■ 其の304 ■ いまの中高生が知らない話。
🔣中学三年生に、
「スポーツの日は、以前は10月10日と決まっていた。 60年前の東京オリンピックの開会日を記念したものだった。 それを月曜に変えれば土日月で三連休ができるじゃないかということで、10月の第二月曜を体育の日とした。 それが数年前からはスポーツの日と呼ばれるようになった」と話したら、ヘーという顔をされました。
わたしが、少し前のことを回顧して話せば、それは何でも「へー」になってしまいます。 なんだか自分が祖母から戦後の話を聞かされた時と逆の立場になった感じです。
そんな「へー」と言われるような、少し前の物事を思いつくまま挙げていきます。
📙最近の高校生は男女の差なく4年制大学へ進むが、かつては多くの女子が二年制の短大に行っていた。今は短大の割合は5.5%だが、30年前は短大30%、大学70%の割合だった。
📘「行列の出来る相談所」「M-1グランプリ」「何でも鑑定団」は、島田紳助という吉本の大物芸人が仕切っている番組だった。 突然の引退で番組が継承されて今に至っている。
📙元々、チロルチョコは三連でゴールドの包み紙、ベビースターはオレンジの袋だった。
📘大きな金融機関が破綻するなど暗く不安定な時代があった。
銀行が合併を繰り返して、「太陽神戸三井銀行」とか「三菱東京UFJ銀行」なんていう長~い名前の銀行があった。
📙ヨーグルトは500gが普通だったのに、450g→400gと徐々に量が減らされた。 明治ブルガリアヨーグルトには、専用シュガーが付いていた。
📘特別支援学級、特別支援学校は、かつて障害児学級、盲学校、聾学校、養護学校などの名称だった。
📙「日本の映画はつまらない、映画といえばハリウッド!」という感じだったが、そんなイメージもいつの間にか払拭された。
📘かつてパソコンはデスクトップ型が多かった。アップルがカラフルなiMacを出した時、コンピュータに関心が薄い人でも、「キレイ!、欲しい~」と思った。
ノートパソコンが出始めたころ、
デスクトップは【本体+モニター+キーボード 】の三点セットなのに、
ノートパソコンだとそれが一つに収まっているのが不思議だった。
📙大学入試の共通1次は、五教科七科目で1000点満点とスッキリしていた。
しかしセンター試験では900点満点に変わり分かりにくくなった。
さらに配点割合が大学や学部ごとにどんどん分化し、共通テストでは新たに情報や公共など(ピンとこない)科目まで追加され、益々カオスになった。
📘夏休みは8月31日までが当たり前だった。 なので、9月1日が日曜だとスゴく得した気分になった。 正直、今の夏休み期間の設定はしっくりこない。
📙中学生にとって、
2011年の3.11は知識としては知っている。
2001年の9.11はもはや歴史。
📘かつて家に男性のお客があればふつうに灰皿を用意していた。いまは訪問先でタバコを吸う人はほとんどいない。
📙大型スーパーといえばイオンだが、かつて西日本はダイエー、東日本はイトーヨーカ堂が多かった。
📘ガソリンスタンドに女性スタッフはいなかった。セルフ式のガソリンスタンドもなかった。
📙今はタレントが指先でSNSに書き込むことが公式な発表になっているが、
かつては記者会見、事務所からの文書、直筆のFAXなどだった。
📘1999年から2000年に変わる時、ミレニアムという言葉をよく使っていた。 世紀末で地球が滅亡するとか、コンピュータ2000年問題などと騒いでいたが、結果たいした事はなかった。
📙ドコモのロゴが変わった時、スッキリしたけどインパクトに欠ける気がした。
📘いま北朝鮮といえば、金 正恩の姿を思い浮かべるが、その前は眼鏡をかけた父親の金 正日だった。
小泉総理のとき、拉致被害者5人を日本に帰国させるという歴史的な出来事があった。
📙「学園天国」といえば小泉今日子をイメージするだろうが、元々はフィンガーファイブが歌っていた。(と、吹奏楽の演奏会で年配の指揮者が言っていた)
📘お酒を飲んだ際、万が一酒気帯びで捕まってもそこまで罰金が高くないからと、そのまま車に乗って帰る人もいた。 大工さんなど建築系の仕事で、昼飯時に缶ビールを飲み、夕方普通に運転して帰る人もいた。
確認する時は、警察官が「ハぁーとしてください」と言って、運転手の息を直接嗅いでいた。