『砂糖の世界史』を読んで、歴史と地理の楽しみ方を再確認できた。
チョコレートなどのあらゆるお菓子、コンビニで買うパンやジュース……
今や、僕らの生活に欠かせないものとなってしまっている「砂糖」。
そんな砂糖も数百年前まではかなりの高級品で、砂糖を知らずに一生を終えた人々が数多くいたと思うと、現代に生きる僕らが物質的にいかに恵まれているかを考えさせられる。
この記事で紹介する本、『砂糖の世界史』には、
「『砂糖』を巡って世界がどのように動いてきたのか」について書いてあり、「歴史と地理の楽しみ方」を理解するのに非常に役に立つ。
「世界商品」という概念
世界を動かす大きな力の1つが「経済」だ。
歴史を動かすのはいつも「良い暮らしがしたい」「美味しいものが食べたい」といった欲望であり、それらの欲望を叶えるために、多くの人々が経済的な成功に躍起になってきた。
時は16世紀、大航海時代の真っ只中。
数々の国が大陸を越えて交易に熱を上げる時代だ。
そんな中、砂糖の甘味が人々の心を鷲掴みにしていた。
つまり、砂糖は世界中に「販路」と「需要」を持つ、「売れば確実にボロ儲けできる商品」となったのである。
(ちなみに、砂糖で大金持ちになった商人やプランターのなかには、国王をしのぐほど贅沢な生活をした者もいたそうだ。石油王ならぬ砂糖王とでもいうべきだろうか。)
このような商品を「世界商品」といい、16世紀以降の世界史は、
「その時々の『世界商品』をどの国が握るか、という競争の歴史」と言っても過言ではない。
「世界商品」について、現代における例を挙げるとするならば、やはりエネルギー源として確実な需要のある「化石燃料(石油、天然ガス、シェールオイルなど)」だろうか。
例えば、南シナ海に位置する南沙諸島は、石油や天然ガスと言った化石燃料が存在することがわかった途端、中国やベトナム、フィリピンをはじめとした数々の国が領有権を主張し始めた。
このように、現代においても「世界商品」が世界中の国の動向を左右するので、「世界商品がどこで多く獲れるのか」「新しい世界商品が登場するとどうなるのか」などを考えてみると、今後の世界の動きを予測することができるのかもしれない。
「薬」としての砂糖
現代に生きる僕らにとって、砂糖といえばお菓子、つまり甘みを楽しむために食べる嗜好品という認識である。
ところが、このような言葉があるように、数世紀前には砂糖は「薬」として用いられていたというから驚きだ。
今でこそ肥満や糖尿病、あらゆる不健康の元凶とされている砂糖だが、その高いエネルギー効率や防腐性は、現代ほど食糧が豊富でない時代には重宝したことだろう。
また、そのエネルギー効率の高さは、意外な習慣に繋がる。
それが、イギリスにおける「朝食に砂糖入り紅茶を飲む習慣」だ。
イギリスで産業革命が起こった時代、人々の仕事は農業から工業へとシフトしていき、仕事場も家の近くの農場から都市部の工場へと移っていった。
これにより、労働者たちは「時間厳守の規則正しい労働」と「遠方への通勤」という2つの枷(かせ)をかけられることとなる。
そして、これらに加えて工場の肉体労働は体力を必要とするので、朝食には「素早く用意できて、エネルギー効率の良い(=高カロリー)もの」が求められるようになった。
よって、イギリスにおいて産業革命時代には、朝食に砂糖入りの紅茶を飲む習慣、昼食後にアフタヌーンティーを嗜む習慣が根付いたとされている。
「砂糖あるところに奴隷あり」
「砂糖」「世界史」の2つの単語から、世界史を学んだことのある人は「三角貿易」を連想するかもしれない。
やはり、砂糖が歴史に及ぼした影響で最大のものといえば「三角貿易」だろう。
ヨーロッパ諸国は「白い積荷」(=砂糖)によって大儲けした一方で、アフリカ大陸からは多くの「黒い積荷」(=黒人奴隷)が劣悪な扱いで強制的に労働力として拉致されてきた。
また、砂糖の原料となるサトウキビの栽培には、
「適度な雨量と温度」「栽培の度に新しい土地」「規則正しい農作業」が必要とされ、これらの要因も、領土獲得のための争いや労働力としての奴隷獲得に拍車をかけた。
さらに、サトウキビはプランテーション作物の代表的なものであり、
カリブ海の島々の風景、住人の構成、社会構造、経済のあり方など、あらゆるものがサトウキビの導入によって一変してしまった。
この大規模な(負の)変化を、「砂糖革命」と呼ぶ。
このように、人類史には科学技術の発展などの輝かしい面だけではなく、現在にも遺恨が残る「人間の業」とも言うべき負の側面もあることは、いまを生きる我々も知っておかなくてはならない。
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