第18章 【青い目のサムライと再び】
2003年春 交通事故から半年まだ左手親指は力強く握れなかったです。
右肩は、大きく腕を回す事は出来ませんでした。
そんな体でも、キックボクシング仲間の紹介で私はニコラスペタス選手の道場を訪ねました。彼の教え方がとても気にいりました。
かつて憧れたアメリカでのフットボールの練習を思い出させてくれました。
とても厳しくやっているんだけど、(厳しくやっているからこそ)
ニコラスや他の選手もみんな笑顔で練習をしています。
事故前までお世話になった安部選手も、このチームに紹介して
一緒に練習するという形で私は事故後、
ニコラスの元で練習を再開させてもらいました。
ジムでの練習だけでなく走りこみやウエイトトレーニングなど、
充実したトレーニングで体がだいぶ動けるようになってきました。
交通事故で慰謝料が入ってきたので、それを使ってジムの近くに引っ越して環境を整えました。最後の選手生活をここでかけてみよう。
ニコラスのジムではプロの私たちは昼に練習を終わらせて、午後は一般の会員を指導します。
ここでインストラクターをやっている時に、「教え方がうまい」「わかりやすい」などの声をもらって、「教える事」は私に向いているのかなって薄っすら思い始めもしました。
私のクラスだけ受けにきてくれる会員さんも増えてきました。
ところで、このニコラスペタス選手。実は私の過去のプロでのKO負け2試合とも、相手選手のセコンドにいた人なんです。私を倒した選手側の人の元で練習するなんて思ってもいませんでした。
交通事故にあっていなかったら、出会っていなかった人なのかな、と思います。
人生って不思議です。
210cm 140kgの選手とスパーリングしたり、
ニコラスが私のヒザを蹴って彼自身の古傷のスネを再び折っちゃったり、色々ありました。ニコラスのかかと落としが一番痛かったです。
ゴチンってかかとが脳天に当たりタンコブがぽっこり出来ました。
海外からの選手もたくさん来て、倒したり倒されたりの練習して、
プライベートではみんな仲良くてとても良い思い出です。
ニコラスの元で一緒に練習して、事故から約1年が経つ頃、
私はまた試合に出場するチャンスをもらいました。
ダウンを奪って勝ちました!
まだ傷跡が生々しい体で闘えた事がとっても嬉しかったです。
「事故から絶対に復活する!」という1つ人生の目標を達成することが出来ました。
一方、ジムのインストラクターをしながら、プロのトレーニングを積む生活で、時間がどんどん過ぎていくのを怖く感じ始めてもいました。
28歳。
次の試合がなかなか決まりません。同じ時期に大きい試合があるから、この小さな試合は断っておこう。そうしていたら大きい試合の話が流れてしまったり。
もっと若い選手が出てきてテレビで大活躍しているのを観たり。
毎日の練習で体は酷使されていきます。
交通事故の傷だけではなく、アメフト時代の古傷だってあります。
アメフトの打撃やキックボクシングのKO負けで脳震盪をたくさん経験している頭もとても心配でした。
そんな毎日に耐えながら、2004年12月23日私はまた試合のチャンスを頂きました。
判定負けでした。
KOを狙うのが得意な相手に対して脳への衝撃を受けることを怖がり
ガードをしっかりして責めることがあまり出来ませんでした。
私のキックボクシング人生初の判定負け。
勝っても負けても豪快さが売りだった私が初めての判定負けでした
なんか俺、つまらない選手になっちゃったな。
引退を考え始めました。それから数ヶ月。
とりあえず待ってはみたけど、
面白くない試合をした私に次の試合のオファーは来ませんでした。
ここがプロとアマチュアの試合の大きな違いです。
アマチュアは自分で大会を選んで参加費を払って出場します。
プロは大会主催者がお金を選手に払って誰を使うか決めます。
プロになったら自分で出場する試合を選ぶのはとても難しいです。
プロってそういうことですね。
英会話教室もお金を払う人がどこの英会話教室にするか選びます。
面白くない英会話教室にはお金を出してくれる人はいません。
このまま同じ生活をしていてもダメだ。試合が来ないのが俺の実力だ。
練習で体を酷使して、脳へ後遺症が残ってからでは遅い。
ジムへ残ってインストラクターだけやることも可能でしたが、
選手として大した実績も無い私がジムに残る事は考えられませんでした。
英語を使った仕事をしたいとも思っていました。
ジムとニコラスに事情を話し、引退しました。
第18章 【青い目のサムライと再び】
を最後まで読んで下さりありがとうございました。
窪田豊彦 184cm 100kg 29歳冬 選手生活終了。
ついに、e-kidsjapan.com ?
では、ないんですねー。
次回は、必死の就職活動のお話です!
仕事なんてすぐに見つかると思っていました・・・
華々しいトップ選手の輝いている所なんて一握りの中の一握りで、こうして次にキャリアを考えないといけない選手は山のようにいるんです。
「アスリートとして夢を追う!」という事は、視野を狭くしないと戦えないという特性もあります。私が心配しなくてもしっかり自分の将来をみんな考えているでしょうが、
「この世界で絶対成功するんだ!」と頑張り続けて、引退となった時、困る若者がたくさんいるのも事実です。この不況の世の中でどの企業もすぐに使えない人材に構っていられません。
スポーツに夢を賭けていた人達が、行き場が無くなってしまわないように助けてあげたいとお節介ですが、思います。勝者の気持ちは良く分からないけど、敗者の気持ちはよーく分かります。
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