〜厳島神社〜【世界遺産を色んな角度で見てみよう③】
こんにちは!永高の中学受験部屋です。世界遺産シリーズ第3回です!
世界遺産記事のマガジン連載はこちらからご覧ください。
今日ご紹介する日本の世界遺産は「厳島神社」です。
1996年に文化遺産として登録されています。
まずは場所から
厳島神社は、広島県廿日市市の厳島(通称宮島)にあります(上図の赤い島)
瀬戸内海にはたくさんの覚える島があって大変ですね、、、、
山口県に近くに厳島があることを押さえておきましょう!!
なんで登録されたの?
①寝殿造りを取り入れ海上に立地する建築景観
平安時代の代表的な建築様式である寝殿造りが用い流ことに加え、厳島神社は、世界で唯一海上に浮かぶ神社となっています
②周囲の環境に溶け込むという日本人の美意識の一基準となった建造物
社殿の前後の海と背後の原始林が残る弥山(みせん)も合わせて登録されています
③平安時代以降その姿を現代まで残している
平安時代末期に、平清盛の篤い信仰をうけ社殿が整えられて1168年ごろには今日の姿になったと言われています。
④日本の宗教である神道の施設である
593年に創建されたとされる厳島神社は、古くから神道の聖地であり、海上鎮護の神を祀る神社として崇められてきた。
知っておきたい関連歴史知識
①日宋貿易と厳島神社
平清盛は、大輪田泊(現在の神戸港)を整備し日宋貿易を行うことで多くの利益を上げました。
輸入品:宋銭(宋のお金)
輸出品:銅・硫黄・砂金・日本刀など
しかしながら、当時の貿易船は今のように安全に行き来できるものではなく、難破してしまう可能性が高かったのです。
そんな貿易船が無事に瀬戸内海を通行できるように、海上鎮護の神を祀る厳島神社は平清盛によって整備され、現在の姿になりました。
②日宋貿易の影響
⑴輸入品である宋銭の流入は、日本に貨幣経済をもたらしました
日本最古の貨幣である富本銭や和同開珎などがそれまでに作られてきましたが、貨幣の質の低下とともにあまり使用されませんでしたので、当時の日本は貨幣制度はあまり整備されていなかったのです。
日本に流入した宋銭は、貨幣経済をもたらした一方で、物価が乱れるなどの弊害もあり、平氏に対する不満を貯める一因にもなりました。
⑵宋との貿易をきっかけに仏教経典が日本に多く伝わり、鎌倉仏教に影響を与えました。
浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗という新6宗派が生まれる遠因を作ったといえます。
(鎌倉仏教の宗派・開祖・教義はおさえておく必要があるでしょう)
覚えておきたい地理知識
厳島神社のある宮島は日本三景の一つとされています。
日本三景
安芸(あき)(広島県)の宮島
丹後(たんご)(京都府)の天橋立
陸前(りくぜん)(宮城県)の松島
これらは江戸初期からいわれた日本を代表する三つの景勝地です。
終わりに
いかがだったでしょうか
厳島神社は、歴史にも地理にも絡められる世界遺産であるということが伝わっていたら幸いです!
次回もお楽しみに!!!!
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