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『夜の大捜査線』関連、キャスト&スタッフ

シドニーポワチエが亡くなっていた。
このニュースを私が知ったのは1月9日で、ウイキでは、シドニーポワチエの死去日は今年の1月6日なっている。

それで。
『夜の大捜査線』に関連して、主に映画撮影で使われた初のズームレンズ撮影について、前記したことがあるが、
今回は、更に。他のことを書いてみたい。

先ず。
黒人俳優のアカデミー賞受賞者に関して。
シドニーポワチエは、アカデミー賞主演男優賞を受賞した、初めての黒人俳優(1963年『野のユリ』で)、で。
その他に、黒人俳優でアカデミー賞主演男優賞受賞者が、4人いた、ということを、『ノマドランド』→クロエジャオ→フォレストウイテカーで知った。これも、前記。
二人めのデンゼルワシントンの受賞が、
2001年(『トレーニングデイ』)だから、随分と間が空いている。
三人めがジェイミーフォックス(2004)、
四人めがフォレストウイテカー(2006)。
因みに。
黒人俳優での初めてのアカデミー賞受賞者は、『風と共に去りぬ』(1939)での助演賞受賞のハテイマクダニエル。
で、黒人女優で初めてのアカデミー賞主演女優賞受賞者はハルベリー(2002『チョコレート』)
・・のはず。
更に。モーガンフリーマンは、アカデミー賞助演男優賞受賞者だった。 2005年『ミリオンダラーベイビー』で。
https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/a235226/cfe-cfe-oscar-actorandactress-170227/

アカデミー賞というもの、ひいてはアメリカ合衆国という国を考えさせられる、と思う。

次に。
『夜の大捜査線』の編集者、ハルアシュビー。
ハルアシュビーは、この『夜の大捜査線』でアカデミー賞編集賞受賞。
だが、1970年(アメリカでの公開)、『真夜中の青春』で監督に進出。
検索してみたら、この『真夜中の青春』の製作者がノーマンジュイソンだった。。!
ハルアシュビーは、『帰郷』(1978)でアカデミー賞監督賞にノミネート、だが受賞せず。
1976年の『ウデイがスリー/わが心の故郷』でアカデミー賞作品賞にノミネート、だがこれまた受賞せず。

そして、撮影カメラマンのハスケルウエクスラー。この人も有名だ。(私にとって)
この人に関しても前記した。
1966年『ヴァージニアウルフなんかこわくない』と、1976年『ウデイがスリー/わが心の故郷』で、アカデミー賞撮影賞受賞。
(アメリカの?)国際撮影監督協会(ICG)による、最も影響力あった映画撮影カメラマンの一人に、2003年選出されている。
このICG選出の撮影カメラマン達に関して、私は前記した。
そこで、ハスケルウエクスラーの師匠が、中国出身アメリカ人ジェームスウオンハウで、更に、ジェームスウオンハウの師匠が日本出身者のヘンリー小谷だった。。!、
ということを知ったのだった。
ヘンリー小谷という人、私は全くノーマークだったから、これには驚いた。
現在使用されている映画界用語、ロケハンとかシナリオとかは、このヘンリー小谷が松竹に招かれて来て、普及したもの、だそうだ。演劇興行だった松竹が映画製作に進出したのは1920年。
このヘンリー小谷という人に関して、書いてみたいと、去年から思ってはいるまま、年を越してしまっている。(^^;
ともかく。改めて、ここに書いておく次第。




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