【映画】年齢を重ねてよかったこと…たとえば再鑑賞した『ニュー・シネマ・パラダイス』の感動が何倍にも膨らんでいたこと
観る年代によって深まる味わい
【ニュ-・シネマ・パラダイス】
(1988年/イタリア/監督ジュゼッペ・トルナトーレ)
■ジャンル/映画、郷愁、人間ドラマ
■誰でも楽しめる度/★★★☆☆(叙情的な話が好きな人、ある程度の年代の人向けかも)
■後味の良さ/★★★★☆(素晴らしいラストだが、人生のほろ苦さも)
(個人の感想です)
※以下、映画の内容にふれます
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■10代、20代では持ち得なかった「郷愁」というもの
どんなに頭がよくても、どれだけ勉強しても、若いときには決して理解できないものがある。たとえばそれは、ノスタルジーというものかもしれない。『ニュー・シネマ・パラダイス』を観て胸が苦しくなるのは、かつて持っていたものが懐かしくて切ないからだ。
私がこの映画を初めて観たのは高校生のとき。確か「芸術鑑賞」という課外授業で、市民会館のような場所だったと思う。ロードショーのリアルタイム時じゃなかったから、何かの企画上映だったのだろう。高校生にこれを鑑賞させたことは素晴らしいと思うけど、なんというか、同級生のほとんどはこの良さを理解していなかった、私も含めて。
帰り道の女子高生たちの反応は、「なんかよかったね」「トトが可愛かった」というぼんやりしたものが大半で、「最後にあの人が観てたキスシーンって、なんだっけ」という友達までいた。ちなみに私はいまも昔も頭はよくないが(笑)、もし高校生当時に秀才だったとしても、ノスタルジーの理解は無理だったことだろう。
話を戻して、確かに、自分で選んだわけじゃないものに集中力を働かせるのはなかなか難しい。
私はこのとき既に映画好きではあったけど、『ニュー・シネマ・パラダイス』から深い何かを感じ取るには人生経験が足りなさすぎた。
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さて、そんな『ニュー・シネマ・パラダイス』のあらすじはこういうものだ。
私にとって、最初はおそらく3分の1も魅力を理解できなかった映画。それでも、高校時代のこの出会いには意味があった。
数年が経ち、20代で雑誌編集の仕事を始めると、この映画の世界的な評価の高さを知ることになる。周囲の映画関係者にもベタ褒めする人が多いので、「確かによい映画だったよなぁ」とレンタルビデオで改めて観てみると、なるほどこれは名作だ、ということはわかった。その時初めて「子ども時代が懐かしい」という気持ちにとらわれた私は、少し大人になっていた。
それに、映画好きのひとりとしてこれ以上に「映画賛歌」と言える作品をほかに知らなかったし、作曲家エンニオ・モリコーネによる音楽も素晴らしくて「サントラが記録的に売れた映画」ということも、この時知った。
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当時、映画情報誌「キネマ旬報」が好きでよく読んでいたし、以降、仕事でもプライベートでも、映画の情報にアクセスする時には本当によく『ニュー・シネマ・パラダイス』の話題を目にした。
よく聞く〝不朽の名作〟〝世界的名作〟という言葉も、若いときには「そんなものかな」程度の理解だったけれど、自分も年齢を重ねるにつれて、だんだんその意味を体感していくようになる。
その時だけ話題になってあとは忘れ去られる映画、ヒットすらしない映画、ヒットしたとは言えないけれど一部のマニアに愛され続ける映画・・・など、数え切れないほどの作品が毎月、毎年生まれては、消えていく。そんななかで本当に「残る」映画には、何かしらの底力をやっぱり感じるようになった。
■40代になって再鑑賞したら、あらゆるシーンが心の琴線に触れすぎた
そうして30代になると、映画公開時にカットされた約50分(!)ものシーンを入れた「完全版」というものを鑑賞。「え、こういう映画だったの・・・?」とものすごい衝撃を受けたけれど、この完全版についてはここでは書かない(これはこれで素晴らしいけど)。
当初公開された、いわゆる「劇場公開版」「インターナショナル版」と呼ばれる123分のバージョンがやっぱり好きだ。映写技師アルフレードと少年トトとの絆がメインの映画として、体に染み込んでいるから。
そしてこの劇場公開版のほうを数年に一度は鑑賞している。なんだか疲れたとき、原点に立ち返りたいときに、気が付けば観ている感じだ。
そんなわけで40代もなかばを過ぎた今・・・というかちょっと前に再鑑賞したところ、自分でも驚くほどいろんなシーンが心の琴線に触れすぎて、目から体じゅうの水分が出た。何度も観ているのに、どうしてしまったんだろう、というくらい。
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まず涙腺を刺激されたのは、序盤で、トトが母親マリアに無断で映画館へ行き、牛乳を買うはずだったお金を映画に使って激怒されるシーンだ。それを見たアルフレードがトトをかばう。
アルフレードが「お金は落としたのかな いくらだ? 今夜落し物はあったか?」と映画館の仲間に尋ねると、「くしが1つ 靴のかかとが2つ たばこ入れ」という返答。そしてアルフレードは「それから50リラ札が1枚 これだ」とお札をポケットから取り出す。
「ありがとう アルフレード」と複雑そうな笑顔を浮かべるマリア。帰り去る際のトトの不器用なウインクが可愛い。――ここでまず、うっかり泣いてしまった。アルフレードが見せた大人の粋と機転と小さき者への愛情。と同時に、日々を生き抜くだけで必死だった母マリアの心情もわかってしまったのだ。なんかもう、ダブルで泣けた。
■脇役の1人ひとりまでもが愛おしく
そして次に、以前は何とも思わなかったのにグッときてしまったのは、青年トトがローマへ旅立つ日、汽車が出た直後のホームに教会の神父が駆けつけるシーンだ。
神父「間に合わなかった トトまたな 元気でやれよ」
アルフレードにアメリカ映画のキスシーンを毎度もカットさせて(笑)、いろいろ怒ってばかりのイメージだったけど、この神父もトトを見守ってきたひとりなのだと思ったら、なんだか笑いながら泣いてしまった。
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どうもこの数年で私は、人間愛と郷愁に関するツボが全身に広がってしまったらしい。映画の終盤で、ローマから帰郷した中年のトトに、すっかり年をとった母親マリアが伝える言葉もいい。
「ずっと帰るのが怖かった 母さんのことも僕は捨てたんだ」と話すトトに、「村を出てよかったの 夢をかなえたんだもの」と微笑み、「電話するといつも違う女性が出る あなたを心から愛する声を聞いたことがない 声で分かるのよ」と言うマリア。ーー私はここでため息が出てしまった(涙も)。親だな、と思った。
さらに、トトが青春時代を過ごした映画館は6年前に閉館になったとわかる。この村にとって映画は過去の遺物となった。解体される映画館を、村人たちと見守るトト・・・。
このシーンで、村人1人ひとりの表情に私はすっかりやられてしまった。
以前はこの脇役たちの瞳の奥の輝きをちゃんと見ていなかった。解体される映画館を見つめる人たちは、懐かしそうで、寂しそうではあるけれど、不幸そうではない。――きっと、かつて持っていた愛しいものを見つめるとき、人はちょっとだけ甘美な気持ちに浸れるのかもしれない。そんなことを考えた。
■どの映画を観ても「すべてを手に入れた人」はいない
シーンが少しさかのぼるけれど、トトが村を離れる際、アルフレードが伝えた言葉には愛しか感じない。
「帰ってくるな 俺たちを忘れろ 手紙も書くな 思い出に浸るな 前だけを見ろ 挫折して帰っても俺は会わん 我が家には入れん わかったか?」
言われた通り本当に30年間、手紙も電話もよこさなかったトトに、アルフレードは寂しさを感じただろうか? いや、大人が年下の者に真の愛情を注いで背中を押すとき、見返りはきっと求めない。――でも果たして、自分はそんなふうになれるだろうか?
私も若い頃、目をかけてもらった恩師にいつかちゃんとお礼を伝えようと思っていたら、そのうち先生は病気で亡くなってしまったという経験がある。会おうと思えば会えたのに、後悔ばかりだ。トトならわかってくれるだろうか?
けれど若さというものは、たとえばトトの母親マリアが夫(トトの父親)の戦死確定に涙を流しながら歩いているのに、隣にいたトトが『風と共に去りぬ』のポスターに見とれてしまうようなものだ。息子の顔に夫の面影を感じて胸が詰まりそうになっている母親の気持ちなど、幼いトトにわかるはずもない。
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私はどうやら今の年齢になってようやく、『ニュー・シネマ・パラダイス』の魅力を、半分くらいは感じ取れるようになったみたいだ。
人生は、すべては手に入らない。どの映画を観ても、すべてを手に入れた人はいないじゃないか。名画『市民ケーン』だって、新聞王ケーンは「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死んだ(そこから映画が始まる)。手に入らなかったものがあったのだ。
ローマに帰ったトト・・・サルヴァトーレ監督は、あの後どんな映画を撮ったのだろう。
以前ある映画監督のインタビューを読んだとき、その方がこのようなことを言っていた。「私達の仕事は突き詰めれば、観た人が『人生そんなに悪くない』『明日も生きていこう』と思えるような作品をつくることなんです」
いま『ニュー・シネマ・パラダイス』を観て、いろいろあるけど明日も生きていこうと思えた私は、年齢を重ねたなりの感動を、この映画から受け取ることができたということかもしれない。生きていれば、いいこともあるもんだ。
■「選んだ道を愛するんだ。幼かったころのお前が映写室を愛したように」
最後に、大好きな終盤のシーンから、アルフレードと青年トトの会話を引用したい。本当に、年長者としての愛があふれた言葉だと思う。大好きでたまらない。
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