【子の読書】ゲームや動画の前に読書に出会わせたらすんなり染み込んで子育てがラクになった話
〈はじめに紙の本ありき、が教えてくれたこと〉
「出会う順番」はその人の人生に大きな影響をおよぼす…と、つねづね思っている。
人がこの世に産まれて初めて出会う感情は、共感や信頼や愛情がいいに決まっていて、乳幼児期に心の安全基地をつくってから、成長に応じて「外の世界」へ出かけていく…というのはよく知られた発達のセオリーだし、どんな知識も能力も「基礎から覚えて応用へ」…が一番効率がいい。四則演算ができないと数学はものにならないし、基礎体力がなければどんなスポーツも体得する前に疲れてしまう。
…本当にどんなことでもそうだと思う。味噌汁とご飯を食べて育った子にとってはそれが「日常の食事」であり、だからチョコレートは「お菓子」で、ファストフードは「休日やイベント時に食べるもの」という認識が生まれる。
何を最初に覚えたか、どんな物事がベースになっているかは、その人にとって「簡単には取って代わることのない」指標となる。
特に子ども時代が大きい。―というか、問題はほとんど子ども時代だ。
…そこで「読書」である。
私は子どもに本好きになってほしい。日本中の子ども達にそうなってほしい…と思い始めたのは実は最近で、自分が子どもを産み、育てている最中は、自分の子どもを本好きにしたい!という気持ちだけで手一杯だった。
読解力や国語力をアップさせたい、もしかしたら賢い子になるかもしれない…というのは後付けで、私はとにかく「本はめちゃめちゃ面白い! 最高の娯楽」ということを子どもに伝えたかった。
本は幸せになるために読むもの。
賢くなるのは結果です―というのは個人的な意見だが、私のゆるぎない思いでもある。
本は人類が生み出した最高の娯楽のひとつだと思っている。
特に小説が好きだ。登場人物に感情移入してドキドキ、ワクワクしたり、共感して泣いたり、衝撃のラスト!に仰天したり、「こんな考え方があるのか…」とアイデアをもらったり、「また頑張ろう」と癒しや元気をもらったりする。そしてものすごく暇つぶしになるし、本好きになると人生で退屈というものを知らずに済む…それがいい。
図書館や書店に行くたびに、「まだこんなに読んでない本がある」と軽く絶望したり、ずっと生きてられるなぁ…とニマニマしたりもする。
こんなにすごいエンタメはない。
〈スマホは子の前で娯楽のためには使わない〉
そんなわけだったが、11年前に長女が産まれてからというもの、数年間は壮絶な夜泣きやイヤイヤ期で死にそうな思いをし、4歳差で次女が産まれてからは姉妹の個性の違いに悩みながら日々を綱渡りのように過ごし、自分自身が本好きであることすら忘れてしまっていた。
ただ、なんとなく「本好きのカン」は働き、外出先で「ちょっとおとなしくしておいてほしい時」にも、子どもにスマホで動画を見せたり、ゲームをさせたりはしなかった。
これは、絶対にやらないほうがいいだろう…と感じていた。
なぜなら、中毒になるからだ。幼ければ幼いほど、なる。人間は元来、中毒になりやすい生き物だ。あらゆる歴史や事象がそれを証明している。刺激が強くて、手っ取り早いものには注意が必要だ。
私は、ゲームや動画視聴、あるいはスマホというものが、子どもにとって「世の中で一番面白いもの」になってしまうのは寂しいことだと思っていた。乳幼児を育てている眠い頭で、それだけは常になんとなく考えていた。
だから親がスマホを取り出して使う時は、通話か、最低限の連絡や調べものをするにとどめたし、意味がわかるかどうか不明だったが、子どもには「ママは今からお店のことを調べるね」と、とりあえず毎回ことわっていた。スマホは娯楽のためには使わない…というのが、ちょっと固く言えば私の信念のようなものだった。
〈子どもが人生で覚える〝娯楽の順番〟〉
デジタル機器が悪いとか、そういう話ではない。どうせ放っておいても子どもはいつか覚えるだろう。だが、順番は大事だ。
まずは「本好きの引き出し」を心と体にしっかり作る。その後でゲームや動画に出会っても、おそらく「上書き」ではなく「別名で保存」されるはずだ。なぜなら読書の面白さと、ゲームや動画の面白さは、まったく別のものだからだ。「本好き」がたまにゲームにハマっても、本好きの引き出しはなくならない。私自身がそうだったからだ。
けれど、子どもはどうだろう。特に現代の子どもは忙しい。幼少期からゲームや動画視聴などの「味の濃いもの」「刺激の強いもの」を味わったら、その後「読書もおもしろいよ」と言ってもそっぽを向かれてしまうかもしれない。
だから思っていた。最初に読書。頭の中でイメージした。
人間が目指すべき感情のピラミッドがあるとしたら、繰り返すが一番下は「共感、信頼、愛情」。そのうえで人生にはさまざまな困難が待ち受けるものだけど、ベースは「ゆるぎないもの」がいい。
そして「子どもが人生で覚える娯楽の順番」というピラミッドをイメージすると、乳児期は体を動かす原始的な面白さだったり、続いて積み木やボールなどのオモチャだったりするだろうが、少し成長すると絵本になったり、テレビアニメや映画だったりもするだろう(…ちなみに私は、子ども向けのテレビ番組やアニメ、映画はたくさん見せた。これらはあらかじめ尺が決まっていて、「はい今日はここまで」と伝えやすいし、子ども自身も「家でしか見られないもの」「自分では操作できないもの」という認識を持ちやすいので、ゲームや動画とはまったく別物と考えている)。
―そして、娯楽の「その次」が問題だ。
長女が幼稚園の年中・年長(4~5歳)になると、周囲の小学生の様子や、いろんなメディアの育児情報を見る余裕ができたので、その時にいろいろ考えた。
「小学生になると当たり前のようにゲームをしたり、動画を見たりしてるんだな…」。なかには、小学1年生で放課後や休日は無制限にゲームを許されている子もいるという話を聞いた。
また、小学生の親の悩みをメディアで見かけると、「うちの子全然本を読まないんです」とか、「動画視聴にしか興味がなくて、叱ってもずっと見ている…」という話も多かった。
そうか、たぶん自然に任せていれば、今の子どもは絵本を卒業したら「児童書」ではなく「ゲームや動画」に行ってしまう。5~6歳は、少し教えればスマホやタブレットの扱い方を簡単に覚えてしまう年齢でもある。要注意。
これは就学前に本格的な「本好き大作戦」を決行するべき時だ…と私は考えた。長女5歳、次女1歳の頃である。
〈絵本好き→児童書好きになるには環境と誘導が必要〉
乳幼児期に、熱心に絵本の読み聞かせをするパパ、ママは多いと思う。どんな情報を見ても、「本好きな子ども」を育てるうえで読み聞かせは重要とあるし、思い返せばたくさんのママ友さんの家に遊びに行ったが、どの家にも相当数の絵本があった。
―が、考えてみると絵本に熱心でも、児童書(小説)に熱心という家庭はあまり多くなかった気がする。
やっぱり、選書が難しいのだろうか?
今の時代、ゲームも動画も「ないもの」として子育てするのは不可能…と思う人もいるかもしれない。でも、幼児期の「子ども本人」にとってはなくてもなんの不都合もない。知らなければ欲しくもならないし、友達からの影響もまだまだ限定的だ。幼稚園や保育園から帰ればほとんど家庭生活からしか影響を受けないし、アニメを見たり本を読んだりしながら、十分におうち時間を過ごせる。
絵本が好きで、自分でも平仮名が読めるようになるこの時期は、だから本好き(児童書・小説好き)に移行させる絶好のタイミングだと思う。
―そんなわけで、私は5歳の長女を連れて何度も図書館へ通った。
大人が良いと思う本を「こんなのどう?」と紹介するのもいいが、私は子ども自身に「自分が面白いと思える本」を見つけてほしいと願っていた。
本好きになる一番の条件は、「自分で選んで読んだら、面白かった!」という経験を繰り返すことだ。「すごい!おもしろい!」という体に染み渡る実感だ。そして、ゆくゆくは図書館や書店から「自分を楽しませてくれる本を自分で選べるようになる」ことだ。
最初は無理でも、そう仕向けていく…のが私の作戦だった。
〈「どの本が面白かった?」と聞く宝物の時間〉
近所の区民センターのこぢんまりとした図書室で、「あれはどう?」「こんなの好き?」とゆっくり話をしながら、長女と一緒に10冊(借りられるマックスの冊数)を選ぶ。そうして家で2週間ゆっくり読んで、返却前に「どの本がおもしろかった?」と楽しくインタビューし、できればランキングをつけてもらう。そうすれば、おのずと子どもの好みが見えてくるのだ。
これは、輝いている子どもの心が見えるようで、宝物のような時間だった。
はじめはクイズや迷路、絵本など、今まで読んできた内容の延長線上にある本でいい。けれど少しずつ、「我が子が好きそうな話だけど…少し文章量の多い本」をこっそり混ぜながら、反応を見る。読めそうなら「この冒険の本、好きみたいだね」「動物さんが出てくる話がいい?」と言って、また借りてあげる。
子どもから「このお話、出てくる女の子が可愛いんだけど、最後がちょっと怖かった…」と感想を聞いたりすると、「怖い展開はまだダメなんだな」と好みがわかるようになり、本を通してたくさん会話をすることで「我が子が好きな本のジャンル・傾向」が見えてくる。
「これ面白いから読んでごらん」…とはできるだけ言わないようにした。それはあくまで私の感想だ。
「この本を面白く感じるかどうか、後で教えてね」…とよく声掛けをした。
〈親子ともに「好みがわかっている」安心感〉
子どもの好きなジャンル・傾向がわかり、そういう本をたくさん借りてあげると、子どもは「図書館や書店に行けば好きな本を借りて(買って)もらえる」と感じるようになり、本好きになる。
難しく考えなくてもいい。「女の子(男の子)が主役」「魔法・オバケが出てくる」「おもしろい動物が出てくる」…程度のジャンル・傾向で、司書さんに相談したりしてもいい。
本はできるだけ買ってあげた。予算が乏しければ古本屋で探したり、図書館で借りたりもしたが、図書館通いで「好きな本のジャンル・傾向」がわかっていれば、「買った(借りた)けど読まなかった」という(親の)ガッカリが減る。
ちなみに長女はこの頃、「謎解き」系や「〇〇探偵団」が好きだったので、そういうジャンルに絞って与えていたし、この時期は「素晴らしい本」を読むことよりも、読書という行為そのものを体に染み込ませるのが狙いだった。素晴らしい本は、後から読めばいい。
「読む本がなくならないようにすること」「読みたがる本をできる限り用意してあげること」「常に目につく・子どもが手に届く場所に本を並べておくこと」…は心がけた。
お金はそれなりに使った。ほかを節約しても。本なら買ってあげる…それは子どもの人生全体で見れば安い投資だと私は今でも信じている。
この、「子どもの人生で読書の楽しみを染み込ませている期間」に、ゲームやネット、動画が介入する余地はない。もし子どもにとって既にこれらが日常的な娯楽であれば、そのスピード感と刺激に負けてしまい、読書の筋力がつくための十分な時間が取れなかったと思う。
少なくとも我が家では「それをやらない」ことに取り組んだ。
〈自転車に乗るように読書を体に染み込ませる〉
やがて長女は自分のペースで「本一冊」を読み切る読書の筋力をつけていった。
「本屋さん行く?」と言うと「やった!」と喜ぶようになり、好きなシリーズ本を何冊も読んだ。
大切なのは、漫然と本を与えるのではなく、「文章を読む習慣」を身に付けること。自転車に乗れるようになるのと同じで、幼少期に一度これが身に付くと、この先何かにつけて「読む」ことを面倒くさがらなくなると思っていた。読むことが面倒くさいと書くことも面倒くさく、教科書を読んだり、勉強も面倒くさい子になるだろう…と、学業優先がモットーの親じゃない私でも、それはなんとなく思っていた。
こういう生活をしながら、気が付けば長女は小学2年生になっていた。
相変わらず家ではゲームも動画もない生活だが、なんの不自由もない。友達の家に遊びに行けばゲームをさせてもらうこともあったが、長女にとっては「楽しかったけど、それはそれ」という程度の認識だったようだ。
親としては「もしお友達から『ゲームないの?』みたいに言われて悲しい気持ちになったらすぐに教えてね」とは言っていたが、さすがに低学年でそういうことはなかった。
一方、次女はこの頃、幼稚園の年少さんになっていたが、家に積んである「おねえちゃんの本」をよく眺めていた。たぶん意味のわからない本も多かったろうが、家のいろんな場所に本があった(転がっていた…に近い)ので、暇な時に当たり前に読むもの…という習慣が染みついていた。
〈どこに行っても「待ち時間」がラク!〉
とにかく本の面白さを伝えたい…という一心で取り組んできたことだったが、子どもが(特に文章メインの)本を読むようになると、親として実際的に助かる場面が増えた。
これはちょっとした成果だった。
具体的にはまず「待ち時間」だ。飲食店や病院など、子育てには「待ち時間」がつきもので、とにかく「ねえ、まだ~」と言われたりする。が、あらかじめ想定して「小説タイプの本」を2冊くらい持たせると、とにかくずっと読んで待っていてくれる。
マンガもダメではないし、私も好きなのだが、比較してしまうとマンガは、一冊に対して読んでいる時間が短い。何冊も持ち歩くのは大変だし、買うにしても「ひとつの壮大な物語」をコンプリートしてあげようと思ったら、親の財力が足りない。長い小説のほうがずっとコスパがいいと思ってしまう。
待ち時間に親のスマホで動画を見ていたり、ゲームをやっている子どもも見かけるし、それが悪いことだとは思わない。ただ、我が家でこれをやらなかったのは、「待ち時間にはスマホを見せてもらえる」と子どもが思えば、読書に気持ちがいかなくなるだろう…という「本オタクの私」の個人的な取り組みだ。人の子育てを批判する気はないことを添えておきたい。
待ち時間の読書なら、スマホでデジタル書籍を読む…という方法もあると思う。あれにはあれの良さがあるのはわかるが、端末を使う以上「自分の本」という実感を抱きづらく、端末を他のことに使う場合は読めない…という難点もある。
そしてまた、幼児期に外出先で結局スマホを手渡してしまうと、スマホそのものに対して早期に興味を持つだろう。私はそれを避けたかった。本のため―というのもあるし、スマホはやはり幼児が手にするには危ういもの―という思いもある。
〈小学3年生で初めて家庭用ゲーム機を購入…したが〉
デジタル書籍に関してもうひとつ思うのは、読書の面白さを体に浸透させている段階では、紙の本が圧倒的に子どもの感覚に合っているということだ。
小さな手で柔らかい紙を触り、印刷された文字を追いかけ、読み終わればそのへんにポイ。ひとつの遊びが終わるとまた思い出したように、ごろんと寝転びながら読んだりする。本棚から「今の気分」に合わせて一冊を選ぶのもいい。大人からすれば気まぐれのように見えるけど、子どもは五感を使い、体ぜんぶで本と友達になる…そういうのが「体験」のベースになると思う。
―ともあれ、そんなわけで子どもが本好きになると、親としていろいろラクになる…というのが今の私の実感だ。
予定のない週末も、「読みかけの面白い本」さえあれば子どもはそれなりに家で過ごしてくれる(ただし、面白いと思える本を用意する労力は相変わらず必要だ)。
日常的には「ゲームや動画、見るのをもうやめなさい!」という、親子ゲンカもない。
ゲームに関しては、長女が小学3年生の冬に家庭用ゲーム機をついに購入した。コロナ禍だったこともあるし、長女がそろそろテレビCM等を見て「これおもしろそう!」と言い出したので、「そろそろいいだろう」と好きなソフトをひとつ買ってあげた。
ハマるかもしれないな…とも思ったが、「子どもが出会う人生の娯楽」として、ピラミッドの下のほうに「読書」がある…という確信があったので、10歳までやらなかったのだから、もう十分だろうと思った。
結果はしかし…長女はゲームを毎日30分ほど楽しんでプレイしていたが、時間がくると「今日はやめるね」と自分で片付け、本の続きを読むように。
私が「もしかして我慢してる? もう少しやってもいいんだよ」と言うと、「いや、本の続きも気になるし、また明日やるからいい」との答えだった。4年生になり、5年生になり、半年に1本くらいのペースで「欲しい」と言ったソフトを買ったが、1日30分のペースをほぼ守っていた。
また、この頃からインターネットの動画を、少しだけ一緒に見るようになった。私が「これならいい」とOKを出したチャンネルだけだったが、30分くらい見ると「もういいや」と言って特にハマらなかった。
そうしてまた、本の続きを読むのだった。
いちど長女に「ゲームや動画のおもしろさと、本のおもしろさはどう違うの?」と尋ねてみたところ、「ゲームや動画は、その時は『わ~面白い!』って盛り上がるけど、長時間はいいかな。本は、好きな内容だと自分の体の中に面白い成分がじわじわ広がって、読み終わった後も、なんかすごかった…って残るんだよ」。
もちろん最初に本好きになったからといって、次に出会ったゲームや動画にハマらないという保証はない。これは我が家だけかもしれない。
ただ長女にもうひとつ、「もしゲームが楽しくて仕方がないとして、『もうやめなさい』と叱られたらどう思う?」と尋ねてみた。すると「ゲームが自分にとって一番楽しいものだったら、やめなさいって言われるのは悲しいし、約束だから仕方ないけど、これやめたらほかに楽しいことないじゃんって思う…」とのこたえだった。
長女の本好きが、成績にどう影響したかはわからない。「読まなかった場合」と比較できないからだ。けれど文章を読んだり、考える問題は、やはり嫌いではないようだ。
そしてまた、当たり前だが教科書も本だから、本が好きになると、教科書を毛嫌いすることがなくなるように思う。理数系に関しては好き嫌い、得手不得手があるが、少なくとも国語の物語は読書の延長線上で読めるし、6年生になってから登場した歴史は学習マンガと照らし合わせるとドラマチックに感じるらしい。
―が、しかし劇的だったのは次女の成長だ。
〈自分にとって面白い本を見つけた次女〉
「物心がついた時から家にたくさん本がある」環境で育った次女は、とくに小学1年生から角川つばさ文庫や講談社の青い鳥文庫が気に入っていた。
長女と違って謎解きや冒険ものを特に好まない次女は、自分と同じ小学生の女の子が活躍する学園ものが好きらしい。
それらを日常的に読むようになってからというもの、「今日学校でこんなことがあったの。それで〇〇ちゃんはこう言ったんだけど、私はこう思って、こう言ったんだよ」…と、長い説明をきちんと伝えるようになった。そして突然、「そういうの『かみさまのとりはからい』って言うんだよ」などと難しい言葉を(私に)教えてくれるようになった。そして、読解力が必要とされる算数の文章問題も、ほとんどひっかからない。
ちなみに角川つばさ文庫や青い鳥文庫だが、「どうしてこの本が好きなの?」と尋ねると「あのね…これ、他の本と違ってぜんぶの漢字に読み仮名がついてるの」と答えたので、はっとした。
どんなに簡単な漢字にもすべて読み仮名がついている。これは大人の盲点で、例えば対象が「3年生以上」の児童書は、2年生以下で習う漢字に読み仮名がついていないことがある。これでは低学年は内容に興味があっても読めないし、例え2年生でも、習い終わった1年生の漢字に読み仮名があるのは、やっぱりありがたいものらしい。
子どもに本を勧める時は、こういう点も気を付けたほうがいいのだと私は悟った。
内容がおもしろい…のはもちろんだが、それと同じくらいその時の子どもが「すらすら読める」文章であることが大事なのだ。
おもしろいからスラスラ読める…以前に、スラスラ読めるからおもしろさがわかる…のだろう。
〈デジタルを覚えても、本好きは上書きされなかった〉
本を読む子は、やはり情緒が安定しやすいと思う。
子ども達が読んできた物語は、ワクワク・ドキドキする冒険ものもあれば、「悲しみや困難を乗り越える」ものも多い。物語なのだから当然といえば当然だ。
フィクションであっても、よくできた物語は「本当にそこにある世界、そこにいる人物」として子どもの心に存在する。世界は広く、たくさんの喜びや悲しみがある…そんな引き出しを、子ども達はいつの間にかたくさん作ってくれているように思う。
寝る前に10分くらい、一緒に本を読むことも多い。それから「おやすみなさい」をして、抱きしめて、そうするとよく眠れる。5歳以降、子どもが寝不足になったことはほとんどない。
いちばん安堵したのは、子ども自身の引き出しが多くなったことだ。
現在小学6年生の長女は、3年生の時に学校で一人一台パソコンが支給されたが、あっという間に使い方を覚え、今では私より詳しい。ちなみに、ゲームも動画もテレビもアニメも漫画も好きだし、読書も楽しんでいる。
どんなにデジタルを覚えても、本好きは上書きされなかった。
長女が10歳になるまで我が家にはゲームも動画も存在しなかったが、なんのデメリットも感じなかったし、周囲に比べて2~3年デジタル関係のデビューが遅かったことに関して、現在において子どもの能力が劣っているとか、遅かった…と感じることは、まったくと言っていいほどない。
この先スマホを持ち、親の目の届かないところでトラブルが起こらないとも限らない。子どもが本好きに育ったからといって、社会的にはどうと言うこともないし、これから先の子育てがなんら保証されるものでもない。
ただ、「どうしたら子どもが本好きになるか」という悩みが我が家にはない。それだけでも助かっている。―本当にそれだけなのだが、私が親として「子ども達にどうしても伝えたいこと」の半分は、もう伝えたかなと思っている。
〈子どもの人生で〝出会う順番〟を整える〉
たまに友達に聞かれることがある。「どうして子ども達は本を読むようになったの?」と。
うちは、はじめに紙の本ありきだった…ほとんどそれだけだ。
けれど私は、紙の本に教えてもらった。子どもの成長に紙の本がこれほど有効だということを。読書が子どもの心と体にじんわりと染み込んでいくのを2~3年かけて見守った。
そしてこうも思う。世の中にはたくさんの「こうすれば子どもが本好きになる」というノウハウやサポートがある。知ればどれも有効な方法だが、それと同じくらい、デジタルのデビューを遅らせるのも大事だと思う。
出会わせないのではない。子どもの人生で「出会う順番を整える」のだ。 このことはもしかしたら、何かひとつ、ふたつくらいの問題解決につながるのではないか…とも思う。
考えても見れば人類の歴史上、デジタルはまだ登場したばかりだ。本は千年(…いやもっと?)以上も人間の体に馴染んだ娯楽であり、基本的な知識の泉だ。紙の本と子どもの相性が良いのは当然で、子どもが本を手に、笑ったりドキドキしたり、キラキラした表情を見せるのは、なんら違和感のない光景だと思う。
子どもが出会う娯楽のピラミッドの下のほうに…紙の本。私はその力を信じる。
ありがとう、紙の本。
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