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■ 其の226 ■ 教育の話

以前、埼玉県の土屋知事が、二重の学籍を認めた方が良いのではないかと主張されていました。障害があり特別支援学校に通っている児童や生徒が、地元の学校にも籍を持ち、時間を共有する機会を持てる方が良いというものです。

わたしは、それと似ていますが、さらに抜本的に変えてみてはどうかと思っています。
原則すべての子どもが地元の学校に籍を置き、事情により別の場所で学ぶ人がいる‥‥という考えです。
具体的にイメージできるよう説明してみます。

A校区に住民票のある子どもが100人いるとします。
選択して隣のB校区の学校に行く子どもが5人、私学などに行く子どもが5人います。この10人は自分が選んだ学校の籍になります。まあそうですよね。

あと90人の子どもがいますが、30人ずつ3クラス(1組、2組、3組)に分かれます。

1組の状況は、
27人が毎日クラスに登校しています。
1人は教室に入ることに抵抗があり、別室で勉強しています。
1人は不登校でここ数年学校に来ていません。
1人は目が不自由で、主に学校内にある特別支援学級で学んでいます。
ですが、30人全員がクラスメートとして、学籍番号(出席番号)1番から30番に登録されています。

2組の状況は、
27人が毎日クラスに登校しています。
1人は入院していて院内学級で学んでいます。
1人は学校には行かず、近くのフリースクールに通っています。
1人は行事の時は学校に来ますが、ほぼ不登校の状態です。
ですが、30人全員がクラスメートとして、学籍番号(出席番号)1番から30番に登録されています。

3組の状況は、
27人が毎日クラスに登校しています。
1人は聴覚障害の特別支援学校、つまり別の場所の学校に通っています。
1人は理由は不明ですが、ここ一か月学校を休んでいます。
1人は親の意向で、正式には学校認可されていないインターナショナルスクールに通っています。 
ですが、30人全員がクラスメートとして、学籍番号(出席番号)1番から30番に登録されています。

この学年の90人のうち9人は、様々な理由でクラスに来ていませんが、学籍番号を持ち、クラスメートです。
ですから、学校外にいるクラスメートに、学校活動や個人として会って交流することもあります。たとえ顔を合わすことが無かったとしも、存在自体を知らない人は一人もいないということです。同級生として卒業アルバムにものります。
どのような状況や関係性であっても、一緒に過ごせる可能性をゼロにはしません。それは少数派の立場にある人への配慮や権利というより、どちらかといえば、多数の人たちの為になると思います。
自分たちが住む世界にを引かずに全体を知って生きる方が、真っ当で、豊かで、窮屈さや辛さの少ない社会をつくれるからです。
行政や経済の面では、線を引いたほうが効率がいいように思えるでしょう。しかし目に見えない精神面での損失は、個々の人間力や社会の活力を失わせています。
それを考慮する時期に来ていると思います。 と言うか、考慮しないまま来てしまったんですよね。





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