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【姉の無念死】【子の人権】ドラマ『海のはじまり』を観て、姉が最後に娘へ伝えたかったことがわかった気がした

 ――今年が終わる前に、書いておきたかったこと。

 2024年7月から9月にかけて、フジテレビで『海のはじまり』というドラマが放送されていましたね。観ていた方も多いと思います。

 目黒蓮さん演じる主人公の月岡夏が、元恋人の死から思いもよらなかった実の娘・海ちゃんの存在を知り、戸惑い、葛藤しながらも一緒に生きていこうとする姿を描いた人間ドラマ。

 出産したことを夏に告げず、娘を1人で育てていたものの、病に冒され命を落とした海ちゃんの母親・水季さん。回想シーンで何度も登場し、残された時間を子どもとどんな風に過ごしたかが、丁寧に綴られていました。

 
 そのなかのあるシーンを観て、ふと思ったことがあります。

 私の姉も数年前、小学生の一人娘を残して天国へ旅立ちました。

 姉は闘病中に子どもと引き離され、調停を起こしても遅々として進まず、虚しさばかり募り、ほぼ会えないまま亡くなって、無念だったと思います。

 詳しい経緯は別記事に譲りますが、もし読んでいただけるのであれば・・・(前編は固定記事にもなっています)↓↓↓

【前編】姉がなぜ子どもと引き離され、どんな経緯で面会交流の調停を申し立てたかの話はこちらから↓↓↓

【後編】裁判所が「母子を会わせること、このままでは子どもが不幸というほかはない」という審判を下したにも関わらず、面会交流が叶わないまま姉が亡くなった経緯はこちらから↓↓

 姉と水季さんでは状況がまったく違いますが、共通点もありました。

 それは、幼い子どもを残して逝くことを自覚し、「親としてどんな言葉を残すかという思慮の時間」が与えられていた点です。

 姉の娘はすみれといいますが、姉は亡くなる少し前によく言っていました。

「ひと晩だけでもいいから一緒に過ごしたい。一緒に遊んで、私が作ったご飯をすみれが食べて、一緒に笑って、同じふとんで眠れたらもう死んでもいい」

 そして、「ありがとう」と「ごめんなさい」をたくさん伝えたい――とも言っていました。
 
 けれどもたぶんもうひとつ、姉が自分の口から確実にすみれに伝えたかったことがあったと思うのです。

 それは・・・私のなかではこれまでぼんやりとしたイメージだったものが、ドラマを観て突然、はっきりとした形になって現れました。

 ーー「自分はもうすぐ死ぬ」ということだったと思います。

 『海のはじまり』11話の冒頭では、水季さんが海ちゃんをベッドで抱き寄せながら「ママね、もうすぐ死んじゃうの。いなくなっちゃうの」と話していました。

 すごく、勇気のいることですよね。子どもにとっても、今後の人生で「これ以上」が起こり得るかわからないほどに、残酷な宣告だと思います。

 けれど、近い未来に悲しむことがわかっている以上、あらかじめ伝えるのは大切ですし、それは相手を心から思ってのこと。

 水季さんはさらに絵本を渡していました。「絵本で読んだらわかるかなって・・・」と。

 子どもの年齢や状況に応じて、言葉を尽くし、たとえば手紙や本を添えたりしながら、心に寄り添って伝えること・・・。大人にとっても難しい試練ですが、先が見えている以上、嘘でごまかしたり、その場限りの対応をすれば、もっと傷つけることになる(もちろん世の中には、相手を思っての優しい嘘、というものもありますが)。

 周囲の大人の責任が問われると同時に、こうした困難に見舞われた子どもが、大人から真摯な、心ある対応を受けることは、子どもの権利じゃないか・・・とも思います。

 姉は、最後まですみれと2人きりの時間を過ごすことはできませんでした。抱き寄せて、真心を込めて気持ちを伝えることはできなかった。

 代わりにすみれは、同居の父親や周囲の大人から、「ママはすみれを愛していない。調停も、たんに嫌がらせのためにやっている」「ママに会ったら霊に呪われる」と教わっていました(家庭裁判所調査官の聞き取りに本人がはっきりとそう答えています)。

 その後、母親の死がどのようなかたちですみれに伝わったかは、私にはわかりません。

 すみれは家庭裁判所の調査官に「ママには会いたくない。すごい迷惑」と話していました。
 であれば、その死を聞いて、ママを大好きだった場合よりも悲しみや衝撃は小さく済んだのでしょうか。それが周囲の大人の配慮だったのでしょうか。――だとしたら、あまりにもその場限りのやり方に思えます。

 それが本当の愛情なのか、子どもの理解力や感受性を甘くみているのではないか・・・と、今でも悔しさが募るのです。

 子どもには、大人からきちんと教わる権利があるのではないでしょうか。
 
 子どもの人生は長いです。あの時、小学生だったすみれに関わった、ほとんどの大人がいずれこの世からいなくなっても、すみれの人生は続くでしょう。

 そのことを考えると、なぜひと晩、すみれは死にゆく母親と一緒に過ごすことができなかったのか、「ママはいなくなるけど、ずっとあなたを愛しているよ」という言葉をなぜ姉は直接伝えることができなかったのか、残念でなりません。

 実際、姉は私に、亡くなる数日前も言っていました。

 「もしすみれが私のお葬式に来ることがあったら、ママはもういないんだって、ちゃんと話してくれない?」

 それでも生きていくんだよ――と伝えたかったのでしょう。

 すみれは姉の葬儀には来ませんでした。
 姉の死は父が義兄に、事実のみを電話で伝えましたが、葬儀いっさいに関して、その後なんの連絡もありませんでした。


 ――すみれ、どうしているかなぁと、時折思います。今は高校生です。

 悲しみにちゃんと向き合っていないだろうから、心の整理はたぶんついていないよね。

 
 『海のはじまり』の海ちゃんは、きっとちゃんと乗り越えていくことでしょう。
 時々、泣くと思います。でも、思い出して泣けるのは、事実と向き合っているから。前を向いて生きていってほしいなと、ドラマだけど、心から祈りながら観ていました。

同じ空の下にいるのにね

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