2024初夏大阪・奈良旅行の記録
札幌から大阪と奈良へ旅行をした記録をまとめておきます。余計な情報を省いて圧縮してまとめたいが、なにが余計でなにが必要かは判然としません。
日程:六日間
旅行の目的
友人とのオフ会
宗教上の理由(御朱印集め)
宗教上の理由(上宮聖徳王聖徳太子様の聖地への巡礼)
絶版のレアゲームの捜索
旅の訪問スポット
摂津国一宮『住吉大社』
和泉国一宮『大鳥大社』
大和国一宮『大神神社』
摂津国一之宮『坐摩神社』
四天王寺
法隆寺
そのほかの寺社
日本橋オタロード
通天閣
あいりん地区
飛田新地
大阪城
一日目
道民の旅のスタート地点たる新千歳空港ではソフトクリームのフェスティバルをやっていた。こんなものに付き合っていたら大阪までいく体力も路銀もなくなる。これだから新千歳は。
搭乗手続きにおおきなトラブルはなかった。PEACHならば、新千歳-関西国際空港間で往復22,090円でいけるのがありがたい。
ホテルに荷物を預けて、すぐに四天王寺にむかった。本日は太子講があるので拝観料が無料なのだ。
四天王寺
なんばから地下鉄に乗って「四天王寺前夕陽ヶ丘」で降りた。すこし歩けば、排仏派の物部氏への戦勝を祈願した誓約に基づいて聖徳太子が建立した、日本最古の仏寺たる『四天王寺』がある。日本仏法の最初期の様式を今に伝える無二の寺院を拝観できる日が、まさかこんなに早く来るとはという気持ちだった。
境内には露店が軒を連ねていた。骨とう品を多数商っている。古刹に人の賑わいと営みがあるのをみるほど嬉しいことはない。
聖徳太子様の父である用明帝を祀った祠がもっとも旧懐を誘われた。太子様と帝の父子の情をおもうと、故人の幻影がこの旧跡に残る心地がする。
中は位牌でいっぱいだった。こんなところで供養されるのは果報な人である。最上階には仏舎利があった。
ご朱印は達筆すぎて四天王寺のものだとわからない……
四天王寺のそばの四天王茶屋ですだちうどんをいただいた。この日に家を出てからまともな食事をしたのはこれが初めてである。澄んだつゆと柑橘の香りのおかげで、うどんが甘露になる。これが大阪で一番うまかった。
日本橋オタロード
「絶版のレアゲームの捜索」というミッションを果たすために、日本橋のオタロードにやってきた。ソフマップと駿河屋を中心にして店を巡回したが、ブツはみつからなかった……そんな馬鹿なと、なんど棚を見返しても無駄だった。
ネットではもとよりみつからない。大阪になければ秋葉原に行くしかないのだが。無念である。
夜はなんば駅近くの商店街でお好み焼きを食べた。ネギもかつお節もたっぷりでうまい!
二日目
摂津国一宮『住吉大社』
朝八時半から南海鉄道に乗って、一宮の『住吉大社』に行った。
伊弉諾尊が黄泉から帰ってきて祓いのために水浴びをしたときに生まれた海神である住吉三神にくわえて神功皇后を祀っている。全国の住吉神社の総本社である。
この反橋(そりばし)の反り具合の
不必要感がいい。
住吉三神と神功皇后の四柱に一社ずつ本殿が用意されている。本殿だけでも四社にお参りしなければならないので、お賽銭の確保が大変である。この旅では、いくつも寺社をめぐっているとすぐに小銭が尽きて困った。
和泉国一宮『大鳥大社』
JR阪和線の鳳(おおとり)駅から大鳥大社にむかった。大鳥大社にちなんで地名が付いたのは明らかである。
日本武尊が没後に変じた白鳥が最後に降り立ったのがこの地だという。神話が生きるすばらしいスポットである。白木の鳥居も古社の風格をまざまざとあらわしている。
祭神たる日本武尊さまの偶像がいらっしゃった。拝まざるべからず。
名前に"日本"と付いている時点で神英雄(文字通り)になるのが確定だったお方である。
手水場にはひかえめに花が生けられていた。これこそ、たまさかの旅行者にたいする、心憎い歓待である。
地味な古社かとおもいきや、授与品はとても華やかだった。
ここのご朱印がコンプできる人はしあわせだ。
「先が見通せる御守り」を一枚もらった! アクリル製のお守りなら、丈夫で頼りになるにちがいない。
高津宮
大阪市内にもどって、仁徳天皇を祀る高津宮を参拝した。仁徳帝こそは浪速の地に都をおいて、民のかまどの賑わいをとりもどすために無税政策を敷いた仁君である。表敬訪問をせざるべからず。
柄杓はこんなに必要なのか。みんなが奉納するから増えたのだろう。
仁徳帝の遺徳をおもえば当然である。
ここでも「仁風宇宙に敷き あまねく乾坤を徳化する」という賛が。聖帝の仁徳が後世の亀鑑となって計り知れない恩沢を民に施した。古代の日の本には古儒教の精神がうかがえる。
ご朱印帳を買った。間伐材から作られた和紙を糸状にした「木糸」というもので表紙を編んでいるらしい。お値段は3500円。
現金が財布になくて「ここはクレジットカードが使えませんよね…?」と巫女さんに聞いてしまったのはこの旅でも印象的なエピソードの一つである。もちろん、使えるわけがない。コンビニで現金を下ろしてからまた買いにきた。
高津宮に参るまえに、近隣の生國玉神社と藤次寺に参拝したのだが、完全に予定外だったので写真を撮っていない。藤次寺で宝生如来様に礼拝できたのはやや稀有なことなのでありがたかった。
新世界/通天閣
JR新今宮駅で降りて、新世界と通天閣を観光しに行った。大阪らしいところといえば、道頓堀とならんでここだ。正直それほど興味があるわけではなかったが、大阪に行ったとあとで胸を張るために訪れてみた。
どこもかしこもとんかつソースのように濃い。独特の脂ぎったキャラクターでいっぱいだ。日本仏教の発祥の地みたいなものだから、長崎と同じように異国情緒が染みついているのかも。大阪=長崎 理論を今後密かに唱えていく。
弓が打てる店がたくさんあった。試してみればよかったといまさら悔やむが、その時はここで立ちどまってる余裕がなかった。スケジュールが詰まっているし、めんどくささが先に立った。
通天閣にのぼってみる。馬鹿と煙は高いところに登りたがるともいわれるが、利口ぶってもなにをすればいいのかがわからないので、登る。
通天閣の地下からエレベーターで展望台に上る。
「わくわくランド」というベタな名前にセンスを感じる。
黄金の展望フロア。とりあえず金ピカにしてみましたという感じ。
最上階の野外展望台に行ってみたが、高所恐怖症を発症してちっとも楽しめなかった。景色よりも、転落する白昼夢ばかりみてしまう。やはり、高いところに登りたがる男はバカだったらしい。
七色のLEDがきらめく階段をとおって、光の展望フロアに降りた。
LED照明のおかげで夜はディスコのようになるらしいが、まだ明るかったせいか、LEDよりもうまい棒のポスターのほうが気になった。
通天閣のそばのうまい棒ショップに行ってみると、このヒロインは妹キャラだったらしくて、Vtuberもやっている。知らなかった。まさに新世界を知ることができてよかった。
通天閣を降りてから、串カツ屋に入ってみた。一度体験してみたかったが、やはり自分には似合わない店である。食事をするには割高だし。
この店にリュックサックを置き忘れて、このあと新今宮のほうに行ってから一度戻ってきた。
あいりん地区
日本有数のスラム街としてネットで名高い、あいりん地区に足を運んだ。もっとも、今は噂ほどひどい場所ではなかったようだ。
カラオケ付きの呑み屋がたくさんあった。訪れたのは午後の六時台だが、座って呑みながら会話をしている人たちがどの店にもいた。
自動販売機もたくさんあった。コンビニはないが、呑み屋と自動販売機はインフラであるかのように飽和していた。
値付けにおどろかされる自販機もあった。自衛隊の自販機よりも安いのではなかろうか。
50円から100円。いまどき百円出しても、自販機で缶コーヒー一本を買うのすら難しいのに。
あいりんの人々のための値段設定なのだろうが、中身が不安になる。安すぎて逆に怖い。
30円の缶コーヒーを買って飲む勇気はなかった。賞味期限切れでも平気で売るとは、さすがはあいりん。
とにかく年寄りがおおい町だった。歩いていても危険は感じない。人に危害を加えることができるほど体力がある人間がのこっていないのだから。
憩いの緑地(?)である三角公園には、木陰で寝転がるお年寄りがいた。こうやって、世間体など(おそらく)気にせずに外でゴロゴロできるのは、あいりんのいいところかもしれない。
公園内にはしっかりとゴミが落ちている。こういうところはさすがスラムだけど、たいしたことはない。
キリスト教が入り込んでいた。左翼が混じっているのも如何にもキリスト教である。信徒が増えすぎると不穏な場所になる恐れもあるので、ほどほどにしていただいたほうがいいのではないだろうか。
もう一つの憩いの緑地である四角公園にやってきた(公園の名前の味気なさに哀愁がある)。三角公園にはなかったバラックがある。住民(?)も多い。
四角公園のなかでお地蔵さんが祀られていた。時代の流れに取り残されたような住民たちの厄を除けつづける大仕事に敬意を表して合掌した。
夜のとばりが降りる刻限が迫ってきたので、あいりんから徒歩で移動した。今回の旅でもっとも闇が深いスポットを歩いてみる…
飛田新地
日本でおそらくここだけだろう、遊郭の名残を色濃くとどめる歓楽街『(通称)飛田新地』。たんなる物見遊山のために散歩をしてきた。あいりん地区からすこし歩いたところにある。
最初の店の手前でようやく、ここでは撮影が禁止されていることを思いだした。あわてて携帯をカバンにしまう。物々しい…
おなじフォーマットの料亭(?)が通りにならんでいる。店の前をとおると、店先の仲居のおばちゃんから
「お兄さん、どうぞ! どうぞ!」
「こっち向いて! 可愛い子がいるよ!」
と声を掛けられた。小心者のわたしはまともに店内がみられなかったが、ちらりと伺ったところでは、二十代後半から三十代の嬢がキャバクラみたいな恰好をして坐っていた。あとで調べたところでは、わたしが歩いたのは若くない嬢がいるエリアばかりだったようだ。
一軒だけ、巫女服を着ている嬢がいた。若い子がいるエリアならば、そういうコスプレをした子も多かったのかもしれない。
御堂筋線の『動物園前』にようやくたどりついて、地下鉄でホテルに帰った。一日中歩いていた……
三日目
電車に乗って、奈良県の天理市に行った。宗教都市とよばれる天理市で天理教の本部を拝観するつもりである。
天理駅でまずストリートピアノに迎えられた。弾く者はいなかったが。
駅を出ると、この街に高層ビルはうちしかありませんといいたげな東横INNがみえた。あなたには緩やかな山並みがみえる。この低層ぶりがのどかな田舎町をおもわせて、親しみがわいた。
ただいま、天理(初めて来ました)。
天理市の商店街
朝が早いので歩く人は少なかった。営業前のシャッターを眺めながらすすんだ。
いい感じの喫茶店が営業していたので、モーニングをいただくことにした。天理で食事をしたかったので大阪で食べていなかった。
温かいホットサンドと淹れたての珈琲で体が温まった。素焼きのアーモンドの風味と歯ごたえが憎い。
天理教の宿舎だろうか。近代建築と江戸時代の建築の折衷のようで、現代ファンタジー感がある。
わたしも同種の施設に通所している身なのでポップコーンを買わせてもらった。「ストロベリー&チョコ味」。本部を拝観したあとで食べたが、おかげでこの日は昼飯を食べることがなかった。
商店街にあるのはごくふつうの店ばかりだが、神具店が三軒もあった。こういうところが天理市ならではなのか。
ぢば
商店街がおわると、天理教の教会本部の看板があらわれた。とうとうだ。神道でも仏教でもほかの何物でもない宗教の聖地に立てる。ここには人類発祥の地である「ぢば」があるのだ。
飾り気のない白木と青瓦だけで建てられていて、お寺に似ているがすこしちがう。お寺は唐のものなのでもっと脂が載っている。古都がある奈良県で興った宗教らしい独特の趣がある。
手水場がある。日本人は宗教施設に手水場がないとしっくりこないのだろう。キリスト教が日本に広まらない理由は、教会の外に手水場がないからであろう。
中は撮影が禁じられている。靴を脱いで上がって、見よう見まねでしっかりと礼拝をさせてもらった。なんだか、坐禅がしたくなる場所だった。
抜けるように日が眩しい。天理王命様が参拝日和にしてくれた。
石上神宮
天理王命様へのおつとめを終えてから、近隣の石上神宮を参拝した。剣の神を祀る古社である。
境内でチャボが飼われていた。小柄だが凛々しい雄姿に敬服せずんばおかず。
君が代は千代に八千代に石灯籠に草が生すまで。
きりりと引き締まった霊威にハッとさせられるお社であった。剣の鋭さを感じる。
商店街ふたたび
帰りしなに商店街の土産物屋で天理市らしい品をもとめた。
天理限定金平糖缶を買うことにした。白と緑の缶を一缶ずつ、土産物としてリュックサックにしまった。
行きに入った喫茶『フルサト』で、今度はケーキをいただいた。温かいスポンジに冷たいアイスと酸っぱいラズベリーソースがかかっていて、ナイフとフォークで食べた。温冷甘味と酸味のコラボレーション。こればかりは初日の大阪一うまい「すだちうどん」よりも美味かった。そもそもここは大阪でないのだから差し支えないが。
橿原神宮
天理市をあとにして、神武帝がはじめて都をおいた地である橿原神宮を参拝した。ここで神国が建国されたのだ。
石灯籠がでかい。さすが神武帝の軍隊が屯した地である。白木の鳥居に神さびた風格がある。
参道が長い。行軍用だろうか。さすが神武帝。
拝殿前の広場がかなり広い。なにもかも、建国帝のスケールに合せてか雄大な神宮である。
大和国一宮『大神神社』
天理市に予定よりも時間を割きすぎて聖徳太子の菩提寺である叡福寺に行けなくなったので、明日行くつもりだった近場の大神神社(おおみわじんじゃ)を参拝することにした。
なんだ、この昭和感があふれるイラストとフォントは。ぴかぴかなので最近建てられたものだろうが、このイラストの少女のファッションといい、いまどきの絵師にはなかなか描けるものじゃないのでは。古社だからこういうところで格式をアピールしているのか。
三輪山をご神体として最古の信仰の形をつたえるお社だが、拝殿はそこまで古くない。この旅でみた奈良の寺社で金を使っているのはめずらしい。
たぶん関係ないが、この社名を読むたびに『サクラ大戦』を思い出してしまう。
夜はなんば駅近くの地下街でたこ焼きを食べた。焼きたてで美味かったが、ただのたこ焼きだな。大阪グルメは日本のどこにいても食べられるものが多いようだ。
四日目
聖徳宗総本山 法隆寺
JR法隆寺駅に降り立った。南海線に乗れば、大阪から一時間もかからない。
東京からの鎌倉、札幌からの小樽のポジションが大阪にとっての奈良なのだろう。
駅から数分歩くと、法隆寺の参道がみえた。「聖徳宗 総本山」という山号が魔術的な光輝を放っている。
法隆寺がみえた。日本随一の名刹でありながら、こう目の前にしてみるとなんだかあっけないものである。観光客がおおい場所だからか、自分としてはかえって霊威を感じない。
法隆寺の境内はほとんどの場所で撮影が禁止されているので、写真があまりないが、隈なく拝観させてもらった。薬師如来様を拝み、百済観音様にお目通りし、中宮寺の有名な菩薩半跏像様の微笑みで歓待してもらった。これは千載一遇の僥倖であり、生涯の信仰の糧とするべき思い出である。日本仏教の草創期の息吹が大和の蒼天の下にあった。上宮聖徳王様がかつて神国に化身していた証をこの地で感受することができた。
この夢殿だけは撮影が許されていた。親鸞聖人がこういうところに籠って聖徳太子様にまみえたことを思うと戦慄する。親鸞聖人が籠ったのは京都の頂法寺の六角堂であり、夢殿は八角堂だが。
三つもあるご朱印をきっちりといただいた。
『冷し山菜柿の葉寿司セット』
法隆寺の門前にある食事処で『冷し山菜柿の葉寿司セット』をいただいた。奈良名物の柿の葉寿司はサバと鮭が一貫ずつあったが、醤油をつけずともそのままで熟成されていて旨い。できうればもっと量が欲しかったが。
山菜うどんも旨かった。俺は山菜そばと山菜うどんだけで生きていける人間だから。
茶がゆ
うどんと柿の葉寿司だけで腹は膨れたが、隣店の『松鼓堂 堀本』の看板に書かれている"茶がゆ"なるものが気になったのでそっちもいただくことにした。
"茶がゆ(粥)"とは、読んでそのまま「お茶で炊いたおかゆ」らしい。いかにも俺好みである。
これが"茶がゆ"である。ほうじ茶で粥を炊いて、おそらくは麩が枯れ木に華の賑わいを添えようとあがいた跡のように浮いている。みたところ、米がみえない。溶けているのか。
木製の匙で茶碗の底をすくって食べたが、ほんとに米が少ない感じだった。お粥というよりも、炊飯器の底に残っていた白飯をほうじ茶に投入してみたかのようだ。自分はさっき山菜うどんと寿司を食べたからいいが、これだけではぜんぜん食べ足りない。餅を入れるオプションもあったのはそのためか。せめて餅でも入れてもらえばよかった。まあ、ほうじ茶はそのまま飲んでも十分うまいので餅などいらないのだが。
量が足りないし味も記憶に残らない。インスタ映えもしないし、なんだか貧相な飯だった。千円という値段は最近の物価高の基準だとめちゃくちゃ高いわけでないかもしれないが、中身と引き換えるとやはり割高である。
案の定、レビューでも叩かれているのを確認した。料理は雑で貧相なのに観光地価格で高い、接客は無愛想、立地と雰囲気だけがいい店だと指摘されているが、同意する。茶がゆがテレビで紹介されたらしいのでテレビ受けも追加したい。
法隆寺を訪れる人はこの店に入らないほうがいい。
摂津国一宮『坐摩神社』
昨日行き損ねた叡福寺に行くつもりだったが、法隆寺から一時間以上かかるし、寺社詣でに疲れてきたので見送ることにした。またのご縁を待とう。
というわけで、大阪にもどって摂津国一宮『坐摩(いかすり)神社』を参拝した。市内の中心部にあって、すこぶるアクセスがいい。
ご祭神の坐摩大神は神武天皇が宮中で祀ったのが起源とされており、住居守護と旅行安全の神様だそうだ。今回の旅の安全を祈らざるべからず(もう旅程半ばだが)。
碑文によると、1789年~1800年にかけてこの境内で、落語の興業場である寄席が初めて建設されたらしい。落語が大道芸から現代のように室内で演じられる芸にかわった契機である。
末社の陶器神社に青白の灯篭があった。他ではみない見事なものである。崇敬する業者が奉納したようだ。
道頓堀~法善寺
なんばに戻って、近場の法善寺の水掛不動尊に挨拶をしてくることにした。
法善寺を探しがてらに道頓堀周辺の街を散策することになったが、いろんなオブジェクトがビルディングに掲げられている。さすが四天王寺があるだけあって、仏像文化の派生物なのか。大阪らしい賑わいを楽しんだ。
細道の先のこじんまりしたスペースにあった。
境内でソフトクリームを販売していて、海外からの観光客がたくさんいた。
噂の水掛不動尊はインスタのアイドルである。みんな写真を撮って、水をかける列にならんでいた。日本人のみならず海外の人もちゃんと行列に並んでいるのは、なんだか微笑ましかった。
みんなが柄杓で水をかけてお願いごとをするので、すっかり苔むしていてお顔が拝めない。自分は神仏に手を合わせるときはいつも無心なので、いかなるお願い事も不動明王様に押付けていない。苔が健やかに生えますようにと考えたかもしれないが。
毘沙門天大乗坊&駿河屋日本橋アウトレット別館
きままに散策していたら、またオタロードに迷い込んでしまった。もうあきらめているので用はないはずなのだが、オタクの端くれなので再び隅々まで探索してみた。
なんだ、これは。オタクの街に毘沙門天様がおわすだと?
真言宗の寺院である。こんなミーハーな若人がつどう町の片隅で毘沙門天様に拝観できるなら、いくしかあるまい。
御朱印をもらうときに小銭がなかったので、五千円札を出さざるを得なかったが、「うわぁ…」といわれてしまった。申し訳がありません。寺社を拝観しに行くときは小銭と千円札の確保に留意しよう。神仏はクレカを嫌います。
三日前に行ったところを一通りまわってから、まだ入ってない店があるのに気が付いた。駿河屋のアウトレット店だ……
もしやの期待を込めて行ってみた。棚をなんどかチェックすると……
あった!
『プリンセスメモリー トゥルータイピング』! F&Cのマイナー作『プリンセスメモリー』のファンディスク。一万円を出しても入手するつもりだったが、たったの680円だった。駿河屋は日本の宝である。
※旅行から帰ってしばらくしてから、Amazonで『プリンセスメモリー トゥルータイピング』が出品された。「待てば海路の日和あり」「果報は寝て待て」とはこのことである。
オフ会
友人とオフするためにふたたび道頓堀に出た。この街は夜になると一段と(光量で)輝いている。
友人Aと落ち合って、友人Bと合流するために大阪駅に行かねばならなかったのだが、地下鉄に乗ればいいのに強引にタクシーをえらんで、二千円もする料金も一人で勝手に支払ってくれた。
どうやら、地下鉄というものを知らなかったらしい。合流してから三人でまたなんばに移動したが、俺がリードして地下鉄に乗った。料金がタクシーの十分の一だったのにおどろいていた。
その後、その地下鉄を知らなかった友人Aの自信満々の案内でなにもないところをしばらく歩かされたが、軌道修正をさせてアーケード街で店に入った。
五日目
『難波八阪神社』
朝八時から、なんばの近くにある名物の神社に行ってみた。法善寺といい、こういう名所が近隣にあるからなんばを選んだ。
巨大な獅子がいる。ここで神楽や獅子舞を奉納しているらしい。この辺りは獅子舞がさかんなので魔よけのために建立されたと。むしろこの獅子殿こそが魔なのではと誤解されそうな威容を誇っている。
大答案戦争で沈んだ戦艦『陸奥』の主砲の蓋が鎮座していた。『陸奥』と運命を共にした乗員1021名の慰霊のためだそうだ。
河内國一宮『枚岡神社』
八阪神社からすみやかになんばへ取ってかえして、近鉄奈良線に飛び乗って平岡の枚岡神社へ行った。枚岡神社の末社の飛来天神社で午前十時から例祭がはじまるのだ。
主祭神は天児屋根命であり、朝廷の祭祀をつかさどった中臣氏の祖神だそうだ。つまり一切の祭祀者の祖神だということにならないか。さすが、一宮。
たどり着いたのは十時十三分。もう巫女舞がはじまっていた。遅れたとはいえ、貴重な神事を拝ませてもらえてありがたかった。
飛来天神社のまえに神職と聴衆が集まって、祭祀と講話をしていた。自分もそばに立って傍聴させてもらった。
ここでは年齢を問わず巫女さんになれる体験ができるらしい。女でかつ地元の住民だったら、即座に応募していた。
ここはかなりアクティブな神社のようだった。自宅の近所にあるとうれしいのだが。
こういう玉垣をみると、寺社は一般の信者からの寄進で成り立っているとよくわかる。一部のカルト宗教だけが金の亡者のようにいわれるが、実際はすべての宗教がやっていることは基本的に同じである。
大阪歴史博物館
牧岡神社からもどって、次は大阪城に行くのだが、大阪城の手前にある大阪歴史博物館にまず入った。古代から悠遠とつづく大阪の歴史が展示されている。
7~8世紀に使われていた難波宮の朝議の再現展示をみると、このころの大和朝廷の支配層はバタ臭くて、韓国の歴史ドラマみたいだな。西洋文明に圧倒されていたちょっと前の現代日本と同じだが、よくぞのちの国風文化の勃興まで文化の浸透に耐え抜いたものだ。
いや、むしろ外来の文化を消化して自国の文明を築いたことが父祖の偉業だと知るべし。
かつての日本国家の中心地に自分が立っていることをおもうと、大阪への畏敬の念がわいた。
大阪城公園~豊国神社
大阪城公園に入った。そういえば、寺社詣でにいそがしくて、城を見に行ったことはいままであまりなかった。名古屋に行った時も名古屋城をみるなど考えもしなかったし、熊本でもみられなかった。つまり、これが初めての城見物だということになりそうだ。
園内にある豊国神社で豊公の霊を思った。公こそは、後世の公武一体を先取りしようとした勤王の士であり、耶蘇教による侵害をはじめて認識して生涯にわたってその邪智を退け続けた愛国者であり、公が指揮した文禄慶長の役は後世に起こる大東亜戦争の原型であった。人物の評価には明暗があるも、神州の史上に挙げるべき有数のナショナリストだと推す。
瓢箪のお守りを買った! 豊公好みの黄金だ。これでいつでも豊公の霊に守護してもらえる。
大阪城公園~海洋堂フィギュアミュージアム&大阪城
つづいて、公園内にある『MIRAIZA』という施設に入場した。土産物屋と飲食店、海洋堂のフィギュア美術館が入っている。土産物屋には、いかにも海外からの観光客がよろこびそうな純和風のグッズが並んでいた。
地下にある海洋堂のミュージアムでは、買うと高そうなフィギュアがたくさん展示されていて、素直に見ごたえがあった。
やっと大阪城に乗りこむときがきた。外観はきわめて立派であるが、中身は現代建築であり、ただの資料館であることを知らずにここまで来た。内部は撮影ができなかったし、入らなくてよかったな。入ったからこそ言えるのだが。
オフ会
大阪城の見物がおわると、昨夜につづいてオフ会に出るために、大阪駅近辺の居酒屋にむかった。出席者は俺と友人A、B、Cである。すでにほかのメンバーは集合済みだった。俺みたいななにもしゃべれない人間を招いてくれるなんて、聖人ばかりのオフ会だぜ。
居酒屋を出たあとは地下街のマクドナルドに移動した。しばしたむろしてから、適当なところでさきにホテルに帰った。後で聞いたところでは、ほかのメンバーもほどなくして解散したらしい。
六日目
朝ラーメン
空港に行くまで地獄寺にでもいく予定だったが、もう寺社詣でに疲れていたので、友人Aといっしょにその辺でラーメンを食べるだけで大阪での予定を切り上げた。
新千歳空港~雪ミクスカイタウン
海外旅行の恒例となった最後の観光地として、新千歳空港の雪ミクスカイタウンを訪問した。
む、コレは…! 市内を巡回するイベントの参加券ではないか。来年までのんびりと続くらしい。こんなものをやっていたとは、ここに来なければ知りえなかった。2500円もするが、一冊購入した。
札幌市の中心部のスポットとスマートフォンのアプリを参照して謎解きをするイベントである。帰宅後に日曜日をつかってクリアした。いいレクリエーションになった。
帰宅
オフ会、宗教上の目的、レアゲームの捜索という旅の目標がほぼ成就された。法隆寺で買った念珠(6800円)と透けるお守り、黄金の千成瓢箪を宝にして、旅の思い出だけで人生を生きていきます。