山川 えいき

博物館、記念館を訪ね歩いてます。歴史や文化を自分の中に感じれる生き方をしたいなと思います。 目指せ1000か所!投稿は学びと気づきメモです。

山川 えいき

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最近の記事

#31 電力の鬼と呼ばれて 松永記念館(神奈川県小田原市)

松永記念館は、電力王として知られた松永安左エ門(1875-1971年)の小田原自邸内に美術館を1959年に設けたのがきっかけ。 慶應義塾に学ぶ明治8年(1875年)に壱岐で生まれる。福沢諭吉の「学問のすすめ」に感銘を受け、慶應義塾への進学を志す。19歳の時、父が逝去し、中退して家業を引き継ぐが、2年ほどで弟に託す。慶應義塾では福沢諭吉が日課とした散歩に参加し、「散歩党」の常連となる。学生ながら日本勧業銀行の株取引で儲けたり、学生自治会の創設を提案したといったエピソードが残っ

    • #30 山中湖に佇む徳富蘇峰館(山梨県山中湖村)

      明治〜昭和にかけてのジャーナリスト・思想家・歴史家である徳富蘇峰(1863-1957年)が昭和7年以来、毎夏を山中湖畔の山荘「双宜荘」で執筆活動をしていたことにちなみ、山中湖村に徳富蘇峰館がある。 徳富蘇峰と山中湖徳富蘇峰がはじめて山中湖を見たのは1913年、御殿場青龍寺の和尚と膝栗毛にて付近を往来したのが最初であったようだ。1932年、山中湖畔の別荘に入居し、1945年まで毎夏「近世日本国民史」の執筆活動を行った。 山中湖畔の旭日丘は、蘇峰が命名したが、由来は「仰いで富

      • #29 三島由紀夫を考えるということ 三島由紀夫文学館(山梨県山中湖村)

        三島由紀夫文学館は山中湖畔に1999年にオープンした。直筆原稿、取材ノート、著書、映画、演劇資料等を所蔵する。山中湖自体は三島と無縁だが、公共機関での資料保存を希望していた遺族の意向と「山中湖文学の森」という施設建設の構想が合致したようで、この地に建設された。 以下は三島由紀夫文学館の紹介というより、最近思うことを徒然と。 豊饒の海ラストと市ヶ谷決起をどう考えるか三島由紀夫は1970年11月25日、憲法改正のため自衛隊のクーデターを呼びかけた後、割腹自殺した。三島由紀夫の

        • #28 富士信仰の変遷 ふじさんミュージアム(山梨県富士吉田市)

          ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)は富士山と共に歩んできた地域の歴史文化、民俗を紹介する場所で1979年に富士吉田市郷土館として開館した。2013年6月に富士山が「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録され、2015年4月にリニューアルオープンした。 遥拝としての富士山富士山を信仰する原初的なものは、遥拝信仰であったとされる。日本武尊が東征の折に富士山を遥拝したとされる大塚丘、富士山の方向に向けた祭壇、遥拝所がある山宮浅間神社などが有名。 平安時代

          #27 特攻起源の地 筑波海軍航空記念館(茨城県笠間市)

          筑波海軍航空隊記念館は、茨城県笠間市にある筑波海軍航空隊の記憶を語り継ぐ戦争ミュージアム。日本最大規模で現存する戦争遺構であり、陸海軍が行なった特攻の実行が最初に決められた地でもある。 海軍航空隊の創設海軍における航空研究は1909年7月に発足した陸海軍臨時軍用気球研究会が最初だった。1912年、海軍は独自の航空機運用が必要とのことで研究委員会を設置した。1916年、横須賀海軍航空隊を新設し、1927年、海軍航空本部を海軍省の外局とした。 筑波海軍航空隊は1934年、搭乗

          #27 特攻起源の地 筑波海軍航空記念館(茨城県笠間市)

          #26 天狗党の足跡を遺す 回天館(茨城県水戸市)

          回天館は幕末に天狗党が捕縛された越前国敦賀にあった16棟の鰊蔵の一つを移管したもの。天狗党関連史料を展示している。回天神社では、安政の大獄以降、国のために殉じた1,865名の志士を慰霊する。 桜田門外の変大老・井伊直弼を暗殺した桜田門外の変(1860年)は17名の水戸浪士と1名の薩摩士によって決行された。 関鉄之介(1824-1862)大子郷校の建設など水戸藩改革派として活躍。1858年井伊直弼に対する諸藩の決起を促すべく諸藩遊説するが十分な成果を上げられず、その後、高橋

          #26 天狗党の足跡を遺す 回天館(茨城県水戸市)

          #25 徳川ミュージアム(茨城県水戸市)

          徳川ミュージアムは財団法人水府明徳会によって運営される。水戸藩主に関する歴史博物館として1977年に開館した。 徳川ミュージアムについて1616年に徳川家康が駿府で亡くなり、形見分けとして「駿府御分物」が水戸徳川家に分与された。その後も歴代藩主及び関係者の使用品、蒐集物、輿入れ品などが増加していった。歴代藩主や関連の什宝は約3万点に及ぶ。また彰考館文庫の「大日本史」草稿本や、古文書類約3万点を所蔵する。 尚、水戸徳川家は石高35万石(当時)で、その分家としては守山松平家2

          #25 徳川ミュージアム(茨城県水戸市)

          #24 義公烈公を偲ぶ 義烈館(茨城県水戸市)

          義烈館は、常磐神社境内にある歴史博物館で、水戸学関係史料が展示される。常磐神社の御祭神は義公(徳川光圀)と烈公(徳川斉昭)で、明治7年に鎮座、明治16年には別格官幣社に昇格した。 義公(徳川光圀)について徳川光圀(1628-1701)は水戸藩第二代藩主。徳川家康の孫にあたり、御三家の一つである水戸徳川家を継承。水戸黄門。業績としては笠原水道・小場用水の親切、蝦夷地探検、社寺改革、大楠公碑建立、大日本史の編纂などが有名だ。 18歳の時に「史記」(伯夷伝)を読んで、1657年

          #24 義公烈公を偲ぶ 義烈館(茨城県水戸市)

          #23 最大規模の藩校 弘道館(茨城県水戸市)

          弘道館は、水戸藩徳川斉昭(9代藩主、烈公)肝いりで1841年に創設された藩校。藩校としては最大規模であったが、弘道館の戦い(1868)で文館、武館、医学館を失い、空襲(1945)で鹿島神社、孔子廟、八卦堂が消失。 創建時から現存する正門、正庁、至善堂が重要文化財(1964)に指定されている。至善堂は徳川慶喜が幼い頃に学び、大政奉還の後、恭順謹慎生活を送った場所でもある。 弘道館建学の精神弘道館は藩政改革の重要施策(学校の義)として開設された。1838年の「弘道館記」では建

          #23 最大規模の藩校 弘道館(茨城県水戸市)

          #22 貨幣と銀行の歴史 常陽資料館(茨城県水戸市)

          常陽資料館は常陽銀行創立60周年を記念し、郷土の歴史、芸術文化、金融経済に関する資料を収集し、展示する目的で1995年に創設された。貨幣のギャラリーと茨城の銀行の変遷が主な常設展示。 古代・中世708年、唐にならい貨幣「和同開珎」を発行。以降約250年間に12種類の皇朝銭が造られる。ただ改鋳するたびに材質が悪くなり使われなくなる。平安末期では中国から輸入した渡来銭が使われ始め、室町時代になると私鋳銭も作られるようになった。 近世戦国時代には金銀の精錬技術も進歩し、独自の金

          #22 貨幣と銀行の歴史 常陽資料館(茨城県水戸市)

          #21 生涯描いた作品は3万点 すみだ北斎美術館(東京都墨田区)

          すみだ北斎美術館では、葛飾北斎(1760?-1849)をテーマにした美術館で、2016年に開館した。 開館に至るまで葛飾北斎はその生涯の殆どを墨田区で過ごしたとされ、地域振興の一環として美術館の建設が平成初期に計画された。ただ2000年に財政難で一度凍結、2006年にスカイツリー建設が決定したのちに、計画が復活したという。 勝川派として浮世絵デビュー葛飾北斎は6歳から絵を描き始め、12歳には貸本屋で、14歳ごろには版木掘りで仕事をしていた。1778年に役者絵で人気を博して

          #21 生涯描いた作品は3万点 すみだ北斎美術館(東京都墨田区)

          #20 日本工芸の粋 刀剣博物館(東京都墨田区)

          刀剣博物館は日本刀を保存・公開し、日本刀文化の普及のため、日本美術刀剣保存協会の付属施設として1968年に開館した。元々は代々木にあったが、2018年に今日の墨田区横網に移転した。 日本刀の文化保存戦後、進駐軍が日本刀を武器として没収、廃棄しようとする中、1948年に日本刀の保存継承に向けて日本美術刀剣保存協会が設立された。 戦前から刀剣学を樹立し研究していた本間順治氏が、日本刀の美術面、鉄の文化財の側面を強調し、進駐軍を説得していった功績が大きい。その後、認定制度(19

          #20 日本工芸の粋 刀剣博物館(東京都墨田区)

          #19 震災と空襲を考える 東京都復興記念館(東京都墨田区)

          関東大震災(1923年)最多の犠牲者を出した陸軍被服廠跡に、犠牲者の遺骨を納める震災記念堂(1930年)、震災復興記念館(1931年)が建てられた。1945年の東京大空襲における戦災の犠牲者の遺骨も、この地に安置されることとなり、震災記念堂は東京都慰霊堂に、震災復興記念館は東京都復興記念館へと名称変更し、今に到っている。 関東大震災における被害関東地震は1923年9月1日11:58に発生した巨大地震で、震源域は神奈川県全域、相模湾、房総半島南部に至る相模トラフ沿いの長さ13

          #19 震災と空襲を考える 東京都復興記念館(東京都墨田区)

          #18 花火の歴史を学ぶ 両国花火資料館(東京都墨田区)

          両国花火資料館は、花火の歴史、技術を展示すべく、1991年に開館された。墨田区両国は、納涼花火大会発祥の地として有名だ。花火の歴史について学んだので簡単にまとめた。 江戸時代前期戦国時代(1543年)、種子島にポルトガル船が漂着し、鉄砲・火薬が伝来した。1613年、徳川家康は駿府城で日本人初の花火見物をしたらしい。 江戸時代になると花火の人気が盛り上がる一方で、火事防止のため禁止令が出るようになった。ねずみ花火の製造禁止(1648年)、市中での花火製造禁止(1653年)、

          #18 花火の歴史を学ぶ 両国花火資料館(東京都墨田区)

          #17 大正ロマンと漂泊 竹久夢二美術館(東京都文京区)

          竹久夢二(1884-1934)は、美人画で一世を風靡した大正ロマンを代表する画家。岡山県邑久郡(現、瀬戸内市)に生まれる。16歳で上京、1905年(22歳)、早稲田実業専攻科に進学するが4ヶ月で中退。月刊誌「中学世界」の懸賞に応募し、コマ絵「筒井筒」が一等入選。 画壇に属さず、独自の作風で日本画、油彩画、木版制作を行う。詩、童謡なども多く、まさに都市文化が花開く中、大衆芸術のスターであったと言えるかもしれない。恋のエピソードも多く、岸他万喜、笠井彦乃、佐々木カ子ヨとの恋愛な

          #17 大正ロマンと漂泊 竹久夢二美術館(東京都文京区)

          #16 肖像彫刻のプロ 朝倉彫塑館(東京都台東区)

          朝倉彫塑館は、彫塑界を牽引した朝倉文夫(1883-1964)の住居兼アトリエの地にある。彫塑(ちょうそ)とは彫刻(caving)と塑造(modelling)を合わせた言葉とのこと。肖像彫刻では代表作「墓守」が有名だが、明治の元勲、歴史上の偉人など400作以上の肖像彫刻を作った。尚、有名なロダンで120、ミケランジェロで80作程度らしい。 代表作「墓守」作成に至るまで朝倉は大分県大野郡池田村(豊後大野市)に生まれる。少年時代は剣道、柔道、生け花、碁、俳句、釣りなど趣味に費やし

          #16 肖像彫刻のプロ 朝倉彫塑館(東京都台東区)