から視線を感じ、目を向けると、ランドセルを背負った小さな女の子の視線とぶつかった。
「押しますか?」
その女の子が指さしたのは、盲人用声のでる信号機ボタン。
「?大丈夫だけど・・・」
と答えながら、そのアイコンと自分を見比べて、<杖>が共通点であることがわかり、小さな女の子は、その標識の意味を、杖をついている人用のものと誤解していることを理解した。信号が青になると、「私もこっちなので。」と、慣れない大人との会話に気をつかっていることが伝わってくる、丁寧な言葉で、私の少し前を気遣いながら歩いてくれた。
人生初の松葉杖生活から半月、ようやく杖1本での歩行が可能となったものの、梅雨の季節の外出は、なかなか気を使うものだった。普段何気なく見聞きしているバリアフリーという言葉も、自分が二足歩行できない状態になってみると、その言葉の意味が全く変わってくる。階段しかない、エレベーターが300m先、などの公共空間におけるハードとしてのバリアフリーの不完全さに、何度立ち往生したことか。
そのたびに立ち止まり、目のまえに見える風景から考えを巡らせていると、公共空間におけるバリアフリーのためのインフラは、当たり前ながら、マジョリティを中心にしていることに思いあたる。
けれど、もしかしたらこれは、そのマジョリティのなかにいるマイノリティへのまなざしをもった見知らぬヒトによって、整備されたことなのだろうか、と思うこともあった。
そんなことを考えたのは、毎日使う山手線の優先席の車両が止まる位置から、乗り降りするホームから改札までの動線が、駅によってかなり違うことに気づいた時だった。ある駅では、降りたすぐその先に、改札へ向かうエレベータ―がありとても有難かった。反対に、ホームに降り立った後、改札へ向かうには、かなり先までホームを歩き、その先は、長い階段を使うしか改札口へ行くことができない駅もあった。
こうしたことは、駅が最初にできて、その後優先席車両ができたと考えれば致し方ないことだけれども、駅の改修工事などの際に、マイノリティの人への配慮を自分ごととして考える感性をもった見知らるヒトが提案してくれたからこそ、あの駅では、優先席車両が止まる位置から改札までの移動が、あんなにスムーズだったのではないか。と、見知らぬそのヒトを勝手に思い描き、勝手に感謝をし、あたたかな気持ちに包まれたりもした。
「私もこっちなので。」と声をかけてくれたあの女の子は、信号をゆっくりゆっくりと渡り終えた私に向かって、「こっちですか?一緒にいきましょうか。」とさらに前の道を指さしてくれた。
「ありがとう。大丈夫、ひとりでゆっくり歩いていけるから」と答えると、その女の子は、はにかんだような笑顔を見せ、目のまえの道をひとりで歩きはじめたかと思うと、なかなか歩き出さない私を、何度もふりかえりながら、次第に私の視界から見えなくなっていった。
見知らぬ女の子とのつかの間の時間を大切に反芻しながら、家までの道のりを一歩ずつ歩き始めた時、あの盲人用ボタンのサインを、女の子は勘違いして私に声をかけてきたと思っていたけれど、目は見えていても、普通に歩けないヒトやお年寄りの代わりに、誰かがそのボタンを押してあげれば、より安心して横断歩道が渡れることに気づかされた。女の子は誤解なんてしてなかったのだ。あのボタンは、目の不自由なヒトに気づいた時にだけ、押してあげればいいのだという、私の理解こそ、大きな誤解だった訳である。
歩く、という当たり前にできると思っていたことにハンディをもったとき、公共空間の見え方や、そこで日々すれ違っている見知らぬヒトとのかかわりを通じて、バリアフリー社会ということに対する認識が、こんなにも変化していくなかで、バリアフリー社会を、ハード面だけで実現しようというのは、かなり他力的な考えなのではないか、ということに思い至るのである。
まずは、他者への思いやりということが前提であるにしても、見知らぬヒトとのかかわり、見知らぬヒトとしての自分、こうした視点で見知らぬヒトとの関係性へ関心をもった時、自分が見知らぬヒトとして、見知らぬヒトにどう振舞うのか。そんなことを考えるには、莫大をな資金を必要とする公共空間のインフラ整備に比べたら、一銭のお金もかからない。常に見知らぬヒト同士が行き交う現代社会。そこでのバリアフリー社会の実現に向けては、見知らぬヒトを味わうという感性こそが、最強のソフト面での整備ではないだうか。