
(エッセイ)空気を読む子供たち。成長の喜びと複雑な親心
「お母さん、これ作ったから書いて!」
昨日、2階で作業中の私に小4長女が自作のプリントを持ってきた。文字の周りはカラフルでポップなイラストで彩られている。
タイトルを見た途端、青ざめた。
「お父さん、お母さんがよろこぶお手伝いの紙」
各項目の横には、うれしい度・よろこび度なるゲージがかかれていて、中が空欄だったので私に色を入れてくれということだった。
何を隠そう、わが家で私は常に多数のタスクを抱える「忙しいキャラ」だ。近ごろは家族からは挨拶がわりに「疲れてる?」と聞かれることが多かった。
キラキラした娘の目を見た途端、
いやいや。気を遣わせてごめんね。
親はね、オトナだから一応「自分の機嫌は自分で取らないといけない」ことは重々承知しているよ。それでも仏頂面を家族の前で日々披露しちゃってるということかな。
アイコンもね、本当はいつも笑顔でいたいからイラストレーターさんにお願いしてニコニコ顔にしてもらったんだよ。
などという申し訳ない気持ちが押し寄せた。
自覚は、ある。この夏は認知症になりかけの母に代わり、祖母の家屋の管理を巡って親戚のオジサンとやり合って以来、頬の痙攣が治らない。その地味な不快感が顔に出ているのかもしれない。
アドラー心理学的に言えば、それは「私の課題」であって、こどもの行動を左右する要因になってはいけないだろう。
何とも言えない気持ちでいっぱいになりながらも、提示された欄を渡された紫色の色鉛筆で直感的に埋めていく。

一応、各項目を捕捉させていただく。
「おさらあらい」
大きい鍋や木の食器は手洗いだが、食洗機があるので、普段はやってもらっていない。
「げんかんはき」
今は子供達の仕事にしている。
「いつも玄関を綺麗に」が夫のモットー。
「りょうりづくり」
小4は簡単な炊事はできる。例)ご飯を炊く、味噌汁や卵焼きを作る、野菜や肉を切って炒める等
「そうじ」
ざっくりしてるけど、雑巾の絵が描いてあるから、雑巾がけのことかな?
「せんたくもの(干)」
私がハンガーにかけた洗濯物を外の物干し竿に干しにいくこと。
「せんたくもの(あらう)」
スタートボタンを押して洗濯物の量だけ洗剤を入れるだけ、というシンプルな動作なので任せたいところ。
ただし、汚れのひどいものを予洗いするために分けるのは自分で判断したい。
ポケットからティッシュを抜くのを忘れたりされても困るので、あまりお願いしたことはない。
「(お母さんに)べんきょうさせてあげる時間をつくる」
実はこの夏から、リビングのテーブルで宿題のドリルをする子供の横で始めたことがある。
読書しながらノートをとる「アクティブリーディング」だ。未知な単語や概念など調べ物も多く、一冊目のノートはすぐに終えた。
集中して学ぶのが楽しすぎて「子供たちは良いよね、勉強さえしていれば何も言われないんだから。大人は忙しくて、自分が勉強する時間をつくるのが大変なんだよ」なんてドヤって言ってしまっていた。
「読んだ本をかたずける
ソファーをととのえる
しっかりしゅくだいをする」
わたしがいつも口うるさく言うやつ、最後にきたー。これを最優先して欲しいから、横に1と書いた。
欄を全て埋めてから色鉛筆を返すと、すぐに子供たちは行動に移した。
「じゃあ、お母さん、今は何してほしい?」
「うーん、長女はお味噌汁作って。お豆腐とかワカメとかあるからてきとうに。」
「了解!」
ダダダっと階段を駆け下りる音が聞こえた。
しばらくして、次女が迎えに来た。
「お腹がすいたよー。ご飯食べよぅ」
「ごめんごめん、今降りるね」
どうやら、長女は味噌汁作りと玄関の掃き掃除をしてくれ、小1はお皿(二人分の給食の食器とおやつのお皿)を洗ってくれたらしい。気まぐれに申し出があっても食洗機があるからいいよと断っていたが、実は食器洗いは好きなのかもしれない。
日頃私が家事をどれだけやっていても、普段はダラダラしている子供たち。この日もお約束の時間を守りつつ、ゲームやおやつタイムを過ごしていた。
ところがこの日は、ルーティーン(通称「だらだらタイム」)の後、私が指示したわけでもないのに目の届かないところでやってくれていた。
主体的にこういうことをやろうと思って実行してくれたのは、純粋に助かるし、成長を感じる。
反面、「親の機嫌」をモチベーションに動かれるのは嫌だなぁと居心地の悪さを感じた。ちょっと「オトナの大変さ」をアピールしすぎたかな…。
「親には機嫌良く過ごしていてほしい」
そう願う子供が独自に産み出した「親のトリセツ」。
どうせなら「今は機嫌良いけど、さらに機嫌良くしてあげよう」となってもらえるように、日頃から笑顔を心がけたいと思った夏のおわり。