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一冊の重み

先日、一曲の重みという話を書きました。

今はサブスクだなんだとどんどん曲が流れてくるので、音楽の消費スピードが速くなっているという話を書いたのです。

そのあと本を読んでいて、「一冊の重み」というのも変わってきているなとふと思ったんですよ。いやこれは物理的な重量の話ではないですよ。

オットはあまり読書家ではないのですが、この数か月で突然人が変わったかのように本を借りてくるようになりました。オットは食べることが好きなのですが、世の中にはそういう料理小説たくさんあるじゃないですか。その中の一つにたまたま出くわして、それがシリーズ作だったのでそのシリーズを読み始め、さらにその作者の別の作品も借り…とどんどん広がっていったのです。

ただしオットが借りてくるのは基本的にごくごく軽いタッチのもの。極悪人も出てこないし殺人事件もないし、ちょっとした事件があっても最後は丸く収まりました的な、起伏があまりないストーリーです。そういうのをわざわざ借りてきているわけではなく、「料理」「小説」というキーワードで検索して出てきた作品を素直に借りているだけなので、つまりこの手の作品の母数がとんでもなく多いのでしょう。

今は公立の図書館でもクリック一つで予約が出来てしまうので、ネットで検索してヒットした作品も次々に「リクエスト」出来てしまうんですよね。そうすると、「リクエストされた本が届きました」というメールが来て取りに行くとドバっと渡される。期限内に読まねばならぬと思うとついじっくり読むのではなくバーッと読んでしまう。速読と言えば聞こえはいいですが、つまりちゃんとかみしめて読んでないんですよ。

土日の週末に5冊くらいはあっさり読めるのですが、あとから思い出そうとしても、タイトルも作者も登場人物も設定もぼんやりしているのです。これって、読んだって言えるのかなあ。

私は中学時代に海外にいたのですが、当時はもちろんインターネットなどというものはないし、メールもないどころか、ファックスもなかったんですよ。結果的に、日本から持ってきた少ない本を何度も何度も繰り返し読むしかなかったのです。おかげで、その当時家にあった本なら今でもかなり正確に覚えているのです。

…と考えると、「たくさん本を読みました」の「たくさん」って、作品数ではないのかもしれませんね。本屋に行くとおびただしい数の書籍に圧倒されてしまって、私の残りの人生であとどれくらい読めるのかしらと絶望的な気分になったりもするんですよ。でもこれからは、数多く読むのを目標とするのではなく、もっとしっかりと本と向き合うことを心がけたほうがいいのかな、と思ったりもしています。