『ショーシャンクの空に』町山智浩単行本未収録傑作選10 90年代編4
文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2006年6月号
1956年10月、ハンガリーで革命があった。第二次大戦以来続いたソ連と共産党の圧制に対して学生や労働者が蜂起、ソ連軍の戦車が首都ブタペストに進軍し、国会前広場に集まったデモ隊に発砲、100人が死亡した。怒った民衆は共産党書記や秘密警察官を襲って死体を木に吊るした。11月、ソ連が極東から大部隊を投入。2万人近い死者を出して動乱は鎮圧された。反乱に関わった1200人が処刑され、20万人が国境を越えて西側へ亡命した−−。
●ゲテモノ映画監督の反骨心
59年、フランスの難民キャンプで生まれたフランク・ダラボンは赤ん坊の頃にアメリカに移住、少年時代をハリウッドで過ごし、毎日のようにハリウッド大通りの映画館に通い、テレビを観て育った。「『トワイライト・ゾーン(邦題:ミステリー・ゾーン)』やフランク・キャプラの映画に夢中になった。どちらも“おとぎ話”だけどね」
キャプラの『素晴らしき哉、人生!』(46年)の主人公は貧しい移民や黒人のため悪辣な資本家と戦う。『トワイライト・ゾーン』のクリエイター、ロッド・サーリングはユダヤ系で、人種差別主義者を懲らしめる話を多く作っている。貧しく弱き者が強く大きな支配者に勝つ、そんなアメリカん・ドリームはおとぎ話でしかなかったのか。しかし、圧制からの亡命者の息子ダラボンはそんな夢に魅了され、怪奇小説やホラー映画にのめりこんでいった。
80年、高校を卒業したダラボンは、大好きなホラー小説家スティーブン・キングが短編の映画化権を自主制作の学生映画に限り、たった1ドルで許可しているのを知り、手紙を書いた。彼が映画化した『312号室の女』は、主人公が牢獄のような病室に囚われた母を楽にしてやりたいと思い悩む小説だった。完成には3年かかったが、完成したテープを観たキングは「観て驚いた。そして、泣いた」と賞賛した。
同じ年、ダラボンは『ヘルナイト』の製作助手として雇われ、B級ゲテモノ映画の世界で4年間働きながら、映画つくりのノウハウを学んでいく。
87年に『エルム街の悪夢』の3作目『惨劇の館』で脚本家デビュー。チャック・ラッセル監督と意気投合し、Z級映画のリメイク『ブロブ/宇宙からの不明物体』(88年)でもコンビを組んだ。そして3作目の『ザ・フライ2/二世誕生』(88年)は、『蝿男の恐怖』のリメイクの続編。ダラボンはゲテモノ映画界の便利屋にすぎなかったが、そんな映画のなかでも、医者や学者の冷血な官僚主義を痛烈に批判した。キャプラやサーリングから引き継いだと覚しき反骨精神ではないだろうか。
時を同じくして、ダラボンは初監督長編映画を企画する。その作品はまたもキングの作品を原作とした。中編集『恐怖の四季』から『刑務所のリタ・ヘイワース』。『312号室の女』に感動したキングはすぐに了解した。
ダラボンが完成までに5年を費やした『ショーシャンク』の脚本は、セリフや細部の描写まで原作に忠実で、ダラボンの創造したシークエンスは2箇所だけ。それでいて、映画にしかできない視覚的反復とトリック、メタファーを数多く忍ばせていたのだ。
●2人の終身囚
第二次世界大戦が終わった翌1946年、銀行の副頭取アンディ・ダフレーン(ティム・ロビンス)は車の運転席に座って、苦しげな表情で拳銃を手に取り、ウィスキーをラッパ飲みする。彼は自分の妻とプロゴルファーが今まさに浮気をしている小屋の前にいるのだ。
「ダフレーンさん、奥さんが殺された晩、どんな口論をしましたか?」
場面は法廷に変わり、検事は被告席のアンディに尋問する。
「妻は浮気がバレたのを喜んで、離婚したいと言って、私は拒否しました」
アンディは自殺しようと拳銃を買ったが、死にきれず、拳銃を川に投げ捨てて家に帰ったという。しかし翌日、アンディの妻と浮気相手は射殺死体で発見され、容疑者としてアンディが逮捕された。彼は泥酔していたのではっきり罪状を否認できない。
アンディに判決が下される。
「この冷酷で無慈悲な男を、各被害者ごとに1回ずつ、計2回の終身刑に処す」。裁判官が小槌を振り下ろす。
ダン!
1度の終身刑なら仮釈放の可能性もあるが、2度となると一生刑務所から出るのは不可能だ。
画面が暗転し、もうひとつの審判の場に移る。もう1人の主人公、終身囚レッド(モーガン・フリーマン)の仮釈放審査だ。
「君はすっかり更正したと思いますか?」
「もちろんです。私は生まれ変わったんです。神に誓って」審査官は釈放申請書にスタンプを打ち下ろす。
ダン!
「不許可」
●囚人としての再臨
「どこの刑務所にも私みたいな男がいる。なんでも調達屋だ」
レッドを演じるモーガン・フリーマンのナレーションが流れる。キングの原作の1行目だ。原作のレッドはアイルランド系特有の赤毛のせいでレッドと仇名されているが、ダラボンがキャスティングする際にふとモーガン・フリーマンのイメージが湧き上がって、振り払えなくなったという。ダラボンは撮影前にフリーマンのすべてのナレーションを録音し、撮影時にはそのナレーションに合わせて俳優たちに演技させた。フリーマンの深く哲学的なバリトンの声がなければ『ショーシャンク』がこれほど愛される映画になったかどうか。
レッドの収監されたショーシャンク刑務所に、アンディを乗せた囚人護送車がやって来る。古参の囚人たちは新入りのうち誰が最初に「壊れるか」賭けをする。レッドは「給水塔みたいなノッポにタバコ10本」を賭けた。アンディのことだ。「風が吹いたら倒れそうな奴、それがアンディの第一印象だった」とはレッドのモノローグ。
刑務所長サミュエル・ノートン(ボブ・ガントン)が演説する。
「私が信じるものは2つ。規律と聖書、これらを諸君らに与えよう。神を信じなさい。しかし、貴様らのケツは私のものだ。ショーシャンクにようこそ」
ノートンは神の名の下に売春や収賄や魔女狩りや異端審問などで暴虐の限りを尽くした中世の聖職者を思わせる。新入りたちは全裸に剥かれ、消火用ホースで体を洗われ、DDT(シラミ駆除剤)を振りかけられ、所長の言ったとおり聖書と青い囚人服を渡され、全裸のまま自分の独房に行かされる。
「最初の晩はキツいもんだ。おぎゃあと生まれた日みたいに素っ裸で歩かされ……」とレッドが解説するように、これは再誕のメタファーだ。そして、囚人としての人生が始まるのだ。
●三姉妹とロック・ハンマー
運動場でアンディはレッドに初めて話しかける。
「あんたは女房殺しの銀行屋だな」
「僕は無実だ」
「ここの連中はみんな無実さ」レッドは笑う。
「ところで、あんたは何でも調達してくれるそうだね」アンディは運動場の石ころを拾いながら言う。「ロック・ハンマーが欲しいんだ。ミニチュアのツルハシで、石の収集に使う。僕は鉱物集めが趣味なんだ」
「それで誰かの頭をカチ割るんじゃないだろうな。みんな噂してるぞ。『三姉妹』がお前さんを狙ってるって」
「三姉妹」とはバッグズ(泥沼という意味がある)を頭とする3人組で、若い囚人を輪姦するので恐れられている。
「連中に言ってくれ。僕はホモじゃないって」
「奴らもホモじゃないさ。奴らは他人を屈服させるのが好きなだけだ」
「たとえ奴らに襲われても、ハンマーで殴ったりしないよ」
「じゃあ、そのハンマーで壁にトンネル掘って脱獄しようってのか?」
アンディは笑った。「現物を見たらわかるよ」後日、入手したロック・ハンマーの現物を見てレッドも笑い「これでトンネル掘ったら600年はかかるな」とアンディにハンマーを渡した。
しかし「三姉妹」についてはレッドの警告どおりになった。洗濯場の裏でアンディがバックズたちに犯される現場を目撃したカメラは、見なかったふりをするように後ずさり(トラックバック)して去っていく。その代わりにレッドのナレーションが語る。
「アンディは抵抗して逃げ延びてめでたしめでたし、と言いたいところだが、刑務所はおとぎ話とは違う」
それから2年もの間、アンディは犯され続けた。奇跡が起こるまで。
●屋上の晩餐
ある日、車のナンバープレートを作る工場の屋根の修理の命令が下った。塀に囲まれた日々からわずかな時間でも抜け出せると、アンディとレッドをはじめ13人が志願した。しかし屋根の上で熱く溶けたアスファルトをモップで塗る作業は思ったよりも辛かった。
彼らを見張りながら、看守長ハドリーは、死んだ兄貴から100万ドル近い遺産を相続するが、ほとんど税金で取られてしまうと嘆いていた。するとアンディが突然、こう言った。「ハドリーさんは奥さんを信用してますか?」
ハドリーはバカにされたと思い、「転落事故で死にたいらしいな」とアンディを屋根から落とそうとする。しかし、落ち着き払ってアンディは言う。
「配偶者への財産贈与は一度だけ、6万ドルまでなら無税なんです。私が喜んで手続きを手伝いますよ。その代わり、私の同僚たちにビールを飲ませてやってください」
かくして、49年の春、屋根の上の囚人たちは腰を下ろして冷えたビールを飲んだ。アンディは、無からビールを取り出して見せた。それは、イエス・キリストが水をワインに変えた奇跡を連想させる。キリストにとってもそれが最初の奇跡だった。偶然ではないだろう。ビールを饗した屋上の囚人仲間は、キリストと最後の晩餐をともにして、彼の伝説を後世に語り継いだ使徒と同じ12人なのだ。
「アンディだけはビールを口にせず、奇妙な笑みを浮かべて私たちがビールを飲む姿を見ていた」
キリストも自分ではワインを飲まなかった。原作者キングは、清教徒の伝統があるメイン州で育った信心深いキリスト教徒だが、原作の宗教性はそれほど強くない。しかしダラボンはセリフや映像でアンディがキリストのメタファーであることを強調していく。
●リタ・ヘイワース
夜の独房で、アンディは壁に彫られた彼の前の住民の名前を見て、その横にロック・ハンマーで自分の名前を刻み始める。頭文字のAを彫ったところで突然カットされ、場面は刑務所内での映画上映に切り替わる。
上映されているのは、アンディの妻殺しと同じ1946年に製作されたフィルム・ノワール『ギルダ』だ。アメリカから南米某国に流れてきたジョニー(グレン・フォード)がカジノのボスに片腕として雇われるが、ボスが囲っていた美しい歌手ギルダ(リタ・ヘイワース)と恋に落ちてしまう。この映画でリタ・ヘイワースは全米の男性を魅惑し、Love Goddes(愛の女神)と呼ばれた。ギルダが妖艶に髪をかき上げると、男ばかりの囚人たちは「おおおお」とうめき声をあげる。
「彼女が手に入るかい?」
映画に見とれているレッドにアンディが頼んだ。リタ・ヘイワースのポスターが欲しいというのだ。沈着冷静なアンディらしくないが、彼だって男なのだ。レッドは注文を受けた。
原作で上映される映画は『ギルダ』ではなく、ヘイワースとなんの関係もないアル中の悲劇を描いた『失われた週末』(45年)だったが、パラマウント映画の使用権が高くて使えなかった。
「そうしたら『ショーシャンク』を配給するワーナーの古い映画が無料で使えることになった。そのなかにヘイワースの代表作『ギルダ』があったんだ」
『ギルダ』はヤクザのボスに囲われ、自由を奪われたジョニーとギルダが2人で南米からアメリカへと逃亡する物語だ。それはアンディとレッドのその後も暗示している。
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