2024年東海地方巡礼の旅~後編~ゆがんだ電波が世界を救う!! 日の目を見た、ことよさしの神様を祝福したい!!
10月13日(木) 一宮市→豊橋市
『PRONTO』で朝食を味わってから、一宮市にある三つの一宮をすべて巡った。
なんて一宮めぐりの巡礼者にとって利便性が高い町なんだ。一日で三社も巡れる…
美濃一宮 南宮大社
JRで垂井駅で降りた。二十分歩いて、目当ての南宮大社に着いた。
楼門の唐風で豪壮華麗なる造りに目が奪われた。神社離れして朱い。もっとも、京都までいけば珍しくもないのだろうが。
朝の九時なのに境内には人が多かった。団体客もいたのかもしれない。町には人が少なかったのに、これだけ立派な社だからか。
なんだか日本離れしている景観である。旅の前半でみた伊勢神宮とまったく方向性がちがう、大陸風の社殿といってよいであろう。
境内社が多数ある。一宮めぐりをしていなければ訪れることがなかった神社だが、なんだかすごいところに来た。かつては神宮寺の三重塔もあったらしい。
絵馬が干し鮭のようにずらりと奉納されていた。
稲荷神社のほうにすすむと、北条政子が源頼朝の菩提を弔うために建立した鉄塔があった。写経した経文が収められているらしい。
社殿に使われていた瓦を引常明神という神様に捧げているという塚があった。
かつては七福神、羊、ペガサスの瓦が社殿を飾っていたのだろうか。
百連鳥居を数えてみたが、ちゃんと百本あった。
稲荷神社では備えられていた線香を立てた。お寺によく稲荷神社があるが、稲荷は仏教に属するのか。調べておこう。
宝物館に入った。解説の人の話を聞きながら、収蔵されている美術品をいろいろとみた。
神仏習合のころに社殿に安置されていた仏像があった。今日ではきわめて貴重な歴史の遺品である。仏像が置かれている神社を今日でもどこかでみてみたいものだが。
朝倉山真禅院
南宮大社のかつての神宮寺がすこし離れたところにあるそうなので、参拝してみることにした。
釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来がそれぞれおわすお寺だった。やっぱり朱い。
本堂の一つで、お坊さんが参拝者の女性のために読経をしていた。女性とともにしばし合掌しながら佇んだ。読経がおわると、お坊さんは女性とわたしに記念品のタオルをくれた。たまたま居合わせただけなのにありがたい。
南宮大社の神社離れした赤さはお寺譲りだというわけか。かつての神社はもっと華やかな造りのところが多かったのかもしれないと思った。
明治四年に南宮大社の境内からここへ移されたらしい。大日如来様が中にいるようだ。
来るときに通り損ねた大鳥居を帰り道で通過した。でかくて、赤い。インバウンドの客が喜んで撮影しそうである。
尾張一宮 大神神社
一宮駅にもどって、徒歩で大神神社に参拝した。奈良県桜井市にある大神神社と同名なのでややこしい。おなじく大物主神を祀っており、大和からきた人々が創祀したらしい。奈良時代に『真清田神社』と「相殿・対の宮」として諸共に尾張国一宮に指定されたらしい。
ここは質素で、ふつうの神社そのものだった。神職の方が常駐している時間は限られるようだが、今回はさいわいにもいらっしゃった。書置きのご朱印をもらった。
神職の方がいなければ、後日にご朱印帳を郵送してご朱印をもらわなければならないところだった。
尾張一宮 真清田神社
徒歩で一宮駅にUターンして、そのまま徒歩で真清田神社にむかった。本日は真清田神社の参道と駅からの道が交差するスペースでフリーマーケットなどのイベントが催されていた。冷やかしながら、本日三社目の一宮へと意気揚々と歩んだ。
昭和二十年にB29の焼夷弾によって本殿と楼門をふくむほとんどの建造物が焼失したそうだ。一宮市長だった人物が「一宮市の象徴である真清田神社の復興なくして一宮市の真の復興はない」という決意によってリーダーシップを発揮して、今日のごとく往時の雄姿をよみがえらせたらしい。
ついこの前の戦争で焼失したなどと信じられない復興ぶりである。日本の神祀りの伝統は不滅である。
祭神は天火明命であり、瓊瓊杵尊の兄神である。
コスプレイベントを開催していたらしく、境内にもコスプレイヤーがいた。
豊橋市
ホテルのある豊橋市の豊橋駅で降車すると、『負けヒロインが多すぎる!』というアニメの聖地をアピールしていた。
「豊橋で負けて輝け、マケインたち!」
到着してのっけから負けろといわれるのは驚きだ。
豊橋西口前の『ニュー東洋ホテル』に泊まった。いつもどおりの最安値のビジネスホテルである。
濃厚な味噌だれ付きの田楽が味覚の調和を壊していたが、なかなか食べられないオーソドックスな和定食はありがたかった。
10月14日(金) 豊橋市→掛川市→富士宮市
三河一宮 砥鹿神社
豊橋駅からJR三河一宮駅に移動した。五分歩けば、三河一宮砥鹿神社の鳥居に着いた。
この石鳥居はもともと、1841年に砥鹿神社奥宮の遥拝所のために建てられたものだったが、昭和二十年八月七日に空襲に遭った。
修理されてから、昭和三十一年にここへ移転されたらしい。いまでも空襲で欠損した跡が残っている。
『大祓詞浄書会 参加者募集』
わたしも参加してみたいものである。
ここは鹿の神社なのだろうか。わからないのだが、動物がいる神社は楽しい。
小銭が挟み込まれている。ときどき神職が回収するのだろう。賽銭箱が目の前に立っているのだが。
てっぺんに亀甲のような模様がある。この亀さんに触って祈ると、健康と長寿が約束されるそうだ。
『大きな銀杏の木』
電車を待つあいだに、三河一宮駅の前の『大きな銀杏の木』という喫茶店でオレンジジュースを飲んだ。
トーストとサラダとゆで卵と果物がついているが、オレンジジュースしか頼んでいない。お値段はたったの360円である。地元の人が集まる店だったが、おどろくほどサービスがいいではないか。すばらしい。
まだ朝の九時だったので、いい朝食になりました。ごちそうさま!
JR掛川駅
静岡県西部の掛川市にやってきた。本日はここで祭りがあるようだが、わたしには関係がない。バスで事任(ことのまま)八幡宮へ行く。
が、その前に、チャーミングなご当地Vtuberのアクリルキーホルダーをみつけたので買ってしまった。本人の声で名所の解説音声が聞けるアプリまで落としたが、のんびりと回っている暇はまったくないのであった。メロンクリーム入りメロンパンといっしょに撮影してTwitterにあげてから、バスに乗った。
遠江一宮 事任八幡宮
二十分で目当ての事任八幡宮へ着いた。ここの祭神は己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)という女神さまである。
十一世紀に貴族から武家に権力が移って八幡信仰が一世を風靡すると、この社も八幡宮へと改装せざるを得なくなった。
神社の興廃は厳しいものである。全国にある八幡神社にはそんな歴史を経てそのまま八幡の名前を冠したままで続いているところがかなりあるのかもしれない。ちょうどここのように。
その後、平成十一年になってようやく己等乃麻知比売命様を主祭神とすることが認められたそうだ。本来の伝統を密かに守り続けてきた代々の社家の人々の勲功は驚嘆すべきものである。
事任八幡宮→JR掛川駅
のんびりしすぎて(とくにのんびりと参拝してはいなかったが)、帰りのバスに乗りそこねてしまった。参拝に費やせる時間が短すぎた。
帰りのバスを待っていては、次の目的地である『小國神社』に間に合わないので、やむなくJR掛川駅まで歩くことにした……
住宅と農地と山林しかない道をひたすら歩いた。登山用のストックをふたたび取り出して歩行の補助にした。四本足に体重を分散すると疲労が軽減される。
祭りの山車を道中でみた。わたしは参加できませんが、きたる祭りの熱気を予感させてくれてありがたいものだった。バスに乗り損ねたおかげでこの僥倖があった。
事任神社からJR掛川駅まで二時間かかった。まだ天竜浜名湖線の電車に乗れば小國神社に間に合ったのだが、肝心の天竜浜名湖線の駅の場所がわからずに右往左往した挙句に乗り損ねた。二時間も歩いた努力がふいになった。
予定を組替えて、小國神社には翌日に参拝することになる。
もっとも、翌日に判明したのだが、この十四日は小國神社を先送りにして正解だった。今日は小國神社の最寄りの駅についても、神社へのマイクロバスが運航していなかったので最悪のところ無駄足を食ったかもしれない。
JRに乗って、宿泊地である富士宮市へむかった。
富士宮市
すっかり暗くなった五時半になって富士宮市に到着した。富士宮駅から十分ほど歩いて『キャビンハウス ヤド』に入った。去年に長崎市で泊まった個室型のカプセルホテルであり、外国人の客ばかりだった。富士山をみにきたインバウンドが多いのだ。
水餃子薬膳ラーメン(990円)。なんて美味いんだ。長崎に行ったときにも中華街でちゃんぽんを食べたものである。
10月15日(土) 富士宮市→名古屋市
駿河一宮 富士山本宮浅間大社
朝七時五十分。ホテルをチェックアウトして、駿河国一宮を参拝しにきた。見事な朱色の二の鳥居と社号標、富士山が一度に写った、絵になる写真が撮れた。
昔は、四月と十一月の大祭礼のおりにこの石へ鉾を立てたらしい。
今回の旅では、真っ赤な神社をたくさんみた。地域柄があるのだろうか。東北ではこんなに華やかな神社をみた覚えがない。大阪と九州でも同様だ。
朝の八時なので人が少なかった。人でごった返している時間帯の様子もみてみたかったが。
国の重要文化財に指定されている本殿が二階建てになっていてかっこいい。
賽銭箱に鍵が付いていなかったのか、鍵がかけられていても持っていくのか、貧乏くさいコソ泥がいる世の中は悲しい。
たばこ自動販売機
ご朱印をもらって浅間大社をあとにして富士宮駅までもどる途中に、変な自動販売機があった。煙草の自販機のようだが……
変なシールがたくさん貼られていて、電波を発している……
左上の麻原彰晃がいるシールには
「Good morning believers!!」
「ENEMY ATTACK!!」
と書かれている。
煙草のパッケージと値段がみえないが、自販機として機能しているのだろうか。買ってみることは思いつかなかったのが残念である。
「キミに届け!! 歪んだ電波!!」
「毒妻」
「あぶないよ!電磁波攻撃」
「宇宙歪んだ電波教」
「歪んだ電波が世界を救う」
「THE WORLD FAMOUS MOTHER FUCKER」
筐体全面からすごいエナジーを発している。いや、電波を発しているのか。芸術作品として話題になるべき作品である。
富士山本宮浅間大社の二の鳥居から大社通り宮町商店街に行けば、この自販機が目に入る。訪れた人はぜひとも自分の目で確かめてほしい。
遠江一宮駅
掛川にもどって、今度こそ天竜浜名湖鉄道に乗車した。遠江一宮駅で降りると、小國神社へ送り届けてくれるマイクロバスの素朴なバス停があった。
ここまできてやっと気が付いたのだが、このマイクロバスは毎月の一日と十五日にしか運航していないらしい。今日がその十五日である。
もしも昨日ここまできていたら、マイクロバスに乗れずに徒歩での移動が余儀なくされていただろう。Googleマップによると、徒歩だとちょうど一時間もかかるらしい。余裕がない旅になり、最悪の場合は社務所の閉店に間に合わなかった。今日にずれこんでよかった。
遠江一宮駅のなかに貼られているポスターでまたも気になるキャラクターがみつかった。気になるだけでもはや追っていられないが。
小國ことまち横丁
昨日に行きそびれた小國神社にやっとたどり着いた。寂びた社号票と青松、白い石鳥居の組合わせが引き締まっていてかっこいいが、境内に入るまえに気になる横丁が門前で待っていた。
小國ことまち横丁という、フードコートと土産物の販売スペースがあった。神社は逃げないので、ここでしばしくつろいでから参拝することにした。
濃厚な抹茶ソフトと黒蜜、白玉、コーンの触感のハーモニーは甘美だった。コンビニで買うアイスのほうがコスパがいいが。この抹茶ソフトは口に一口入れたとたんに渋いお茶の香りが広がったのを覚えている。
気になるポップが……(すこしあとで見にくるとべつのキャラのポップと交換されていた)
中身はさまざまなお茶のティーバッグだった。ついな茶とアクキーのセットが欲しくなったが、それは売り切れていた。
遠江一宮 小國神社
松林を縫う参道を行った。
天照大神と須佐之男命の誓約で産まれた宗像三女神を祀っている。
地元の森町の陶器「森山焼」の工房から提供された陶器の破片で彩った橋らしい。愛嬌があって可愛い橋である。
鯉の餌を買って池の錦鯉にあげてみたが、全然食べてくれなかった。満腹だったのだろうか。
この鯉がいる池は「小國神社への願掛けが成就したら鯉を放つので『事待池』(ことまちいけ)という」らしい。あるいは「いぼにつけるといぼが取れるので『いぼとり池』ともいう」と。
門前の『ことまち横丁』の名の由来がこれか。
明治初期に焼けた末社の御祭神を合祀しているそうだ。全国の一宮のご祭神をふくむ、のべ五十四社の祭神がおわすらしい。名前をみて、すべての一宮のご祭神を網羅しているのかとおもって驚愕したが、すべてではない。
ご神木だった「大杉」の根株である。昭和四十七年に台風のせいで倒壊したらしい。樹齢は千年を超えていた。現在もなおご神木として願い事を受付けておられるようだ。
神徳殿とは予備の祈祷所らしい。本殿とおなじく大己貴命を祀っている。
古老の言い伝えによれば、大己貴命が遠江の国づくりをしたときに、この松の木の根元にある石を「金銀の印」として授けたそうだ。「金銀の印」とはなんだかわからないが、要するに石を撫でれば金運が上がり、(願掛け松(待つ)という)松を撫でれば良縁に恵まれるらしい。
天正二年(1574年)、徳川軍が犬居城を攻める途上で家康公が小國神社に参拝して、右の石に腰かけて休息をとったらしい。それ以来、この椅子に座って願い事をする人が後を絶たないという。
本当に家康公が座ったのかはわからない。が、とりあえず座ってみた。なにを祈ったかは覚えていない。
名古屋駅前
名古屋駅までもどって、十八時前に『ナインアワーズ 名古屋駅』にチェックインした。ここはふつうのカプセルホテルだった。
『石臼挽きそば 石月』で「さつま赤鶏となめこのつけ汁そば」(税込1540円)を食べた。少々高いが、手ごろな値段の手ごろな蕎麦屋というのは案外みつからないものである。
蕎麦をすすると生き返る。なめこのぬめりを生涯にあと何度味わえるだろう。こういうものだけを食べて生きていたい。
10月16日(日) 名古屋市→札幌市
一畑山薬師寺 岡崎本堂
今日は13時25分の飛行機に乗って札幌に帰るだけだが、その前に岡崎市東部の臨済宗妙心寺派一畑山薬師寺に行ってきた。名古屋市内に行きたい神社もあったが、神社はすでに食傷していたのでお寺にした。
名鉄名古屋駅から四十分かけて藤川駅まで行き、さらに二十分歩いた。
数々の神社をみたあとだからこそ、お寺という場所がじつにエキゾチックだと気がつける。お寺独特の雰囲気にもっと慣れたい。
滞在時間は三十五分ほどにすぎなかった。早く名古屋に戻らなければ飛行機に間に合わなかったのだ。べつの機会にもっとのんびりと訪れるべき場所だったが、お寺の人はみな感じのいい人だった。次に訪れるときは、祈祷を受けて精進料理をいただきたいものだ。
中部国際空港で13時25分の便に乗り、15時10分に新千歳空港に着いた。今回は雪ミクスカイタウンにあえて寄らずにまっすぐに帰宅した。
新札幌駅のホームに降りたときに、内地との空気のちがいを感じた。歩いていると汗ばむ内地とちがって、すでに北海道は涼々たる秋気に包まれていた。
帰宅
十七時前に自宅へ着いた。
伊勢神宮で購入した書物と鈴と鉾。
事任八幡宮で買った鈴と本。家族への土産の食品。
砥鹿神社で買った、ご朱印帳とチャーミングな鹿(おみくじ)。ことまち横丁で買った茶筒とごぼう茶。
この豆板はことまち横丁で購入した。夢の菓子である。土産ではなく自分で食べるために買った。
その後、三日ほどかけて一人でこの豆板を味わった。飴とピーナツのがりがりとした触感と甘味のハーモニーがたまらない。ほかの場所でこれを買いたいのだがネットではみつからない。
まとめ
伊勢一宮の椿大神社へ今回に参拝できなかったのは残念である。それは将来の旅に回そう。
ほかのすべての一宮でスムーズにご朱印がもらえたのはさいわいだった。神職が常駐していない社もあったのだから。
伊勢神宮への参拝は神道を語るうえで大いなる学びとなった。伊勢神宮を知らなければ、朱塗りの鳥居と注連縄が日本に土着の伝統だとずっと思い込んでいたかもしれない。
伊勢とその周辺の神社文化は独特である。道民の自分にとって、東北の神社と異なる異国情緒があった。
四天王寺と薬師寺はいいお寺だった。神社と寺のちがいも分明になった気がする。伊勢神宮の遷宮と、なんど災難に遭っても再建するという四天王寺の精神こそ、日本文化を支える根本の伝統だろう。慶光院のお話を聞いて神仏共栄の望みに光が射した。日本の宗教文化を理解するうえでかけがえのない旅になってよかった。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?