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私の『名前』は…

年度末。ということはもうすぐ新年度。新年度は、新しい出会いがあり、自己紹介が飛び交う季節だ。

「○○です!趣味はパッケージの裏の成分表や注意書きを読むことです!」「○○と申します。動物好きの動物アレルギーでネコとデグーを飼っています。」…

どんな自己紹介をするにしても『名前』は必ず必要になる。当たり前だけど。 社会人の自己紹介なら『名前』は名乗るだけでいいけれど、子どもたちには+αなことがある。『名前』の意味だ。

小学生のとき、道徳の授業か何かで「自分の名前の意味をおうちの人に聞いてみましょう」というのがあった。しかも、それを参観日で発表するという、親子愛を試される授業。中学生でも「相手に名前を覚えてもらうために名前紹介をしよう」みたいなものがあった。高校はさすがになかった(通信制だったから?)が、大学時代にまた現れた。「就活面接で面接官に印象を残すため、自分の名前を説明しろ」というもの。あぁもういい加減にしてくれ!と叫びたくなる。

noteでの表記は平仮名にしているが、本名は 綾乃 と漢字表記である。さて、綾乃という名前にどんな理由やバックグラウンドがあるだろうか?両親はどうして『いろどりの彩』ではなく『糸へんの綾』を採用したのか?そもそも平仮名のほうがかわいいんじゃないか?小学生のとき、母に聞いてみた。

「綾乃の名前はお父さんがつけたんよ。やけ知らん」

おい、親父!離婚するときになぜ「綾乃という名前にした理由は○○だ」と一言母に説明して別れなかった!いや、そもそも名前付けたときに言うだろ!「○○だから、綾乃ってどうかな?」みたいな!母も「なんで綾乃なん?」くらい聞いといてよ!なんで気にならなかった!……ここで怒っても仕方ないのだけど、つい…すみません。

母曰く、女の子の名前は父親が、男の子の名前は母が考える、としていたらしく、父親が考えたいくつかの名前の中から綾乃がよさそうな気がしたから綾乃になったらしい。

「調べたら画数もよかったし」と言ってたが、私から言わせてもらうと、綾は画数多いし、乃は極端に少ないしでバランスとりにくい。綾は書き間違えられやすいし、乃は及に書き間違えられて、小学六年の一時期「あやきゅう」と呼ばれた。「糸へんの綾に、平仮名ののの漢字です」は理解されないし、「綾羅木の綾に、乃木神社の乃です」は「下関出身ですか?」と言われる(山口県あるある)。

いろいろ文句や不満のある『名前』だけど、父親との思い出がない私にとって、私の命と綾乃という名前は父親からの唯一の贈り物で、私に父親がいる/いたという唯一の証。だから、やっぱり『名前』は大切なものだと感じる。理由は結局わからないし、漢和辞典で調べたら余計に「おい親父!」となったけども。

児童虐待のニュースで犠牲になった子どもの名前に「愛」が入っているのを見るたび、そう思い返す。その子は自分の名前の意味を知っていたのだろうか。名前の理由を知っていたのだろうか。「愛」を知っていたのだろうか。名前をつけた親は、まだ赤ちゃんのその子に何を想ってその名前を呼んでいたのだろうか。『命』と『名前』を贈ったその子は、親にとって何だったんだろうか。と…。

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