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不確実な未来で生きて働く力とは?:「コロナ後の教育へ」(苅谷剛彦著)を読んで

私は、カリキュラムオーバーロード問題に課題意識があります。
例えば、現在の学習指導要領において、小学校にはプログラミング教育と英語科が導入されました。
理念は分かりますが、これによって小学校教員に求められることが増えたことは間違いありません。この問題をどう解決していくかが問われることになります。ただ、そもそも論について考えていく必要もあると思います。

■ポジティブリストとネガティブリスト

苅谷(2020)は、学習指導要領に関して次のように述べています。

P.199
20年度から本格実施される新指導要領では、小5から英語が教科となる。算数などではプログラミングを教える。18年度から道徳も教科となった。英語教育の教員免許も持たず、プログラミング経験もない小学校教員に、これだけのことがこなせるのか。子どもが英語を話せるようになったほうがよい。AI(人工知能)が高度に発達する時代を考えれば、子どものときからブログラミングを教えることも重要だ。
しかし、である。かつて、同じような現象が生じた頃、このような教育改革の進め方をポジティブリストと評して誓告を鳴らした(谷・増田2006)。教えるべき最低基準だけを示すネガティブリストの考え方ではなく、よいと思われることを、教える側のキャパシティー(力量)を考慮することなく付け加えていく思考様式である。

「コロナ後の教育へ」苅谷剛彦、中公新書ラクレ、2020年

学習指導要領の内容が膨らむことを「ポジティブリスト」と評しています。「重要」だけれども、「教える側のキャパシティー」を考慮する必要があるということです。なぜ重要かと言えば、不確実な未来を生きるために必要だからとされています。
しかし、それは本当なのか。苅谷はこの点について指摘しています。
この指摘は、「働き方改革」が重視される今、当時以上に重要な指摘だと考えます。だからこそ、私の立場で言えば、教員研修と並行して、働き方改革を進めていく必要性があることになります。

■批判的リフレクション

別の視点になりますが、千々布(2021)は、リフレクションについて、「技術的リフレクション」「実践的リフレクション」「批判的リフレクション」の3つに分けて説明しています。そのうち、「批判的リフレクション」においては、「法律などが定める教育目標自体もリフレクションの対象とする」と述べています。
私自身、中教審の議論をオンラインで視聴しながら、自分だったらどうかと考えることは継続していますが、批判的に見ることができるまでには至っていませんでした。その見方・考え方が身についていないからだったと思います。
ですが、苅谷の記述の中で、次の部分を読み、少し視野が広がったところがあります。

P.49
それでは不確実性の罠から逃れるために、私たちは何をすればよいのか。
必要なのは過去の経験の徹底した帰納的検証である。予想できない変化に対応できたと見なすことのできる「成功事例」やできなかった「失敗事例」をもとに、それぞれの局面で、担当した人々や組織が何を行ったのか、どのような判断を下したのか、それらを可能にした条件は何かを帰納的に検証することである。

「コロナ後の教育へ」苅谷剛彦、中公新書ラクレ、2020年

つまり、学習指導要領に書かれたことを「理解」することではなく、目の前にある事例をもとに「考える」ことを大切にし、それを積み上げていくことを重視したいということです。
これまで、私たちが実践してきたことで何ができるようになったか。
成功事例も失敗事例も、双方を含めて積み上げていく。その力が、例えばGIGAスクール構想やコロナ禍において、どのように発揮されたのか。発揮された部分は、これまでの教育の成果であるため、その力は不確実な未来でも生きて働くのだろうと考えます。

■まとめ

不確実な未来だからこそ、生きて働く力が必要という論は分かる部分が多くあります。しかし、形のないものを想像するよりも、実感があるところから考えることは、より大切だと思います。
例えば、GIGAスクール構想やコロナによる一斉休校などは、教員にとっては、何年か前から見れば不確実な未来であったはずです。
その時に、生きて働いた力はどのようなものだったのでしょうか。また、自分ではなくても、そのような不確実な未来の中で力を発揮していた人は、それまでどのように学んでいたのでしょうか。逆に力を発揮できなかった人はなぜなのでしょうか。
現実を目の前に考えることが非常に重要だと感じることができました。改めて、自分がこの数年で力を発揮できたこと/できなかったことを考えていきたいと思います。

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