時にはインタラクティブなヨガを
アーサナ(ヨガのポーズ)というのは、火に似ている。
もしあなたが、「火は危ない」ということだけを知っていたら、ろうそくに火を灯すことにもコンロを点火するにもいちいち怯えることになるだろう。防火マスクをつけているかも。
もしあなたが、「火は癒しだ」ということだけを知っていたら、キャンプファイヤー中、癒しの炎に誘われて、夏の虫と競いつつ飛んで火にいる黒焦げ人間になっていることだろう。
火の扱い自体は、何千年かの時をかけ、粗方マニュアル化されていて、全ての人間が当たり前の如く火を使役している。しかし一方で火を原因に亡くなる人もいるし、火の魔力に抗えず何かを燃やすことに執着してしまう人もいる。
別に火のことを甘くみていなくとも、状況と火の位置のめぐり合わせが悪かったことでたまたま事故につながってしまうこともあろう。だから完全に火を自分のコントロール下におけるなど努々思ってはならない。過度に危険視する必要はないが、常に何かの予測はしながら扱うべきである。
しかし、それでは緊張が続かないし、火の良い一面が見えなくなってしまう。怖い怖いと火を避けていては、火のもたらす素晴らしい恩恵をちっとも授かれない。
だからこそ、火の取り扱いに長けていてかつ、ちょっくら火傷もおった経験もある、一言の重みがありげな先人に、安全でかつ快適に使用する方法を学ぶのである。そして自分自身も小さな手負いを受ける程度の勉強は受けつつ、火をある程度コントロールできるようになったら、また誰かにその方法を伝授していく。これが現代まで連綿と続く知識の伝達である。
つまりはそういうことだ。
アーサナにはフィジカルにおいてもメンタルにおいても、癒し・危険・向上・低下など色々な側面を持ち合わせている。そしてその中のどの面が顔を出すかは、やってみないと分からないことも多い。10年後経ってのち、やっと身体の表面にその10年前のアーサナ効果が現れてくることもあるくらいなのだから。
今、ヨガ(アーサナ)を伝えるツールは爆発的に増えた。スタジオに通うだけではなく、オンラインやYouTube、アプリの数も留まることを知らない。それは現代の人々にとって本当に有益なことである。ばんばん使っていただきたい。
けれど一つ頭にとどめてほしい。一方通行のヨガ指導というものは、火の話でいうところの一般的なマニュアルにすぎない。「うちの家の庭でBBQする際、火の扱い方で気をつけるところがあるとしたらなんでしょう?」などのように、私個人の話には一切付き合ってくれないのである。あくまで一般的に言われるヨガの取り方を教えてくれるだけなのだ。一般的なアーサナの取り方でうまくいく人も多いだろうし、だからこそ一般的にマニュアル化されているのだと思うが、人間というのは、多様性を大きく超えてただ一人として全く同じ体なんてないのだから、その「一般的」という枠から外れていても全く問題ないし、案外思った以上に枠からはみ出ているものなのである。私自身も数年前にヨガ界隈で爆流行りしたアーサナ(これさえ練習してればオールOK!くらいの、誰しもがやるべきアーサナとしてもてはやされていたやつ)を信じてやみくもに練習していたら、実はそれが私の身体とはどうにも相性が悪かったらしくなかなかのバックラッシュを食らった(端的に言えば膝を痛めた)ことがあった。相性が悪かったと判明できたのは、流行りに流された自分を恥じつつ個人的に先生に相談したり自分で長い時間分析したりしたうえでの総合研究成果のおかげだ。まあこういう経験はヨガインストラクターの生業には多少役に立つが、自身のヨガプラクティスとしては全くおすすめしない。
とどのつまり、「ダウンドッグはお休みのポーズってYouTubeで聞いたんだけど、どうも私全然休めてないていうか腕辛いし膝伸びないし腰痛いし、ていうか全体的にまじきついんですけどお休みのポーズなんてどこのどいつが言ったんでしょうね、これって出来ない人の僻みになるんですかもはやこれどういう感情ですか自分でもわかりません」みたいな個人的な思いに応えてくれるのは、やっぱりあなたがいつも顔を合わせるヨガの先生なのである。インタラクティブな交流はやや貴重になりつつあるが、おろそかにしてはならないと思う。あなただけの火の取り扱い方を教えてもらうことは、あなたと火が良い距離感のまま長く付き合っていける力になる。そう、火は適切に使用できれば非常に有用だ。そして、アーサナも全く同じである。しかしその「適切な使用」とは、十人十色であるところがミソなのだ。ヨガの先生も完璧な存在ではないけれど、一人で悶々と格闘するよりはよっぽど良い。
最近スタジオ行ってないな~先生と顔を合わせてないな~という人、しばらく梅雨も続くらしいし、近くのスタジオにでも足を運んでみてはどうでしょう。グループレッスンだとしても、行く価値は山のようにあるし、勇気を出してクラスの後にあなた個人の質問をぶつけてみるのもいいかもしれない。