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『ターナー日記』の邦訳⑤第八章~第九章


第八章

1991年11月4日。今夜もスープとパンだ。十分とはいえない。俺たちの資金が底をつきそうだったが、ワシントン司令部からはまだ何もこない。あと二日も給料が届かなかったら、また武器をもって強盗をしにいくしかない――うれしくない未来予測だ。
第二部隊はいまだに無尽蔵におもえるほどの食料品を貯めこんでいた。一月前に彼らが缶詰を車一台分くれなかったら、状況はすでにもっとひどくなっていただろう――なにしろ、俺たちはいまや七人分の餌を必要としているのだから。しかし、食料を調達するためにメリーランドまでドライブするのはあまりにも危険になっていた。警察の検問に出くわす可能性が高すぎた。
あまりにも目立ちすぎる――また、一般人にとっては検問がひどい苛立ちの種になっているにちがいない――今日までの俺たちのテロ作戦の帰結だ。個人の自動車での移動は――すくなくともワシントン地区では――悪夢になり果てた。いたるところで警察に制止されて、すさまじい交通渋滞が発生しているから。ここ数日間で警察のこのような活動は重要性を増しており、生活上のおきまりの風景として継続していくかのようにみえる。
しかしながら、今のところ、歩行者、自転車、バスは停止させられることがなかった。回り道をすればなんとかいける。以前より不便になったものだが。
おっと、また照明が点かなくなった。ろうそくを使わざるをえなくなったのは、今夜で二度目だ。最悪の電力不足は毎年夏に起こっているものだが、七月に強制された"臨時の"15パーセントの電圧低下がまだ続いている。もう十一月なのだが。この休む暇がない"灯火管制"は、増え続ける停電にうんざりしている俺たちにとってなんの救けにもなっていない。
やっぱり電力不足がだれかの儲けになっているのはあきらかだ。キャサリンが幸運にも先週の雑貨店でろうそくをみつけたときに一本当たり1.5ドルも払わなければならなかった。灯油ランタンとガソリンランタンの値段は天井知らずだが、金物屋にランタンの在庫があったためしはない。次に自由時間ができたら、この状態でなにを書いておけるかが見ものである。
先週はずっと、単独かつ低リスクの活動で"システム"にプレッシャーをかけつづけた。ワシントンの連邦政府のビルとメディアの施設にたいして約40個も手榴弾を投げつけた。たとえば、うちの部隊はその11個を担当した。
郵便局をのぞいて、連邦政府のビルへ厳重なボディチェックなしで入ることはもう不可能になっているので、俺たちは頭をつかわなければならない。一例では、ヘンリーは単純な手として、破片手榴弾のピンを抜いてから、ワシントン郵便局の貨物搬入口のドアの外で待機している大きな貨物パレットの上の段ボール箱のあいだの隙間にその手榴弾を滑りこませた。しっかりと押込んでやれば、安全レバーが箱によって固定される。郵便局のまわりで待つことはしない。局内で爆発があって局員一人が死亡して三人が重傷を負ったことはあとでニュースによって確認できる。
とはいえ多くの場合は、ショットガンでこしらえた即席の擲弾投擲機をつかった。最大で150ヤード以上の射程が得られるが、遅延装置を改造しないとあっという間に起爆してしまう。有効に使うには標的から100ヤード以内に遮蔽物があるところをえらぶ必要がある。
走行中の車の後部座席からも撃った。近くの建物のトイレの窓から撃った。そして――夜間には――標的の建物と道路を挟んだちいさな公園の低木の茂みから撃った。運がよければ、窓に当たってオフィスのなかや廊下で炸裂した。擲弾が外壁で跳ね返ったときでも、爆発で窓が砕けて、破片で人を驚かせることができる。
これをずっと続けていれば、おそらく連邦政府の建物ではすべての窓を封鎖せざるを得なくなるだろう。そうすれば、連邦政府の職員の意識がきっと変わる。だが、このような活動をそういつまでも継続するのが無理なこともわかっている。昨日、最高のメンバーを失った――ロジャー・グリーン、第八部隊からきた男だ――時間が過ぎるほど俺たちは多くのものを失っていく。あらゆる消耗戦において"システム"が確実に勝ちをおさめる。数字ではやつらが圧倒的に優位なのだから当然だ。
この問題について、俺たちは何度もくりかえし話し合ったが、いつも同じ壁にぶち当たってしまう。現実的にみて、"組織"の外のアメリカが革命にむかう機運は存在していない。俺たち全員がいくら活動しても、この事実を変えることは今のところできていないようだ。国民の大多数はけっして"システム"を愛しているわけでない――生活の質が落ちていくにつれて、彼らの不満の声が過去六、七年で着実に高まってきているのも事実である――だが、それでも革命というアイディアを受け容れるには、彼らは依然として生活を楽しみ、自分に満足しすぎている。
その上さらに途方もなく不利なのは、大衆に届く俺たちのイメージが"システム"に操作されていることだ。合法部隊から大衆の意見についての分析を受取りつづけているが、"システム"が描き出す"暴力団"と"殺戮者"としての俺たちのイメージを、ほとんどの人間は躊躇することなく信じていた。
俺たちと大衆一般のあいだに共感の余地がないので、損失を埋め合わせるのに十分な数の新兵を確保することができないでいた。大衆とのコミュニケーションの道はことごとく"システム"に占有されてしまっているので、共感をはぐくむ方法をみつけるのも困難である。俺たちのパンフレットと数分間の臨時の放送局の占拠では、"システム"が大衆の制御を維持するのに用いている、絶えまない洗脳の奔流にたいして大きな抵抗は望むべくもない。
照明がまた点くようになった――もういつでも寝られるのだが。ときどき俺は考える。"システム"はそれ自体の欠陥によって、俺たちの働きがなくても迅速に凋落へと向かうだろう。権力が犯しつづける過ちこそが、俺たちが必死に引き倒そうとしている、滅びの聖堂の無数のひび割れのたった一つの原因なのだ。

11月8日。たった数日のあいだに、うちの部隊の中身ががらっと変わった。俺たちの機械工場の人口が木曜日に八人まで増えて、いまはまた四人まで減っている。俺、キャサリン、そして元第六部隊のビル・ハンラハンとキャロル・ハンラハン。
ヘンリーとジョージはエドナ・カールソンとチームを組んだ。彼も第六部隊が壊滅してからうちにきた男だ。それから、木曜日に警察によって隠れ家を襲撃された第十一部隊のただ一人の生き残りであるディック・フィーラーと。四人はワシントンD.C.内のべつの場所に移った。
あたらしい配置決めは以前よりも職能ごとによく分けられていた――キャサリンと俺の悩みの種だった個人的な問題も解決されている。俺たちは今、この工場で基本的には技術サービスの部隊として働く。別れた四人は破壊工作の――そして――暗殺部隊だ。
ビル・ハンラハンは機械工、整備工、そして印刷工だ。二か月前まで、彼とキャロルはアレクサンドリアで印刷工場をやっていた。妻のキャロルに機械いじりの才能はなかったが、十分に有能な印刷オペレーターだ。俺たちが別の印刷機のセットアップを終えたときにはもう、"組織"が秘密裏にこのあたりにばらまいているパンフレットなどのプロパガンダ用の資材を彼女が山ほど生産している。

俺は引きつづき、通信設備と特別な軍需品の担当をしている。ビルが連合いといっしょに支援してくれる。彼は俺たちの鉄砲鍛冶であり、兵器工場の主だ。
キャサリンが編集者としてのスキルを、限定的だが、ふたたび発揮する機会ができる。タイプライターで打たれたプロパガンダの原稿をワシントン司令部から受取って、キャロルが写真製版できる見出しと文章に仕立てる責任をそこで担うことになる。コピーのサイズ調整のために必要な要約、削除、そのほかの改変を行う自由裁量を手に入れるのだ。
ビルと俺は昨日いっしょに、最初の特注の火砲の仕事を仕上げた。4.2インチの迫撃砲に、81mmの砲弾が発射できるように改造を加えた。先月にアバディーン性能試験場を襲撃したときに砲弾をかっぱらってきたが、その砲弾を撃つ81mm迫撃砲までは持ってこれなかったので必要になった改造だった。とあるガンマニアのメンバーの一人が、まだ実用に堪える4.2インチ迫撃砲を1940年代後半からずっと隠し持っていたのだ。
"組織"はきわめて重要な任務を明日か、明日と明後日に計画していて、そこで迫撃砲が使用されるので、間に合うように作業をおわらせるプレッシャーを俺たちは受けていた。おもな課題は、4.2インチの砲身の内部に溶接するために、適合する鉄管を手に入れることだった。俺たちは旋盤もほかの工作機械も今回は持っていなかった。鉄管の業者さえみつかれば、残りの作業はあっけないものだった。こうして、俺たちは出来上がったものに鼻が高くなった――通常の81mm迫撃砲よりも三倍重かったが。

今日やった作業は、理屈のうえではとても簡単だが、予想外にトラブル続きだった。500ポンド爆弾の炸薬を取出して、湯煎して溶かした。多大なる緊張と悪態のすえに――ついでに自分で自分にぶっかけた熱湯でいくつも火傷を負いながら――トリトナール爆薬を取出して、空のグレープフルーツジュースの缶やピーナッツバターの瓶、そのほかのいろいろな容器に溶填した。丸一日かかった仕事でみんな精魂が尽きたが、数か月はもつだろう数の中型の爆弾をこしらえることができた。
ビル・ハンラハンとは、新しい職務を遂行するうちにウマが合う戦友になれるとおもう(二人とも第六部隊に配備されていて、部隊の責任者は俺だ)。ここの生活状況はキャサリンと俺にとって確実に居心地のいいものになっている。二人の邪魔な独身貴族でなく、もう一組の結婚済みのカップルと共同生活をしている。"俺たち"のビルで。
いま"もう一組の結婚済みのカップル"と書いたが、もちろん筆が滑っただけだ。キャサリンと俺は正式に結婚していないから。もっとも、この二か月間で――とくにこの二、三週間で――いっしょの時間をたっぷりと過ごしてから、結婚にも等しいほど強いきずなで結ばれた交際によってすっかり持ちつ持たれつの関係になっているが。
昔は任務を遂行するときに共同で仕事をする努力が必要だったが、いまは共同作業になんの気遣いもいらない。

俺たちにおおくの点で自然でない生活を強いる"組織"が、外にいたときよりもその内部で男女間に自然な関係をはぐくませているのは面白い話だ。未婚の女性メンバーは男性と同一の規律に従っていて、理屈のうえでは男性メンバーと"対等"なのだが、実際のところは一般社会の女よりもよほど大切にされて守られていた。

たとえば昨今は、「レイプ」がありふれた流行り病のようになり果てている。レイプを犯罪だと定めたすべての法律は、男女間に法的な差別があると決めつけているという理由で違憲だという判決を最高裁判所が出して以来、1970年代初頭から去年までですでに、年率20%から25%はレイプが増え続けていた。裁判官殿が決めたところでは、非性的な暴力に関する法律にもとづいてのみ、レイプは起訴できることになった。
いいかえると、レイプは鼻っ柱にパンチをぶち込むのとおなじ行為にまで格下げされたということだ。肉体的な傷害が証明されないばあいは、起訴にたどり着くことも、逮捕すらもほぼ不可能になっている。この司法の悪ふざけの結果として、アメリカ人女性の二人に一人が人生で一度はレイプを経験することになると統計学者が算出するほどにまで、レイプ事件の発生率が急上昇した。おおくの大都市で統計の数値はひどいことになっている。
ウーマンリブのグループはこの展開をみて狼狽した。それは、彼女たちが二十年前に"平等"を叫びはじめたときに想像した事態でまったくなかった。だが少なくとも、一般のウーマンリブ論者は狼狽してみせた。ウーマンリブのリーダーを構成しているユダ公の女はこの結末を最初から知っていたのではないかと俺は考えている。
いっぽうで、黒人の市民権のスポークスマンたちは最高裁の判決を称賛するばかりだった。彼らの発言によると、"レイプ法"は、そのせいで不公平におおくの黒人が起訴されているので、"レイシスト"らしい。
最近の黒人のチンピラのギャングは、駐車場や学校のグラウンドでぶらぶらしたりオフィスビルや集合住宅の廊下を徘徊しては、そばに男がいない白人女性のような、興味を引くものを探し回っている。武装解除された市民や禁則事項だらけの警察が制裁を加えてくることなんて、まずないとわかっているんだ。学校の教室でレイプをするのは、ギャングたちにとってとくに人気があるスポーツになっている。
リベラルを誇りにしている種類の女性にとっては、この情勢でのおかげでマゾヒズムの快楽がたっぷりと堪能できるかもしれない。人種的な"罪悪感"からくる罪滅ぼしができるから。だが、ふつうの白人女性にとっては毎日が悪夢になっている。
すくなからぬ白人の若者がこの人種的脅威に対抗するかわりにレイプの輪に加わることにしているらしいという話は、時代のいちばん狂った側面である。白人の強姦魔も前よりありふれた存在になっており、多人種の統合レイプ団すら出現しているという。
女たちも、全員が受身でやられるままだというわけではない。若い白人の男女――十代前半の子供すらも――があらゆる性的な逸脱に耽っているさまは、二、三年前ならば想像できなかったほどの勢いをみせている。
同性愛者、異常性欲者、人種混交カップル、サディスト、そして露出狂が――マスメディアによって推奨された――性癖を公共の場でみせびらかしている。そして公衆も彼らに加わっている。
先週も、キャサリンと俺が部隊の給料を受けとってくるために所定の地区に赴いたんだが――そう、来たんだ。スープの缶が底をつきそうになったころにやっと――そのときに、気分のわるい、ちょっとした出来事があった。部隊に帰るためのバスを停車場で待っていたときに、俺は数フィート先のドラッグストアにちょっと入って新聞を買ってくることにした。俺がドラッグストアの中にいたのは20秒にも満たなかったが、停車場にもどってくると、妙に脂ぎった若い男が――白人のようだが、悪ガキどもに人気がある"アフロ"の髪型をしていた――キャサリンに卑猥な言葉を投げてからかいながら、彼女のまわりをボクサーのように小刻みに動いて牽制していた。

(読者への注意:"アフロ"とは、黒んぼか又はアフリカ人種のことである。それらは、偉大な革命のさなかにおける突然の消滅まで、北米の住民の文化と生活様式に退化を促進する影響をおよぼした)

俺は男の肩をつかんで振り向かせてから、顔面を力のかぎりにぶん殴ってやった。男の四、五本の歯が吹っ飛んで、破壊された口内から暗赤色の血液を垂れ流しながら崩れ落ちるのを確認したときに、俺は原始的な深い満足をおぼえた。
ポケットにある拳銃に手を伸ばして、完全にその場で男を殺すつもりになったが、キャサリンに腕をつかまれたので冷静になった。射殺するかわりに、男の前に立って鼠径部へと全力でキックを三発おみまいしてやった。男はぴくぴくと痙攣して短くうめいていたが、最初のキックで声を詰まらせて、そのままじっと横たわった。
通行人は目をそむけて足早に去った。通りのむこうで二人の黒人がこちらをぽかんと見つめてから野次りはじめた。俺たちは角のむこうに急いで移動した。およそ六ブロックも歩いてから、駆け足でもどって別の停車場でバスをつかまえた。
あとでキャサリンが教えてくれたところでは、あの若いやつは俺がドラッグストアに入ってからすぐに彼女に駆け寄ってきたらしい。キャサリンの肩に腕を回して誘いをかけてから、胸をまさぐりはじめた。キャサリンはとても気丈で頭の回転がはやい女性だったので、すぐに身をひるがえして距離を取ることができたのだが、俺を追ってドラッグストアに入らないようにブロックしてきた。
規則にしたがうとキャサリンは拳銃を携行していたはずだが、その日は季節外れに暖かい日だったのでコートを着ていなかった。そして、着用していた衣服には火器が隠せる場所がなかった。俺といっしょだったから、今日の女性にとって服のなかに忍ばせる必須の備品になっている催涙ガス弾の一つすら持ってこなかったことを気にしてすらいなかった。
今回のことに関係する話だが、Cohen法の成立前には銃の没収をヒステリックに非難していた人間がいまは催涙ガスの禁止を要求していることに言及せずにいられない。催涙ガスを使ってレイプ魔きどりを撃退した女たちが、武器で人に暴行を加えた容疑で起訴される事例すら最近あるのだ! 世界は、これ以上なにがきても驚けないほど狂ってしまった。
"組織"の内部では、外の状況と対照的なことに、レイプが起こるなどほぼ想像できない。しかし、俺の想像では、もしも本物の強姦が発生したら、加害者は数時間のうちに八グラムの鉛弾で表彰されることを疑うのは不可能である。

工場に帰還したとき、ヘンリーともう一人の男が俺たちを待ち構えていた。俺たちが改造した迫撃砲の照準器の説明書の最終稿を男に渡してくれるようにヘンリーからもとめられた。出発するときに迫撃砲も持っていったが、彼らがなんのためにそれを使うつもりなのかは、いまだに知らない。
キャサリンも俺もヘンリーにとても愛着を持っているので、あたらしい部隊に彼がいないのがさびしい。"組織"の成功が最終的にヘンリーの双肩にかかっているような、彼はそういう類の人間だった。
キャサリンはすでに、メイクアップと変装の技術をあらかたヘンリーに教えてしまったし、彼が迫撃砲を持っていくときに、自分が所持しているウィッグ、付け髭、プラスチック製の小道具、化粧品をたくさん託した。

第九章

1991年11月9日。なんてことだ!午後二時に、大統領の演説を聞く臨時議会が招集された。政府が"レイシズム"を根絶してテロリズムともっと効率的に戦うことを可能にする特別立法を大統領が要求するために。
新聞によると、大統領が議会に要請しようとしたことの一つは、ながく待望されてきた国内パスポート法だった。先月に俺たちがこのパスポート計画用のコンピュータを破壊してやったのに、政府はしれっとした顔で計画を押し進めているらしい。
3000人から5000人くらいの、武装した迷彩服の兵士と秘密警察が国会議事堂のまわりにずらりと立っていた。機関銃を据え付けたジープもそこら中にいた。二両の戦車と何両かの装甲兵員輸送車もいた。
新聞記者と議事堂の職員は、三重にも築かれた、バリケードと有刺鉄線の囲いを通過しなければならない。議事堂に近づきたいなら、武器を持っていないかがそれぞれの囲いで徹底的に調べられる。頭上ではヘリコプターが旋回している。どんなゲリラ部隊でも手が出せやしないし、暗殺者も二ブロック以内に近寄れない。たとえ自殺覚悟で突撃しても。
実際のところ、政府は安全保障の処置をあきらかにやりすぎていて、アメリカで起こっていることへの危機感を煽っているだけだ。議事堂のまわりに兵隊と銃が物々しく整列している光景によって、テレビの視聴者は確信を得ると俺が保証する。つまり、政府が死に物狂いの強力な措置を講じなければならないほどの非常事態がこの国で進行しているとみんなが信じてしまう。
やがて、議事堂の外の群衆から大統領が発言している本会議場の演壇へとテレビカメラが切替わったんだが、建物から北西に200ヤードくらいの地点で迫撃砲の砲弾が炸裂した――それがなんであるか知っていた人間はいなかったのだが。テレビを観ていた人間も爆発音を聴いたが、視えたのは議事堂の上空を漂っている灰色の煙がぼんやりと拡散する光景だけだった。
人々が困惑していたのは、ほんの数秒の間だけだった。ガスマスクを着用した兵士たちが一方向にあわてて駆けていった。緊張した顔で拳銃をひき抜いた秘密警察が別の方向に走った。何者かが議事堂の駐車場に爆弾を仕掛けましたと、テレビのコメンテーターが息も継がずにまくしたてた。
だれが仕掛けた爆弾なのか、どうやって警備の軍隊をかいくぐって爆弾を持ちこんだのか、爆発で何人が傷ついたのか、そのほかあれこれについて、コメンテーターは一分にも満たないあいだに憶測をめぐらせて喋りまくった。そのときさらに、二発目が着弾した。
今度の砲弾は、テレビカメラの正面50ヤードくらいのところで衝撃音と閃光を発した。これは、議事堂の東側の駐車場の土嚢の後ろで機関銃を構えていた兵士の分隊にほぼ直撃したらしい。

「俺たちの迫撃砲だ!」

俺は叫んでしまった。そのシーンを観ていた、軍隊経験がある他の人間も一斉に気が付いたにちがいない。二つの爆発の原因は迫撃砲だと。
迫撃砲はおどろくほどに素晴らしい小型兵器であり、とくにゲリラ戦に向いている。標的にたいしてほぼ垂直に、強力な砲弾を無音で落下させる。完全に遮蔽された場所から発射できて、標的地点の人間にはどの方向から投射物がきたのかがわからない。
この場合、仲間は議事堂から二マイル以上は離れたポトマック川の土手の、密集した木立があって隠れやすいエリアから砲撃しているのではないかとすぐに推測した。ヘンリーといっしょにまさにそういう目的のためにそこを調べたことがある。ワシントンの連邦政府の重要な建物はすべて、その木立があるところから81mm迫撃砲の射程におさまるから。
二発目から45秒くらいしたら、三発目が議事堂の南側の張出しの屋根に着弾して、建造物の内部で炸裂した。彼らは射程内に捉えられている。4、5秒おきに投射物が降り注ぐようになったら、テレビクルーも含めたほとんどの人間が隠れ場所をもとめて逃げ回ったが、一人の勇敢なカメラマンだけが持ち場にとどまっていた。
火炎と鉄の華がいたるところで咲いて、アスファルトの上を舞っている。石塊が散乱して車両が炎上し、轟音がとどろく。内でも外でも大噴火だ。圧政と反逆のツケを自分たちの血で支払っている。
砲撃は三分程度で終息したが、俺がいままで観たなかで最高に血沸き肉躍るスペクタクルだった。テレビで観ていた一般大衆には一体どんな印象をあたえたものだか!
今日は、カリフォルニアとニューヨークでも、さらに興奮させる出来事があった。ロサンゼルス市の市議会は、彼らが提出した複数の"反レイシスト"法に投票するところだったが、そのまえに大統領の議会への演説のテレビ放送を視聴するために招集されていた。ちょうどワシントンの議事堂で花火大会がはじまったころに、"組織"のメンバー四人が偽物の警察官の身分証明書をつかって市議会の会議場に入りこんで、グレネードを投擲し始めた。八人の審議委員が即座に殺されたが、メンバーはきれいに逃げおおせた。
ニューヨークではそれより一時間早く、休暇をとったユダヤ人ばかりのお偉方を載せて、テルアビブへむかい離陸したばかりの旅客機を撃ち落とすために"組織"のメンバーがバズーカを発射した。生存者はいなかった。

(読者への注意: "バズーカ"とは小型のロケット弾を撃つための携帯発射機である。BNE60年から54年の第二次世界大戦でおもに装甲車両に対抗する歩兵の武器として使われた。BNE8年の時点ではすでに時代遅れになっていた。テルアビブは、パレスチナという不運な国家がユダヤ人に占拠されていた旧世紀の時期に、同国で最大の都市だった。その都市の廃墟はいまだに放射能に汚染されすぎていて人間が居住できない)

まったくもって、"組織"にとって多忙な一日だった! "システム"にたいする同時多発攻撃を実施した、一連の示威行動によって俺たちの実力を知らしめたことで、俺はおおいに鼓舞された。同志も全員おなじだと信じている。
あれだけの騒音と煙と瓦礫を発生させたにもかかわらず、議事堂への攻撃で死んだのはたった61人だったと、のちにニュースで判明した。そのなかには二人の下院議員、一人の内閣官房副長官、4、5人の議会上級スタッフがいた。しかし、本日の一連の攻撃の真価は心理的なインパクトにある。目先の犠牲者の数にではない。
一面では、俺たちの奮闘が計り知れないほどに確実性を増している。だが、もっと大切なのは政治家と官僚たちに教訓を施してやったことだ。彼らは本日の日中に、一人として俺たちの手を逃れることはできないと学んだ。彼らは有刺鉄線と戦車のうしろで身をすくめていることができる。あるいは、田舎の豪邸でコンクリート壁と警報システムに守られて隠れることもできる。それでも、俺たちは彼らをみつけだして殺害することができる。アメリカのどんな武装した警備兵でも防弾仕様のリムジンでも彼らの安全は保証されない。忘れられない教訓になっただろう。
彼らはこぞって俺たちに憤怒を抱いていて、俺たちをせん滅すると公衆にたいして重々しく約束をしている。しかし、機会さえあれば"保険に加入する"ことを検討する準備をするものもいるだろう。"システム"の大きな弱点は芯まで腐った道徳的堕落である。人員でも武装でも俺たちを圧倒しているのに、私利私欲以外の動機で動く指導者は一人もいない。そうすることに利益があれば、即座に"システム"を裏切る用意をしている。
今のところ、彼らは全員どうあがいても絞首台にぶらさがることになると教えてはいけない。"システム"が崩壊しても、俺たちと取引をして首を保つことができると思わせておけ。この点について、ユダヤ人だけには幻想を持たせない。
大衆については、今日の支配構造にたいする彼らの態度がどんなものかを知るのはまだすこし早い。当然のことだが、ほとんどの大衆は信じるように教え込まれたことだけを信じる。ビールとテレビのセットだけを相棒にして放っておかれることを基本的に望んでいる。"システム"が浴びるように与えている映画雑誌とテレビのホームコメディが彼らの精神を構成している。

(読者への注意:"ホームコメディ"とは、旧世紀の末期に人気を博していたテレビ番組の一形式を指すらしい)

とはいえ、細心の注意をはらって、"システム"と俺たちにたいする大衆の感情を監視しておかなければならない。大多数の人間は自宅の冷蔵庫が空にならないあいだは"システム"を支持し続けるだろうが、俺たちは欠員を埋め合わせるために大衆から新兵を引っ張ってこざるをえないのだ。
目下の新兵を勧誘する能力の不足は、俺たち全員にとっておおいなる悩みの種だった。ワシントン地区でここ二か月間は一人も新兵が入っていないと噂になっている。そのあいだに約15パーセントの兵力が失われた。ほかの地区の状態がここまで悪くないことを願っている。
俺たちが勧誘しようとした人間のなかで、"保守主義者"と"右翼"は最大の失望を味わわせてくれた。やつらは世界最悪の陰謀屋だが、世界一の臆病者でもある。やつらの臆病風を凌駕するものは、やつらのまぬけぶりくらいしかないだろう。
保守主義者のあいだで流布している最近の陰謀論は、"組織"がじっさいは"システム"から金をもらっているという話だ。俺たちは雇われ工作員であり、"システム"が反革命と反レイシストの名分のもとにおこなっている抑圧的な施策に説得力を持たせるのが仕事だという。世の中の平和に寄与するのが仕事ならば、俺たちは気楽だっただろう。やつらがその陰謀論を信じていようがいまいが、それでやつらは俺たちに協力しない言い訳が立つ。
また別のセクトでは、紋切り型のリベラルが数年前の"断固としているが上品な"情熱をきれいさっぱりと忘れていて、いまや断固としているのは俺たちである。彼らはイデオロギーを"流行の"雑誌やコラムニストから注入してもらわなければならない。そして今まさに流行っているのは、"システム"への声をそろえた追従である。リベラルの人間のありかたは、洗練された知性を標榜している割になにも考えておらず、保守主義者に簡単に操作されてしまうみたいだ。
キリスト教徒については、いろいろだ。俺たちの勇敢なメンバーと最高の支持者たちにもキリスト教徒がいる。彼らの"システム"への憎しみは――俺たちが憎む理由にくわえて――"システム"がおのずから全キリスト教徒を侵食して堕落させているという認識に基づいていた。
だが、主要な教会の信徒に留まっている人間はみんな俺たちに敵対している。ユダヤ人がキリスト教会を乗っ取っており、牧師の堕落はもう現実的に完了している。日曜日がくるたびに宗教売春婦は"システム"の公式見解を会衆に説いて、政府の"研究"助成金、"ブラザーフッド"賞、講演会の契約の謝礼金、そして名声という形で三十枚の銀貨(訳中:イスカリオテのユダがイエスを売って受取った賞金)を懐に入れている。
リバタリアンも分裂しているグループだ。半分は"システム"を支持して、半分は敵対している。もっとも、全員が俺たちと敵対しているが。"システム"と敵対している連中も、"組織"より"システム"が大きな脅威だとたまたまみているだけだ。俺たちが信頼できる勢力になるほど、さらに多くのリバタリアンが"システム"を支持するだろう。このグループを活用する方法はおそらくない。
やれやれ、こうした諸々のイデオロギーに別れた人間の集団に食い込むのは望み薄である。新兵が募れるとしたら、まだどこにも関与していない人間からだろう。
"システム"の洗脳は稚拙なので、全国民の心が支配できているわけではない。プロパガンダを信じていないし、自分の欲望を満たすためだけに生活している動物並みの生き方にけっして引きずりこまれない、すばらしい人々がまだまだたっぷりといる。どうやったらその人たちに、俺たちに加わる気になってもらえるだろうか?
生活は日に日に悪くなっていくいっぽうだ。どんどんユダヤ的になっているが、いまだにそこそこ快適でもあり、快適さこそが堕落へのおおいなる導き手だ。腰抜けを育てる牧場主。今のところ、俺たちはアメリカにいる本物の革命家を自前のネットワークの範囲でのこらず捕獲してしまった気がする。もっとたくさん、もっと早く捕まえる方法をこれから学ばなければならない。

11月14日。今日はヘンリーがたずねてきて、月曜日にやった議事堂への迫撃砲攻撃の詳細を聞かせてくれた。関わった仲間はたった三人だったそうだ。ヘンリーと一人の男と一人の女。男は、迫撃砲の部品と砲弾をあらかじめ選定しておいた火点に運んでセットアップするのを手伝ってくれた。女は、小型の通信機を持って、議事堂から数ブロック離れた公園で観測の役目を果たしてくれた。彼女がヘンリーの助手に距離の修正を通信でしらせて、ヘンリーが砲弾を砲身に投入した。俺が計算した飛距離の設定はほぼ完璧だったらしい。
先月にアバディーン性能試験場から盗んだ81mm弾は使い果たしてしまったので、当座の間に合わせの砲弾を俺が作れないかとヘンリーは聞きたがった。その作業が困難なことを説明してやった。
爆弾ならつくれる――公平にみてもよくできた爆弾である。しかし、迫撃砲の砲弾となると別物だ。俺たちの今の能力ではあまりに複雑すぎる。俺が急ごしらえでつくれるかもしれないものは、本物にくらべて似ても似つかぬ、雑な模造品になるだろう。べつの武器庫を襲わなければいけない。もちろん多大なリスクをともなうが、そうしなければ二度と迫撃砲が使えない。
ヘンリーと話したもう一つの件は、この二、三日のあいだに発生した、一連の比較的に小規模な爆破攻撃のことだ。全国で百件かそれ以上の攻撃を実施した。ワシントンの四件がふくまれている。だが、いくつかの面で疑問がのこる攻撃だった。おもに標的の選定の面で――銀行、百貨店、企業の事務所――どうやら素人がやった作戦らしい。爆弾はそれぞれちゃんと起爆したが、そのうち一つは警察にみつかって失敗したようだ。
ヘンリーが俺の疑問に答えてくれた――すくなくともこのあたりでの攻撃については――"組織"の仕事でなかった。おもしろい話である。俺たちは意図せずして、穴ぐらで機を待っていた隠れアナーキストたちを触発してしまったらしい――あるいは神のみぞ、だれだかを知る。
メディアは例によってすべてを俺たちの仕業にしていた――稚拙な攻撃だったので、恥ずかしくなってしまう話である――しかし、この出来事それ自体はわるい展開でないだろう。秘密警察の仕事がますます忙しくなって、俺たちからすこしは気がそれてくれるだろうから。
無政府主義の蔓延が、"システム"ではなく、俺たちにとって都合がいい状況になってきたかもしれない。その無政府主義をずっと促進してきたのは"システム"自身なのだが。というのも、ほかならぬ俺が今日、ちょっとおもしろい体験をした。
第四部隊のちょっとした通信の問題を解決するために、俺はジョージタウンにいくことになった。かつてはワシントンでいちばんお洒落なエリアだったジョージタウンは、首都のほかの場所をアスファルトのジャングルに変えてしまったのとおなじ病気にここ五年間でり患して、台無しになってしまった。おおくの高級店が、ゲイバーや性風俗店、ポルノ映画館、酒屋、そして金持ちがつくった似たり寄ったりのベンチャー企業によって、取ってかわられてしまった。路傍にはゴミが散乱していて、以前はそこでみることがまれだった黒人がうじゃうじゃとそこら中にいた。
だが、まだ白人もたくさんジョージタウンに住んでいた――いちおうは。昔はオシャレだった住宅の窓に板が打ち付けられていたが、学校を中退したり家出をした若者が無断で住みついている家も多かった。
彼らは厳しい貧困のなかで生活していて、通りで物乞いをしたり、ゴミ箱で残飯をあさったり、時には窃盗もした。いきあたりばったりの売春に手を染める少女もいる。ほぼ全員が――今日まで俺はそう思いこんでいたのだが――恒久的に薬物に依存している。"システム"が薬物関連の法律を施行するのをやめたので、ヘロインが煙草のように安くて調達しやすいものになってしまった。

物騒なうわさもあるのだが、おまわりは通常、彼らをなすがままにしている。根城の内部、板張りされた建物のなかで、彼らは料理をして食べて、眠り、愛を交わして赤ん坊を産み、マリファナを血管に送り込んで、死ぬ。文明化されていない生活様式にもどったかのようだ。へんてこな宗教カルトがお香をたっぷりと燻らせながら、おまじないをこれでもかと流行らせる。古代のセム人の儀式をおもわせる、種々様々な悪魔崇拝がとくに目立つ。拷問の儀式と殺人の儀式がおこなわれていると密かにささやかれている。食人儀式、乱交儀式、そのほかの非西洋の悪習も。
野暮用を片付けてから――うちの自由奔放なメンバーを連れて行ったおかげで、ほかの部隊よりはジョージタウンで悪目立ちせずに済んだ――バス停にもどったときに、毎度おなじみの事件がおこった。二人の若いチンピラが――プエルトリコ人かメキシコ人にみえた――赤毛の女をドアのむこうに引きずり込もうとして、道端で争っていた。
賢明な市民は関わりあいにならないように通り過ぎていたが、俺は立ちどまって、一瞬目を止めてから、三人のところに近寄りはじめた。俺が接近しただけで浅黒い男二人の気がそれて、女が逃げるスキができた。男たちは俺をにらんでなにか悪態をついたが、女を捕まえようとはしなかった。女はすばやく誘拐魔との間に百フィートほどの距離をあけた。
俺は方向を変えて、自分の進路にもどった。女は歩みをゆるめて、後方の俺と距離を詰めてくれた。

「ありがとう」

彼女が言った。暖かい微笑みをちらりとみせて。ほんとうに魅力的な女性だったが、身なりは貧しくて、歳はせいぜい17才にみえた――ジョージタウンの"ストリートの人間"なのは明らかだった。

一緒に歩きながら彼女とおしゃべりをした。彼女から引き出せた最初の情報は、彼女が二日も食事をしていなくて非常に空腹なことだった。道端のダイナーに入ってハンバーガーとミルクセーキを彼女に買ってあげた。それでもまだ彼女は食べ足りないようだったので、ハンバーガーをもう一つとフレンチフライを買ってあげた。
彼女が食べているあいだに会話をすると、いくつかの面白い話が聞けた。一つは、ドロップアウトした若者の生活が俺の想像よりもさらに大変なことになっていたことだ。薬物をやっている若者の住処、薬物を固く禁止している若者たちの住処、人種が混ざった住処と白人だけの住処、男女のつり合いが取れた住処と、男だけの"狼の群れ"。カルト教団の系列でもグループが分れていた。
エルサは――それが彼女の名前――薬物をやったことがないといった。生活をしていたグループを、内輪の口げんかのせいで二日前に抜けて、俺たちが通りがかったときには"狼の群れ"のねぐらへと引きずり込まれるところだったそうだ。
最近のヘンリーと俺を悩ませていた爆破事件の犯人についても、彼女はすばらしい手がかりをくれた。彼女の友達のあいだでは当り前の話になっているようだが、ジョージタウンには"そういう豚箱ゆきの連中"の住処になっている場所が複数あるらしい。
エルサ自身は毛筋ほども政治的な人間でないので、爆破事件に万に一つにも関わっている様子がなかった。詮索しすぎて俺が警官だと疑われたくなかったので、その話についてそれ以上の情報をせっつくことはしなかった。
そういう状況なので、エルサを俺たちの司令部に連れていくような余裕はなかった――しかし、まだ誘惑と戦わずにいられなかった。別れ際に彼女へ五ドル札をわたすと、難なくどこかのグループに居場所を見つけられるからと言って、安心させてくれた。たぶん彼女は、出て行ったグループにもどるつもりだったのだろう。グループの居場所を教えてくれた。これで俺は彼女に会いにいくことができる。
夜になってから考えてみると、あのドロップアウトした若者たちのなかに潜在的に心強い仲間がいるのを、俺たちは見逃している気がした。一人一人はたしかに大したことがないが、一団として活用することができれば、あるいは。もっと検討するべきである。

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