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留学・心理的サバイバル術(2)教室で発言できないのは万国共通

この記事は 留学・心理的サバイバル術(1)日本人留学生を取り巻く「神話」の続きです。

そもそも「教室内で(外国語で)発言できないのは日本人だけ」だと、どうして多くの人が強く思いこんでいるのだろう。それを明白な事実だと、疑う余地もないことだと、どんな根拠があって信じるようになったのだろう。日本国民の多くがこれを信じているのだとすると、ちょっと怖い。神話どころか、一種の洗脳のようだもの。

振り返ってみると、私が「日本人だけしゃべれない論」に最初に触れたのは、関西にある外国語大学に入学してからだったと思う。ネイティブ講師が担当する授業がたくさんあったが、彼らの多くは日本語を話せないので(日本に暮らしているくせに)、英語で授業は進む。ガンガン進む。学生の多くは、入学まではほとんど英語を話す機会がなかったので、急に話せと言われても、ましてや、なんでも自由に質問してこいと言われても、どうしていいかわからない。シーンとした教室にイラつくネイティブ講師たちは、繰り返し言う:

「Don't be shy.(恥ずかしがらないで)」
「Don't be afraid of making mistakes.(間違うことを恐れないで)」
「You should have your opinions.(自分自身の意見を持ちなさい)」

一見もっともなアドバイスに聞こえるかもしれないが、ここに見え隠れする講師の「日本人の学生評」はかなりネガティブなものである:

「あなたたちは(話せるくせに)恥を恐れて話さない」
「あなたたちは(話せるくせに)ミスを恐れて話さない」
「あなたたちは(話せるくせに)意見がないから発話しない」

こんなふうに繰り返し言われていると、恐ろしいことにいつのまにか自分でもそうなんだと思い始める。自分も、自分の周りも、ヘタレばかりだと思い始める。勇気を振り絞って話そうとしない自分が情けなくて仕方ないし、日本人クラスメートのことも(自分のことは棚に上げて)情けなく感じちゃう。

今から思うと、そんなわけはない。「教室で積極的に話さない」理由はほかにいくつも見つかる。当時の私に限って言うと、こんな理由が思い当たる:

「そもそも講師が言っていることが聞き取れないので答えようがない(⇒リスニングスキルの問題)」

「英語で発話することに慣れていないので、発声・発音に自信がない(⇒ スピーキングスキルの問題)」

「言いたいことを瞬間的に英作文することができない(⇒語彙・文法力の問題)」

「大人数の前で自分の意見を言ったり、先生に質問することなど、日本語でもやったことがほとんどない(⇒教室内コミュニケーションの問題)」

「ネイティブ講師が期待している質問や意見がどんなものか、想像ができない(⇒異文化コミュニケーションの問題

「帰国子女など、英語が上手なクラスメートの前でみっともないところを見せたくない(⇒教室内レベル格差の問題)」

「講師の態度や教室内の雰囲気などが友好的ではないので、挑戦することが怖い(⇒心理的安全性の問題)」

実際はもっとたくさん、人の数だけ、異なる組み合わせの理由があるはずだ。

いろんな問題がからみあう特殊な環境、それが「英語で発言が求められる教室」である。それがいったいどんなものなのか理解するために、以下のような架空の状況を思い描いてみよう:

あなたが習得しようと学んでいる途中のスキル、例えば書道でもピアノでも料理でも歌でも何でもいいが、それをクラスメートの前で披露することが求められるとしよう。1時間の授業の中で、講師から突然指名されて、何回も何回も。しかもその場で即興で披露することが求められる。挙手して自分から「今すぐ披露させてくれ!」とアピールすることも重要だ。そして、講師もクラスメートも、あなたがいかに間違いなく披露できるかに注目している。

これだけでもたいがい地獄のような状況だが、書道やピアノや料理や歌なら、たとえ大失敗しても馬鹿には見えないだろうし、あなたがどんな人間か誤解されることもないだろう。でも、言葉はどうだ。言語は私たちの人格を、知性を、もろに表現してしまう。発展途上の言葉は、私たちを幼稚な、無礼な、退屈な、単純な、無知な、もしくはイジワルな人間に見せてしまう可能性がある。

また、講師よりもある意味おそろしいのは、よくできるクラスメートの目である。彼らは悪気はないのだろうが、自分よりも話せない人たちをどこか下に見ている(ように見える。ほんとのところはわからないけど)。特にネイティブスピーカーたちや、それに匹敵する語学力を持っているクラスメートは厄介だ。良かれと思って、講師と同じように「Don't be shy!」とかアドバイスしてくる。尋ねもしないのに、なんで同級生にアドバイスされねばならんのだ。それこそが下に見ている証拠である(ように見える)。

習得中の不完全なスキルを、自分よりよくできる人の前で、即興で繰り返し披露することは、大きなストレスがかかるものだ。その上、そのスキルが外面的なものではなく自分の内面をさらしてしまうとすれば、そのストレス度はマックスになって当然だろう。なのに「Don't be shy!」だと?「Don't be afraid of making mistakes! 」だと~!(そう言っているネイティブ講師が、日本語で「ありがとう」すら言おうとしないのに気づいたときは衝撃だった。”恥ずかしい”のだそうだ)。

このように「教室内で(外国語で)発言できない」のは、それ相当の、複雑な理由がある。なので、もちろん、日本人やアジア人だけに限ったことではない。私が個人的に目撃しただけでも、カナダ人、イギリス人、オーストラリア人、アメリカ人と、いろんな国の人が困っていた。ドキドキして、言葉を失っていた。

なので「日本人だけしゃべれない論」の変な呪縛から、洗脳から、解放されようではないか!私たちは、世界中の人たちと同じ、当たり前のストレスを受けて、当たり前に困っているだけだ。話せるくせに話す勇気のないヘタレ集団では、断じてない。

・・とは言え、できればもっと話したい。話したほうが楽しいもん。

という気持ちもよーくわかるので、次回のテーマは「少しでも教室で話すための戦略」にします。乞うご期待。


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