やっと戦争と向き合えるかな
ここのところ、ずーっと戦争のことを考えています。それがなぜなのか全然わからないんだけど…
とある講演がきっかけなのか、歳をとったせいなのか?
終戦から75年。
私が小学生だった頃、同級生たちの祖父母が学校にきて戦争の話をしてくれたり、家庭での食事中にも、たまに話題に出てきたりしていました。
私の4人いた祖父母も順に亡くなり、実家の祖母1人となりました。
そう、時は流れていくのです。
当たり前だけど、戦争を体験したことのある日本人がいなくなるという状況に向かっていっています。
ただ、後世に戦争のことを伝えなくてはいけないという想いはあるんだけど、もしかしたらそれは子供の頃に刷り込まれたものかもしれないという疑問と共存していて、本当に私が戦争についてザワザワしているのは、自分が知らないからなんじゃないか?と思い始めています。他にも理由はあるのかもしれないけど…
知らないものは怖いと感じてしまうから見たくないの循環が戦争から私を遠ざけていました。
でも、なぜか今年は根拠も無く大丈夫な気がします!というか、ちゃんと知りたいと思えています。
戦争に関する番組など録画予約しまくっています。旦那にも「何これ?すごい予約なんやけど?」と言われてしまいました。
先日、インスタLiveで、原爆を投下された広島や長崎に住んでいる人たちからもコメントをいただいて、私の住んでいる地域との温度差を感じました。私は同じ気持ちを共有したいと思いました。
原爆投下されたその時刻にサイレンが鳴り、黙祷をする…原爆投下の日を登校日とし、平和学習を行うということも教えてもらいました。
サイレンについては私の住んでいる地域でも、昔鳴ってた記憶があって黙祷もしてたよ!とLiveでお話したんですが、それもどうやら記憶違いで、家族や友人に聞いても「そんな覚えはないなぁ」と言われてしまいました。
あれはなんだったんだろう?
甲子園のサイレンと阪神大震災の頃の黙祷がミックスされてしまっているのかもしれません。が、どちらにせよ、結局小学生の頃の私は、何に対してサイレンが鳴っていて何に対して黙祷していたのかわかってなかったということが露呈しました。あの黙祷の時間は真剣に亡くなった人たちのことを思っていたはずなのに…。
インスタLiveでコメントしてくれた人たちも、同世代が多く、もちろん戦争は体験してないのだけれど、戦争に向き合っている姿を感じると、やはり実際に起きた地域とそうでない地域では、語られ方や伝えられ方の差があるんだと感じざるを得ません。
実はこのnoteも7月末から書いていて、ずっとまとまらなくて、とうとう原爆投下日となってしまいました。
いつもまとまらないけど、今日はもっとまとまらない。
また、何か自分なりに見つかったら、少しずつ載せていきたいと思います。