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【取材旅行】豊浦宮と豊浦寺とその界隈

「やっぱり暑すぎた…」このタイミング(9月半ば)しかタイミングが合わなかったとはいえ、暑さで体力を消耗し過ぎて観たいところをいくつ断念したでしょう?
そんな状況下でも、ここは外せないと思ったのがこの豊浦宮跡です。

向原寺前説明版

蘇我稲目の時代にはこの地に蘇我氏は住まいを持っていたようです。
日本史の教科書等でもお馴染みの「稲目が欽明天皇から仏像(百濟から伝来)を賜り、自宅に祀った」というエピソードがこの地です。

難波池神社と難波池

その後、疫病が流行ったのは異国の神を祀った祟りだとして、物部尾輿と中臣鎌子がその仏像を投げ捨てたのが難波の堀。
それがこの難波池だと伝わります。向原寺のすぐそば…豊浦宮内の位置取りです。

…私はずっと難波(大坂)の海の近くに捨てた…と思っていたんですよ。
この仏像はその後拾われて、長野の善光寺に祀られたという逸話が印象的で…(創作だとしても)。
川に流れ出て桃太郎の桃のようにどんぶらことけっこう流されたと想像していたのです。
それが、邸宅のすぐそばの池!?いえ邸宅内の池と考えた方が自然ですよね。
…史実だとしたらなぜ稲目はすぐに拾い上げなかったのでしょう?
仏罰の概念がまだなかったとしても、政敵の思いのままになる必要があるのでしょうか?
しかもこの二人、人の家に踏み込んで勝手に家宝を池ポチャ…横暴にもほどがありませんか?
諸々の疑問が残ります。

ちなみにこの難波池から江戸時代に仏像の頭部が発見されます。
向原寺に祀られていましたが、1974年に盗難被害に…!
しかし2010年にオークションに出されていたのを大学院生が発見!!
無事に向原寺に帰還したそうです。長い旅でしたね。
…この仏像がもしかして稲目の百濟仏なのでしょうか?

(善光寺さんはいつか本物が出て来る可能性を考えなかったのかな?)
(余談ですが善光寺の仏像は、難波池を本田善光さんが通りがかって拾ったと言われているとか…?)


難波池説明板

池ではそんな歴史浪漫など知る由もないであろう鯉たちが優雅に泳いでいました。
そばには「すすぎの滝」と呼ばれる小さな滝があります。
この滝で投げ捨てられた仏像が浄められたとか…。
鯉たちがいつかこの滝を登って龍になった時に全てを悟る可能性も…?(説話集にあろそうな展開!?)
いえ、もしかすると彼らは全てを知りつつも人間のことなど気にもかけずにいるのかもしれません。

難波池

さて、この豊浦宮ですが、前述しましたように元々は蘇我稲目の邸宅がありました。
その地を宮として即位したのが、推古天皇です。
その後、少し北上したところに位置する小墾田宮に移るまでの11年間をこの地で過ごしたことになります。

臣下の家を宮に?…現代の感覚では「不遜であろう!」と思ってしまいますよね。
良い土地なので謙譲したのでしょうか?

向原寺

その後、舒明朝の頃には宮は寺になっていたことが日本書紀等からわかります。
興味深い記述としては、舒明即位の際に山背大兄王がこう陳述しているのです。
「當是時思欲語叔父及群卿等、然未有可噵之時、於今非言耳。吾曾將訊叔父之病、向京而居豐浦寺。」
「今迄言えなかったけど、叔父(蘇我蝦夷)を見舞って豊浦寺にいたことがある」と言っています(超意訳)。
「京へ向かいて豊浦寺に滞在した」と読めますが、これは蝦夷はどこにいたのでしょう?
京?蝦夷のいた場所こそが京だとも穿った読み方が出来てしまいますし、
病気療養で豊浦寺に蝦夷がいたのかもしれませんよね。
少なくともこの豊浦寺は蘇我氏のものだったわけです。
元の宮を寺にし、そこを我が物にしているということは…?
推古天皇が不要になった宮を返した(下賜した)とも考えられますが、やはり蘇我氏こそ大王家だという妄想がむくむくと膨らみます。

そしてこの時に蝦夷は推古天皇から
「汝叔父大臣常爲汝愁言、百歲之後嗣位非當汝乎。故、愼以自愛矣。」と采女を通して告げられます。
「お前の叔父の大臣(蝦夷)が心配をしていたよ。いつかお前が皇位を継ぐかもしれない。だから慎んで自愛しなさい」(超意訳)
このことを山背大兄王は公に告げられなかったようですね。

つまり蝦夷が後継者を憂慮する立場にあり、蘇我系の山背大兄王の皇位継承を念頭に置いていたことがわかりますね。
このことを「天皇遣八口采女鮪女、詔之曰(天皇は八口采女鮪女(しびめ)を使わせて詔して曰く)」したということは、高位の采女(神の使い)を使わせて自分の言葉を述べさせているのですよね。
この鮪女は推古天皇の病床にも侍っていますので重要な立場だったのでは?と思います。

古代の女帝は巫女的な力を有していたと私は思います。そのサポートをしていたのが各地から献上された采女です。
そして次の大王を心配するのは、蝦夷…。
そう考えると、更に特別な場面に見えて来ませんか?

https://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_23.html

ともあれこの豊浦の地はドラマチックな歴史的な出来事の数々の舞台なのですね。
そして「日本の寺の発祥の地」でもあります。
個人的には父方が寺なので、少しの感慨の深さも…?
稲目が寺を建てなかったら日本に仏教は根付かなかった可能性すらありますからね。

この日は夕方遅かったためか向原寺さんは閉じておられましたが、
豊浦宮の遺跡を拝見することが出来るそうです。
…再訪せねば、です。
(暑さに負けて足を延ばせなかった小墾田宮(古宮遺跡)にも!)


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