【家族エッセイ】亡き「じぃじ」と孫娘・最初で最後の麻雀大会「m(孫)リーグ」2023.夏
2024年3月ーーつい先日、私の父が亡くなった。
もう長くないことはわかっていて、覚悟していたので、受けとめて精一杯みおくった。
もっとしてあげられることがあったんじゃないか・・・という、ありきたりな後悔を感じ、本当にもういないのだという当たり前の事実を確認しつつ、いま思い出すのは、夏の日の麻雀だ。
ーーもう外出もままならなくなっていた、去年の夏。
実家で静かに過ごす父のもとに私は、持ち運び用の麻雀セットを持っていき、当時小学6年の娘(父にとって孫娘)と麻雀卓(というか家のテーブル)を囲んでもらうことにした。
――じぃじと孫娘の、最初で最後の麻雀大会。
名づけて 2023年夏〈m(孫)リーグ〉である。
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我が家の長女が麻雀を覚えたのは、私の父 ―じぃじ― とは、じつは関係がない。
もともと麻雀が好きな夫がたまたま動画配信サービスABEMAでMリーグの試合を観ていたところ、長女が「これなに? おもしろそう!」と食いついたのだ。
(知らない方のために説明すると、Mリーグとは日本の麻雀プロリーグのこと。賭けなどをいっさい行わない健全なプレイ環境を整備し、競技として注目されている)
長女には囲碁や将棋を教えていた時期もあったのだけど、そこまで食いつかなかった。
が、聞いてみると麻雀は「数字が変動するのと、4人なのが楽しそうなのと、あがり手のパターンがたくさんあるのが魅力」ーーとのこと。なるほど確かに、他の頭脳競技にはない麻雀の特長に惹かれているようなので、「そうかそうか」と夫が入門本を購入。長女はそれを読みふけり、やがて初心者ながら自分なりに牌をうごかせるようになった。
ちなみに長女が憧れるプロ雀士は、伊達朱里紗さんだ。あんなふうにカッコよく「四暗刻(スーアンコー)」をきめてみたいらしい。
そして夫と長女に巻き込まれるように、「いいからいいから、適当でいいから」と次女もなんとなく麻雀を覚えさせられることになり(笑)、月に1回ほど、夫と娘達とでユルい「三人打ち」を楽しむ(?)様子が我が家で見られるようになった。
いやぁ、子どもがものを覚えるスピードは本当にすごい(ちなみに私はいっさいできません。おとなになってから覚えるのは大変です・・・)。
子ども達にとって、麻雀は楽しい頭脳ゲーム。
昔ながらの負のイメージはまったくないので、そもそもなぜわざわざ「健康マージャン」と呼ばれているのかわからない様子。うん、それでいい。
――そんなわけで、2年ほど前から我が家には「健康マージャン」の文化(というほどのものではないけれど)があったのだ。
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肺を病んだ父が余命いくばくもないと知ったとき、私は「どこか行きたいところ」や「やりたいこと」がないか聞いてみた。
けれど父は「とくにねえなぁ」と言ったし、それは本心のようだった。
父は昔から出不精で、外食も旅行もとくに好まない。
家でのんびり映画やドキュメンタリーを観ている姿が日常だった。
12年前に長女が産まれた時も、「この子の顔が見れたから、もう死んでもいいなぁ」と笑っていたし、だから私にできることは、できる限り孫娘達を連れていき、穏やかな時間を過ごさせてあげるくらいかな、と思っていた。
ただ、それだけでは足りないような気もしていた。
そしてだんだん、少し歩くだけでも息切れするようになり、近所の散歩もままならなくなっていった父をみて、私はある日、急に思い出して母に聞いてみたのだ。――そうだ麻雀。
「お母さん、お父さんってよく麻雀荘に行ってたの?」
「あぁ・・・週に1回くらい、昔からのお友達と打ってたみたいだけど、最近はもう行けなくなっちゃって。麻雀大好きだからねぇ・・・寂しいんじゃないかな」
ーーそれだ! と膝を打つ。
「じつはうちの子ども達、麻雀できるんだよ。こんど牌、持ってくるね!」
「本当? でも お父さん、もう起き上がるの大変そうだから、やるかなぁ。無理でもがっかりするんじゃないよ」
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・・・という母の心配をよそに、私は翌週、持ち運び用の麻雀セットを手に娘達と実家へ。
「お父さん、子ども達と麻雀やろう」とテーブルに簡易セットを広げると、父はびっくりして「お前たち、できるのか?」と体を起こした。
「じぃじ、あたし強いよ。点数計算はまだちょっと難しいけど、『点数計算早見表』と『役一覧表』持ってきたから大丈夫」という長女と、「なんとなくしかできないけど・・・」という次女。
このとき夫は来られなかったので、完全な三麻(三人打ち)だったけれど、はじめから「絶対勝つ!」という意気込みのプレイヤーもいないなか、ワイワイ楽しい時間を過ごすことができた。
「おまえなかなか強いな~」「じぃじ、麻雀歴は何年?」「もう50年はやってるぞ」「すご~い」・・・といった会話も弾む。
いちばん盛り上がったのは長女が「じぃじ、役満だしたことある?」と質問した時だ(役満とは、とても難易度の高い役、得点のこと)。
「おう、何度もあるぞ。おじいちゃん50年も麻雀やってるんだからな」
「えっ、すご~い!」
と長女は大興奮。
長女にとって役満は憧れで、役満をだせる人はヒーローだ。
私にはよくわからない役満の名前を挙げて、「これは?」「それはある」「これは?」「それはないなぁ」という会話を繰り返しては「すごいすごい」と興奮し、じぃじを尊敬のまなざしで見つめていた。
「じぃじ、点数計算はできる?」
「おぅ、できるぞ~」
「すごいね。じぃじって頭いいんだ」
「頭はよくねぇけど、50年やってるからな・・・」
ーー心なしか、父が少しだけ元気になった気がしたものだ。
いちど「じゃあ天和(テンホー)は?」と質問した時には笑ってしまった。
さすがに私でもわかる。テンホ―は奇跡中の奇跡だ。「さすがに、ねぇな・・・」と父も苦笑いしていた。
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麻雀は相当頭をつかうので、子ども相手の遊びだとしても、いちどに2~3戦が父の体力の限界だったようだ。
でも、それまでは実家に遊びに行っても、子ども達が父にくっついて一緒にテレビを観たり、子ども達の好きなトランプでかるく遊ぶ程度の交流しかできなかったのに対して、父の好きな麻雀を一緒に楽しむことができたのは、大きな成果だった。と思う。
そして娘達はその夏、3回くらいの週末を、じぃじと麻雀をしながら過ごした。
夫が同行して4人打ちを楽しめた時もあったり、親戚のおじさんが参戦してくれたこともあったりして、なかなか盛り上がった夏だった。ABEMAではプロのMリーグが、私の実家では小さなm(孫)リーグが開催されていた。
こちらのm(孫)リーグは勝ち負けもあやふやで、誰かが疲れたら休憩。なんとなく「孫に勝たせる」回があったり、そうかと思えばじぃじが突然本気を出し、高い役で孫たちを打ち負かす回もあったりして、それはそれで、見ごたえ充分だった。
世間的には誰にも注目されていない、日本の片隅で行われていた麻雀大会を、私は熱く見守った。
――秋が近くなった頃、電話で「週末遊びに行くね」と伝えると父は「もう麻雀はいいからな・・・」と言った。
その後は娘達を連れていっても父は寝ていることが増え、麻雀大会は夏とともに終わりを告げた。
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だんだんと自宅で過ごすことが難しくなっていき、12月に入院した父は、そのまま一度も退院することなく、3月に亡くなった。
棺に入れた娘達の手紙には、「じぃじ、麻雀楽しかったよ」とあった。
思い出にできたかな。