#12 遺跡に学ぶ 本庄早稲田の杜ミュージアム(埼玉県本庄市)
本庄早稲田の杜ミュージアムは、本庄市と早稲田大学が2020年10月に共同開設された場所で埼玉県本庄市西富田にある。本庄市には旧石器時代から近世まで600箇所以上の遺跡があるそうだ。全国的にも珍しい盾持人物埴輪、ガラス小玉鋳型などを展示している。
埴輪と古墳の系譜〜西から東へ〜
埴輪のルーツは弥生時代の瀬戸内にあるようだ。
弥生時代後期:壺+器台
弥生時代末期:特殊壺+特殊器台(器台が円筒化)
3世紀後半:壺埴輪+円筒埴輪(器台が円筒化かつ下端部の広がりが省略)
4世紀:壺と遠投が一体化していく
3世紀中頃以降、近畿地方から全国に古墳が分布拡大し、本庄では3世紀後半には北堀新田前遺跡に前方後方墳が出現、5、6世紀には小型の古墳群が登場する。本庄の古墳群を群馬、埼玉エリアと比較した際には、小規模だが数では多い印象。
また群馬エリアは4-5世紀と前半部に大型古墳が多く、埼玉では埼玉古墳群など5-6世紀と後半部に大型古墳が多い印象。
本庄の中では小山川、元小山川、女堀川の流域沿いに古墳は集中しており、旭・小島古墳群、長沖古墳群のように旧石器時代の遺跡を取り囲むように古墳が発見されている。利根川の流域に古墳が少ない印象を持ったが、利根川周辺は発掘深度の観点からまだ未採掘な点も多いとのこと。
利根川下流では集落が発見された事例もあるようで、本庄市の中では国道17号―利根川流域のエリアにまだ見ぬ遺跡があるのかもしれない。
特徴的な「笑った埴輪」
埴輪としては前の山古墳の盾持人物埴輪が「笑った埴輪」として全国的にも有名。目は三日月型に切り抜かれ、口は大きい。大きな口には上下に何かが嵌め込まれていたと思われる跡があるようだ。
埴輪窯跡としては赤坂、宥勝寺裏、八幡山の三箇所が発見されている。関東地方の埴輪づくりは、西暦600年頃一斉に停止しているようで、その理由を知りたい。
ガラス玉から想像するシルクロードの道
薬師堂東遺跡では、ガラス小玉鋳型が出土した。鋳型は飛鳥時代に使われていたと目されており、鋳型に残るガラス成分を分析したところ、朝鮮半島の鉛ガラスが使用されていた。また長沖203古墳では出土した鋳型は、植物灰ガラスに銀箔を挟み込んだ構造になっており、ルーツはササン朝ペルシアにあるとのこと。シルクロードを通り、中国、朝鮮半島へ、そして埼玉県の本庄市へ。
シルクロードの終点である日本は、集積地でもある訳で、それを積年計測することで伝来の変遷、変容が分かるのかもしれない。
一つの市内に数百以上の遺跡があるのは純粋な驚きであった。
また残念ながら開発により消滅する遺跡もあるという課題についても付記しておきたい。