32本目 霞ヶ関出向物語④
1.活気のある職場
『やってらんねぇよ!◯◯省のやつ!掌返しやがって!ただのイヌじゃねぇか!』
受話器が宙を飛んだ。
こんな光景を見るのは人生最初で最後だと思った。
『Y市の担当者の野郎!舐めた口聞きやがってクソ!タダじゃおかねぇ!』
役人とは思えない言葉が飛ぶ。
これぞ、令和の働き方改革の一丁目一番地。
『あぁ。いくら官僚でも、同じ人間なんだな。』と思った瞬間。
国の組織でも、その原動力は、同じ人間。
2.最大のミス、その教訓
社会人生活で一番血の気の引いた瞬間。
省庁内で年度末にとるべき大臣決裁を、自信の勘違いで失念した。
参事官に一番怒られた瞬間。
ネチネチでは無く、しっかりと怒られた。
こればっかりは自分自身の見落としと勘違いから来るミス。
2月下旬〜3月の1か月は、生きた心地がしなかった。
と、同時な悔しいかな。
ヒナに助けられたのも事実。
本来私が作成する決裁文書を、ヒナが直接手入れして作成してくれた。
リカバリーもしてもらった。
決裁ライン
審議官→組織の長→官房総務→事務次官→大臣(政務へも根回し)
結果、多方面に時間と労力をかけさせてしまった。
原因は『普段のコミュニケーション不足』に尽きる。
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✅上司とまともにコミュニケーションが取れない
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✅報告、連絡、相談の頻度が少ない
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✅進捗管理ができない
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苦手な上司と、コミュニケーションを避け続けてきた。
その代償が、組織を巻き込んでのトラブルに発展した。
大人として、社会人として。
個人的な好き嫌いを起因とした業務トラブルは、あってはならないミスだと感じた。
3.登り続けた1年目
年度末。我々出向者にも異動がある。
出向者には、さまざまな経験をさせる、という粋な計らいで、1年ごとに異動するケースが多かった。
参事官の行動は、去る9月に審議官注意を受けてからも、まったく変わることなかった。
ただ、その下で働いた教訓は、たしかにあった。
4.激ヤバ上司の元で得たモノ
(1)人間関係に強くなった
→最高学府卒のヤバイ上司。もうこれ以上のことは無いだろう。と、思えるようになった。
人生において『メシを食べれなくなる』くらい胃をやられたのは初めてだった。
味方をつくる重要性。
ヒナが帰った後、みんなでグチを言い合った。
相当助けられたと思う。
(2)根回しの威力
ヒナの仕事の仕方で学んだこと。
ヒナは『打合せのための事前打合せのための下準備』をすることが多かった。
あらかじめ『この方向にいきますよ』と方向指示器をチラ見せさせる。
打合せはスムーズに終わる。
一方、ムダな作業が多かったのは事実。
良いか悪いか別として
『会議の方向性は準備段階からあらかじめ決めておく』ことの重要さを知った瞬間だった。
(3)丁寧すぎる口調は、逆に『冷徹なイメージ』を与える
ヒナのコミュニケーションは、大半が敬語。
部下からすると、変な、冷たい圧が感じられた。
何となく、冷たい感触、愛がない。冷徹。
コミュニケーションなるものは、互いのリスペクトがあることで成り立つもの。
心が通っていない、血が通っていない、何となくそんな印象。
自分が上の立場になったら。多少のフランクさはおり混ぜた方が良いかな、と感じた。
5.ようやく1年
私はめでたく
異動が叶い
ヒナのもとを離れた。
2年目のはじまりはじまり。