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お墓って、誰のために、何のためにあるものでしょうか?

先日、知り合いのKさんから「お墓」に関してご質問いただきました。

個人的な相談でしたが、多くの方も共感できる疑問なのではないかと思いますので、Kさんの了承を得てQ&Aを書かせていただきます。

Q.「早島さん、こんばんは。お墓って、誰のために、何のためにあるものでしょうか?今日、お墓参りに行き、色々と考えることがありましたので、質問させていただきました。」

A.「お久しぶりです。お墓は誰のため?何のため?というご質問は、唯一の正解が出せない問題だと思います。それぞれの死生観や価値観に依存する部分が多いので、あくまで個人的な意見をお伝えします。

お墓は生きている人の為だと思います。
生きている人が手を合わせる場所が必要だったのだと思います。

「じぶん」が死んだ後どのようにして欲しいか?と考えた時に、現在であれば海に散骨して欲しいとか、樹木の元に埋めて欲しいなど考え、特に物質として残ることに、こだわりはないかと思います。

しかし「大切な人」が死んだ後にどうしたいか?と考えた時に、すぐに火葬して灰になったお骨を海にまきたい、と考える人は稀です。

少しの期間であっても、手元に置いておきたい、物質として手を合わせる場所やモノが欲しいと考えるのではないでしょうか。

お墓などではなく、海にまいたとしたら手を合わせる対象が広大であり漠然とし過ぎてしまう気がします。

ただ、価値観も変化しており、そのように自然に還っていく死生観を大切にする人々も増えてきているので、一昔前よりはお墓というモノにこだわる人が減ってきているのは事実です。

しかし海や山に散骨する人でも、一部を手元に置いておき、全てを散骨するわけではない状況を鑑みると、人は大切な人を弔う為に、何かその人を感じるモノや場所が必要であり、昔はその対象がお墓であり、そこに収めた遺骨だったのだと思います。

ということは、お墓という手を合わせる場所は生きている人の為であり、そこに大切な人を感じ弔う為に必要だったのだと考えています。」

このようにお答え致しました。

当然、異なるご意見の方も多々いらっしゃると思いますが、自分にとって墓や死生観を考える大切なきっかけとなった問いです。

また先日、AMラジオで小泉今日子さんが「お墓」に関してご自分の考えを話されていたことが、とても心に残りました。

小泉さんはお子様がいないので、最終的には墓じまいを考えている。このまま小泉家の墓を維持しようにも跡を見る人が居なくなってしまうので、自分が生きているうちに道筋をつけたい、とおっしゃっていました。

しかし「墓参りは好きだ」ともおっしゃっていました。

墓参りをすることで、気持ちの区切りがついたり、心が軽くなる。またお墓がある場所自体が凛としており、そこを訪れる事は好き、だと。

この「墓じまいを考えているが、お墓参りは好き」というのは妙に納得できる部分があります。

個別のお墓、または家の墓を維持していくことは大変ですし、少子高齢化の現代では早晩、破綻を迎えるシステムかもしれません。

しかし、だからといって死者を弔う心を無くしてしまう事は、人として大切な部分を失う事に繋がります。

各々が維持していくお墓ではなく、みんなで守っていくお墓が求められる時代なのだと感じました。
弔いの形、お墓の形が大きく変化をする過渡期の今、負担に感じることなく気持ちよく供養ができる方法を模索していきたいと思います。

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