曖昧な喪失と感情労働
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
どんよりとした空と蒸し暑さになんとなく疲れたような気になる今日この頃ですが、いかがお過ごしですか?
それでも、一日一日と秋が近づいてくると、ちょっとだけ感傷的になったりしませんか?
吐露される喜びと苦しみ
ある日、スタッフからこんな相談がありました。
夜勤の時、Aさんに、「俺の存在価値なんてないんだよ」って言われたんですよ。それを聴いて、これまでこの人と何ができるかって考えてきたけど、こんな苦しんでたんだって思ったら切なくてどう返していいかわからなくなっちゃったんですよ。
我々、対人援助職って、ご利用者さんから大切な思いを吐露された時って、戸惑い、心が揺さぶられますよね。
皆さんだったら、そのスタッフになんて言葉をかけようと思いますか?
僕は、こう言いました。
「Aさんは、○○さんには、話してもいいって思ったんでしょうね。すごいじゃない。それって、ただただ聴いてほしかったんだろうから、無理やり返答しなくてよかったんじゃない。」
だから、この後も話を伺って、本人がどうしたいのか考えられるようにしようねって感じの相談をしました。
そのスタッフは、正直自分に何ができるのかメッチャ悩んだんでしょうね。
少し気持ちが落ち着いたようで、自分が何かをしてあげなきゃって観念はどこかにいったようでした。
本当にできなくなっているのか ~手のひらに戻すには~
実際、Aさんは、そんなにできることはないかもしれないです。だからといって、僕らが当たり前のように代わりにやっていいって話ではないとも思います。
結局、自分がどうしたいか考えられるようにする。その人の手のひらに物事を戻すしかないんですよね。
その方が、援助者としての感情の統制もできると思うんだけどなー。
そんなことを悶々と考えていた時に、たまたま前の職場のOTさんと立ち話する機会がありました。
そしたら開口一番!
「Bさんが大変なんですよー」って。
なになに、どうしたどうしたってなるわけですが。
聴くところ、前に僕が担当していた神経難病のBさんが、この数か月で動きが悪くなってきたのに、輪投げしたいって個別リハをしなくなっちゃったらしく、引き継いだケアマネジャーから輪投げを禁止されて落ち込んでると。。。
なんで、専門職が課題を泥棒しちゃうんだろうって感じです。
やっぱり、何をするんでもいいけど、いくら調子が落ちてきたからって、どう向き合うのかは、本人の手のひらの上に戻した方がいいよねって話になりました。
心身の状態で喪失することはたくさんあれど、それに付随して二次的に喪失してしまう出来事。つまり知らず知らず、曖昧な感じで喪失していることに気がつかないといけないことが世の中たくさんあるよなって思うわけです。
専門職は、自分の課題だと履き違えず、その人に課題を返して、向き合うわずらわしさも共有したいなって思った次第です。
ちなみにヘタレな僕は自分の居場所や存在価値がない気がするって時には、人知れず行く公園がいくつかあって、取り留めもなく思案してるふりしてたりします。
では、また。