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(11)〝デジ力〟の前に〝読書の筋力〟―「よく読む子」に育つ5歳頃からの本好き大作戦 ~ハリポタ前夜編~

 つづきです。

 さて、ここからは本好きに「仕上がる」とはどういうことか…というお話ができればと思います。
 

〈「年間○百冊」読むような人は完全に〝仕上がって〟いる〉

 
 テレビなどでたまに「有名人の○○さんは大変な読書家で、年間で○冊読むそうです」…というようなエピソードが紹介されたりしますよね。
 そうすると周囲が「すごい」「勉強家ですね」と褒めたりして、本人が「そんなことないです」と謙遜したりします。
 私ももちろん素晴らしいと思います!
 ですがこれ、本人は本音だろうといつも思うのです。
 人から褒められるために読んでいるわけではないでしょうし、向上心からの選書もあるでしょうが、基本的には好きだから読んでいる…のではないでしょうか。
 忙しそうなのによくそんなに読めるな・・・と思うかもしれませんが、物理的な時間の使い方はさておき、メンタル的には完全に「本は自分を楽しませてくれる」「よい影響を与えてくれる」と確信している・・・つまり本好きとして「仕上がって」いるのだと思います。

 そういう人はたまたま読んだ本が少しくらい期待はずれでも、「また次の本」と気軽に次の一冊を選ぶことができるので、大抵は常に読みかけの本があり、気がついたら年間○冊になっていた・・・ということではないでしょうか。
 もちろん、読むスピードも速いはずです。積み重ねの結果だと思います。
 
 この方達がいつどうやって「仕上がった」のかは聞いてみないとわかりませんが、きっと読書歴のある時期、完全に本に没入して充足感を味わった経験があるのだと思います。
 

〈本好きの「本棚」が気になったことはありませんか?〉

 
 テレビやインターネットなどでいわゆる「識者」と呼ばれる方々の部屋が映る際、壁一面に本棚がど~んと備わっている様子を見たこと…ありませんか?
  いうまでもなくその方達は、手にした本を簡単に手放さず「すぐ手が届く場所」に置いてあるということ。「確かあの本に書いてあったな」と思った時にすぐ調べられたり、「この話好きだったな・・・」と思い出した時に気軽に読み返せたり。
 
 知識や元気を与えてくれる本を大切な物として可視化し身近に置くことで、本から受ける恩恵を最大限に引き出しているのが、そういう方達にとっての「本棚」かなと思います
 
 現代ではキンドル版という読書の選択肢もありますが、常に物として、実態として手元に「本がある」という状況は、やっぱり在宅の際は便利ですし、意外なほど人を温めてくれるものだと思います。
 
 特に子どものうち…読書の筋力を鍛えている段階では、「検索すればいい」のではなく、物としての本に愛着を持つことも「よく読む子」になる秘訣ではないでしょうか。
 子ども達にも本への愛着を持ってもらえたらな・・・なんて思います。
 
 

〈最初は読み切れなかったあのファンタジー〉

 
 さて、私がずっと書いていきているこの「本好き大作戦」に終わりはあるのか…というお話を(7)でしたと思うのですが、その際、終わりというものはないけれども「我が家の長女の場合、『本を勧める親としての仕事は終わった…』とはっきり思える出来事があった、という風に書きました。
 
 そのお話を、今からしたいと思います。
 
 私が長女と「本好き大作戦」に取り組んでいた時期、「この子を必ず本好きに仕上げよう」・・・と特に意識していたわけではありませんでした。
 魅力を伝えたいな、好きになってくれたらいいな…という一心。
 
 ただ振り返ってみると、長女はあの時「仕上がった」=「本が楽しいと確信した」のだろうなと思えるエピソードがあります。
 
 小学3年生のころでした。
 当時お気に入りだった天才少年の科学探偵シリーズも刊行分は読み切ってしまい、「次はどうしよう・・・読み始めたら自動的に1年くらい読んでいられるような(そんな都合のいい)長い物語はないものか」・・・と私は考えていました。
 
 そしてある日ふと、自分が若い頃寝食を忘れて読みふけっていた名作ファンタジーを思い出したのです。
 
 そう、ハリー・ポッターです。
 
 ハリー・ポッターシリーズの全7作(4巻以降は上下巻なので全部で11冊)が次々と出版されていた時、私は20代でした。
 第1巻では11歳だった主人公ハリーは最終巻では18歳の青年に成長し、私は「自分が主人公と同年代の時にこの本があったら、もっとワクワクしながら一緒に冒険できたろうな…」と少し残念に感じていました。物語に没入できる大きな条件として、主人公と年代や環境が似ていること…がありますから。
 そして20年以上以上が経ち、目の前に娘がいたのです。
 
 ―そうだ、これを読ませよう!
 ―というか、子ども時代にこの本を読めるなんて羨ましい
 
 そう思い、ハリポタ全巻を子どもの本棚に並べて長女に言いました。
この本おもしろいから、興味があったら読んでみてね…

 あくまでさりげなく、映画化もされている有名なファンタジーであること、11歳の子が主人公だから共感しやすいだろうこと・・・を伝え、軽い紹介をするにとどめました。
 本当はゴリ推ししたかったのですが、それをやったらおしまいなので自制
 長女は「ふ~ん。暇な時読んでみるね」という反応でしたが、第一段階としてはまぁこんなものだろうと思いました。
 
 

〈期待した時に読まなくても「ガッカリ」は伝えない〉

 
 ところが、結果からいうと長女は、3年生のうちにハリー・ポッターを読むことはありませんでした
 実は一度手に取ったことがあるのですが、自分の環境とはまったく異なる魔法世界がうまくイメージできないのと、習っていない漢字が多いことで(読み仮名があっても)ちょっと疲れてしまったようなのです。

 最終刊までずらりと並んだ本の迫力(?)に圧倒されたのもあり、1巻の途中、数10ページほどで中断。この時は私も「早かったかな…」と何も声かけはしませんでした。
 
 この、「読まないことに対してあえて声かけをしない」という判断は正しかったと思います(何度もどうして?と言いたくなり…精神的にギリギリの選択ではありましたが)。
 
 もし同じような状況があった場合、周囲の大人が控えるべき言葉があると思うのです。
 「あれ、つまんなかった? ママは好きなんだけど・・・」
  という「がっかり」を伝える言葉です。
 「じゃあ読まないんだね。ママ自分の本棚にしまっちゃうから!」なんて、もってのほかかな…と思います(一瞬やりかけましたが・・・)。
 
 こうなると本自体の内容は関係なく、「本を通して親子がネガティブなやりとりをした」という事実が残るだけなので危険だと思います。
 今後本を勧める時、子どもが「おもしろがらなければママが不機嫌になるかも・・・」とストレスを感じることにもなりかねません。
 
 本棚にそっと並べておけば、勧められたことは覚えていて、いずれ手にとるかもしれない。
 当分は、壁の絵でも構わない。家でよく見かけるおなじみの本…程度でも、身近に感じてくれれば可能性はある。
 それが1年後、2年後・・・たとえ10年後だったとしても、本人に合ったタイミングならそれでいいんです。
 できれば、このおもしろさは自分で見つけてほしい。
 そうしてこの時私は「いずれ読むかもしれない」可能性にかけてひとつのことを決めました。
 
 ―ハリポタの映画はまだ見せないでおこう。
 
 そしてこの時はまだ、1年後に「子どもとハリポタ」が起こした奇跡のような光景を見ることができるとは、まったく思っていませんでした。
  
 
 つづきます。

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