かづらぎ栄依

古代史好きの古民家好き。 それが嵩じて伊勢外宮のお膝元に住んでいました。 大学は国文学科で万葉集界隈を専攻。 私的な歴史的考察をまとめていきます。 野望は文筆を仕事にすることです!

かづらぎ栄依

古代史好きの古民家好き。 それが嵩じて伊勢外宮のお膝元に住んでいました。 大学は国文学科で万葉集界隈を専攻。 私的な歴史的考察をまとめていきます。 野望は文筆を仕事にすることです!

マガジン

  • 【コラム】神社仏閣古代史徒然

    古代史を独自に研究したり、 神社仏閣を参拝したり、 日々過ごす中で思ったことを書いています。 伊勢に住んでみての発見なども。

  • 【コダイ妄想】私的に古代史を考察&推理

    古代史について研究する中での気付きを元に 「本当はこうだったのでは?」という 勝手な推理を展開しています。 誇大妄想な古代への妄想です。 *可能な限り史実をベースにしていますが  文字通りの過大な解釈を多く含みますので  フィクションの一環としてお楽しみくださいませ。

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なぜ伊勢?

そもそも、なぜ私が伊勢に移住するに至ったか? これから伊勢及び古代史の考察をまとめていく前に、そのお話をしておこうと思います。 「自己紹介」でもお話しましたが、私は大学時代の卒論のテーマが伊勢絡みでして、初めて伊勢を訪れたのも学生時代、ゼミ合宿においてでした。 初めての伊勢神宮は両宮ともに、今のように参拝客が多くはなく、気圧されるくらいの凛とした静けさの中にありました。 「神さびる」とはこういうことか… そう思ったのを鮮明に覚えています。 それから8年ほどは伊勢を

    • 【取材旅行】天武天皇神社

      宮滝遺跡から169号で吉野川を溯り、川上村へ。 丹生川上神社上社の対岸に建つのが天武天皇神社です。 今回は結局断念したのですが、天河弁財天と丹生川上神社三社(上社・中社・下社)を参拝しようと思っていたのです。 旅程を組みながら地図とにらめっこをしていて目に飛び込んできたのが「天武天皇神社」の名でした。 もちろんご祭神は天渟中原瀛真人命…天武天皇です。 これは、参拝するしかない!!! なぜなら私の古代史研究のキーパーソンは天武天皇なのです。 作品を出版出来ますように…作中での

      • 【取材旅行】宮滝遺跡

        宮滝遺跡と吉野川、夢のわだの辺りを散策しました。 なぜでしょう? 吉野には夕方に来たかったのです。 …そのため写真が暗めです。 甘樫岡もでしたが、奈良の観光案内はとても良いですね。 親切ですし、見やすい。 (…伊勢に住んでいた頃、町の課題として何度も上がったのが案内図や道標の少なさだったので余計に…) 最近新しくしたのかもしれませんが、説明版も見やすくてわかりやすいです。 大きな「宮滝遺跡」の石標! 「ここに大海人皇子と讃良皇女たちが・・・!!!」 古代オタク心が燃え上

        • 【取材旅行】吉野歴史資料館

          今回の旅でどうしても行きたかった場所の一つが…吉野。 吉野の山は訪れたことがあったのですが、川の方、宮滝にはまだ辿り着くことが出来ずにいました。 どうしても今回は宮滝をちゃんと自分の目で見たかったのです。 なぜなら今執筆(というか推敲段階)の小説に登場するからです。 イメージはあるけれど、ちゃんと描きたくて…(変なところで学者気質?学者の友人知人の影響大です)。 吉野の宮の復元模型(ジオラマ)もどうしても見たくて、閉館ぎりぎりでこちらの資料館に駆け込みました。 あああ、良

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        • 【コラム】神社仏閣古代史徒然
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          【取材旅行】談山神社

          ついに来た・・・! 以前からずっと来たかった多武峰…中大兄皇子と鎌足が蘇我打倒の密談を交わしたとされる場所です。 明日香からさほど遠くなく、バスも出てますし、観光バスも来るほどですが、なかなか訪れることが出来ずにいました。(ペーパードライバーの我が身の呪わしさよ!) ずっと「暑い暑い」を連呼していましたが、ここに来て突然の雨模様。 鳥居をくぐった途端にゴロゴロと雷鳴が・・・! ここ談山神社の御祭神は藤原鎌足公。 その出身ともされる鹿島神社の祭神は武甕槌大神(タケミカヅチの

          【取材旅行】談山神社

          【取材旅行】奈良県立万葉文化館

          「万葉集」…日本人なら誰しもが触れたことのある言葉ですよね。 私と万葉集の出会いは普通に教科書でした。 中学生の頃の国語の教科書に載っていた防人の歌や東歌。 「このように東国の歌も載っていて、この歌には私たちの住む世田谷区を流れる多摩川が登場するんですよ」と。 「多摩川に晒す手作りさらさらに…」 そのフレーズだけがずっと印象に残っていました。 …それから数年後には大学で万葉集を学び、「いつか飛鳥時代の小説を書こう」となり今に続くわけですが…。 そんな私ですのでやはり「万葉

          【取材旅行】奈良県立万葉文化館

          【取材旅行】奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室

          前日に奈良県立万葉文化館を駐車場まで行ったもののタイムアウトで断念していたので、再訪しようと藤原宮跡の大内裏跡を左手に走行していたところ 突き当りの道案内看板の「奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室」の文字が飛び込んで来ました。 「そこ行きたい!Uターン!!」とドライバー(夫君)に無理強いしいしい向かったのがこちらでした。 「行きたい」の第六感に従って良かった・・・!!! それが一番の感想です。 見応えたっぷりでした!!! 館内に入るとまずガイドのおば様が受付前のショーケース展

          【取材旅行】奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室

          【取材旅行】多坐弥志理都比古神社

          多坐弥志理都比古神社・通称は「多神社」。 その名の通り「多氏」の祀る神です。 多氏の本拠地とされていて、ご祭神は4柱。 神倭磐余彦尊(神武天皇) 神八井耳命(多氏の祖) 神沼河耳命(綏靖天皇) 姫御神(玉依姫命) 太安万侶 神八井耳命の父・神武天皇、弟が綏靖天皇、祖母が玉依姫命とファミリーが祀られています。 太安万侶は古事記の編纂者で多氏の出身と伝わっています。 見ることはできませんが、拝殿の後ろに春日造りの本殿が4つ並ぶそうです。 記紀神話の序盤には「兄が弟に皇位を

          【取材旅行】多坐弥志理都比古神社

          【取材旅行】宗我坐宗我都比古神社

          近鉄大阪線の真菅(ますが)駅のそば、ほぼ線路沿いに位置します。 (Pもあります。有難いです!) 蘇我氏の本拠地と伝わる神社で、その地名は万葉集に伝わります。 「真菅吉 宗我乃河原尓 鳴千鳥 間無吾背子 吾戀者(巻12・3087)」 (ま菅よし 宗我の川原に鳴く千鳥 間なし我が背子 我が恋ふらくは) 菅のすがすがしいこの宗我の河原に千鳥が鳴き続けるように私の貴方への思いも果てることはないですよ…といった意味になります(私流意訳)。 「ま菅よし」は「そが」の枕詞となっていま

          【取材旅行】宗我坐宗我都比古神社

          【取材旅行】越智崗上陵

          今迄仕事や遊びで奈良に何度も訪れ、数々の古墳に足を運びましたが 私の最大関心のひとつである大田皇女とその祖母斉明天皇のお墓にまだ辿り着いていませんでした。 今回はすぐ近くを車でぐるぐるしていたので、急遽の参拝(と言っても良いのかしら?お墓参りでは仏教的すぎる?)をして参りました。 見上げると夏空が眩しく、石段を照らすかのようです。 斉明天皇陵まで石段を上ります。Googleマップ情報では220段です。 石段を上りはじめてすぐ左手に寺院が。 「お邪魔します」と手を合わせに

          【取材旅行】越智崗上陵

          【取材旅行】葛城一言主神社

          高鴨神社から5キロほど北に建つ神社です。 間に天孫降臨伝説のある「高天」があり、高天原神社もあります。 その辺りはすかっと空が抜けていて広々とした高台で、神様が降りられてもおかしくないと思わせる風情があります。 その高天のそばの葛城山に降りたったのが、一言主大神です。 古事記には、雄略天皇が葛城山に百官を引連れ狩りをした際に天皇と同じ姿で顕現されたと伝わります。 畏れた雄略天皇は御刀・弓矢・百官の衣装を一言主大神に献じたそうです。 その降臨の地がこの神社の建つ地です。

          【取材旅行】葛城一言主神社

          【取材旅行】高鴨神社

          2日目のはじまりです。 今回は犬連れなことと、日没ギリギリまであちこちを巡りたく、車中泊の旅としました。 (車中泊を想定した車選びをした甲斐が!) 実は去年も同じ時期に車中泊を含む旅をしたのですが…今年の方が暑くて寝苦しかったです…。 若干寝不足ながらもまず訪れたのが、高鴨神社。 山の麓に凛とした空気を湛えた境内に目が覚めました。 それもそのはず(!?) こちらの御祭神は「死した神をも甦えらせることができる、御神力の強き神様であられます。それゆえ病気平癒、初宮、大祓い等、

          【取材旅行】高鴨神社

          【取材旅行】飛鳥水落遺跡(石神遺跡)

          豊浦寺跡から甘樫丘の駐車場に、丘の東側を歩きながら戻ります。 その途中、少し足を延ばしたところにあるのが「水落遺跡」です。 斉明天皇の時代に中大兄皇子(葛城皇子)が建てた漏刻台の跡とされています。 その漏刻台が先ほどの奈良文化財研究所・飛鳥資料館に実物大で復元がされています。 更にその水の流れを再現した縮尺模型もありました。 排水の様子や、時間を知らせる鐘の音も鳴り…当時の様子がここまで表現できるのかと研究の深さに驚きました。 (写真を撮っておりませんでした!大後悔!)

          【取材旅行】飛鳥水落遺跡(石神遺跡)

          【取材旅行】豊浦宮と豊浦寺とその界隈

          「やっぱり暑すぎた…」このタイミング(9月半ば)しかタイミングが合わなかったとはいえ、暑さで体力を消耗し過ぎて観たいところをいくつ断念したでしょう? そんな状況下でも、ここは外せないと思ったのがこの豊浦宮跡です。 蘇我稲目の時代にはこの地に蘇我氏は住まいを持っていたようです。 日本史の教科書等でもお馴染みの「稲目が欽明天皇から仏像(百濟から伝来)を賜り、自宅に祀った」というエピソードがこの地です。 その後、疫病が流行ったのは異国の神を祀った祟りだとして、物部尾輿と中臣鎌子

          【取材旅行】豊浦宮と豊浦寺とその界隈

          【取材旅行】甘樫丘

          何となく「甘樫丘の夕景が見たい」と旅程を組みながら思っていました。 少しだけ涼しくなってきたので、愛犬も散歩モードで共に丘に登ります。 丘は綺麗に整備されていてランニングを楽しむ人の姿もちらほら。 駐車場に車を停めるとそのすぐ上に「蘇我入鹿旧邸宅跡地」があります。 「ここ・・・かな?看板とか遺構もないけど」 その辺りと思われるのが上の写真です。 以前「蘇我氏は身の危険を感じていなかったのはその邸宅の位置取りからもわかる」という論文を読んだのですが(筆者失念)、 同行してい

          【取材旅行】甘樫丘

          【取材旅行】山田寺跡

          今回の旅のテーマの一つは「蘇我氏」。 特にその邸宅や関連する場所を改めて確認したいと思ったのでした。 それぞれの距離感や、その立地などを体感してみたかった…のですが、 犬も歩けない程の酷暑の折、徒歩は諦めて車での移動となりました。 先ほどの飛鳥資料館を出て500mも離れていない位置に建っていた山田寺。 蘇我倉山田石川麻呂が建立し、完成させたのは孫の持統天皇…と伝わります。 大通り(124号・桜井明日香吉野線)は磐余道なのですね。 磐余道は阿倍山田道とも呼ばれ、海石榴市と飛

          【取材旅行】山田寺跡