「テナント」としてではなく、「社会を変えようとしている人」を場のチカラで支えたいと決めて、間近でその成長を見てきて思ったこと。
東京都港区新橋6丁目の4階建てのビルでシェアスペースを2012年から運営しています。もともとこのビルはしばらくテナントが入っておらず、ほとんど空いたままの、とても寂しいビルでした。
ちょうど2011年ごろにコワーキングスペースがたくさんオープンしていて、私がビジネススクールに通っていた時、このビルでマネタイズできるビジネスプランを検討(と言ってもスモールビジネスです)した結果、シェアスペースをすることを決めました。
とはいえ、アクセスの良い場所にはたくさんコワーキングスペースが出来、7駅利用できるものの、ほとんどが徒歩8分ぐらいかかるという、港区のエアポケットのようなこの場所で、人がわざわざここまで来ないと思う(自分が一番そう思っていた)場所。だから「何かエッジを立てないと」人が集まらないと考え、そこで思い出したのが「NPO」の方との話でした。
アフタースクール(学童保育)を運営するNPOの理事の人から「いつもは2名ぐらいが常駐できるスペースがあればいいけれど、説明会などを開く時に20人ぐらいが入れるような、「伸び縮みするスペースがあったらなあ」。今は飲食店の片隅で机置かせてもらっていて、明日行く机がどこかに移動されちゃってんだよね笑」と。「スペースが伸び縮みする」という言葉がとても新鮮で、これはエッジが立つのでは?と思い、テナントのターゲットを「NPO」に絞ってみることにしました。
「NPOというと非営利団体であるがゆえ、経営状態が決して良いとは言えないのでオフィスを借りる団体は一握り。ビル運営で考えるとお客さんとしてターゲットとするのはリスクだよ。」と言われながらも、自分の中では「社会を変えるために頑張っている人たちが場所がないことでその社会の変化のスピードが滞ってしまっているかもしれない」という課題感を考えるようになり、ビル運営が持続的に出来ることを視野に入れつつも具体にしていきました。
人づてで他のNPO団体を紹介してもらったりするうちに、どのNPOも同じ「場」の課題を持っていました。固定費として場所が経営として重いこと。場所の広さなどの柔軟性が欲しいと思っていたこと、場所の予約などが煩雑だったこと。しかし、場所はなくてはならないというジレンマ。ここを解決できるのはビルオーナーしかないんだろう、そしてそのことに気づいてしまってその立場に自分がいる以上、【社会を変えようと頑張っている人を場のチカラで支える】と心に決めました。
そして2012年10月に第1号テナントとしお迎えした学童保育を運営するNPOは、本当に机1つと椅子2人が入ってちょうどのスペースを借りていただいてのスタートでした。
その後社会問題として「待機児童」が取り上げられると、この団体の活動範囲は大きくなり、様々なメディアにも取り上げられると説明会に参加する人も増えていきました。本部として事務局の人数も増えると、机1つのスペースでは手狭になり、3年後に2階のスペースを用意して、3倍の広さ(机3つ分です)に移動しました。そこからも加速度的に団体の規模が大きくなり、ついには、2階のスペースを全部借りるほどに大きい団体となりました。使用スペースで考えると一番最初の広さの7倍の大きさです。
この成長を間近で見ながら、常に考えていたのは、「この団体が大きくなるために、このスペースで出来ることは何でもしよう」と決めたことでした。なぜそこまで固執するぐらいに思うようになったのか?それはもしかしたらこの団体のみなさんと会った時のイキイキとした表情にどこか羨ましいとも思っていたのかもしれません。自分は一緒に働くことはできないけれど、でも社会を変えようと真剣に踏み込んでいる人たちの隣にいたら自分もきっと成長できるかもしれないと、今思うと考えていたように思います。
今日、そのNPOはこのビルから移転されました。
このビルではこれ以上拡張出来ず、私もこれ以上はスペースを準備することが難しくなり「これ以上、ここの場で支えることが出来ない」という気持ちでした。
それでも、今日ガランとしたスペースをぼーっと見ていたら、どこか寂しい気持ちが湧き上がってきました。この8年間、団体のパンフレットを置いたり、2つあるフリーのミーティングスペースは自由に使っていただくようにしたり、働く人が女性の方が多く、いわゆるランチ難民エリア(コンビニとお弁当しかない場所)だったので、知り合いのパン屋さんにお願いして製造段階で不良だったり前日に売れ残ったパンを1個100円で販売したり。
場のチカラを信じてこの8年間やってきました。そしてわかったことは場にはスペースに限りがあり、チカラには限界もあることでした。
やっぱり誰もいなくなった、ここにたくさんの社会を変えようとしていた人が集まってたくさん話して、たくさんの笑顔や声があったのに、今日からは誰もいなくなった風景は、とても不思議でしたがこの風景は場にチカラがなくなった風景でもあると感じました。
今日原状回復の打ち合わせをして、残すもの、撤去するもの、直してもらうものを決める時、「2つの思い出」を残してもらうことにしました。
小さなスペースに吊り下げられた電球のライトと壁に貼り付けてあった時計です。この2つがここで8年間いてくれた思い出として、そしてこれからもこのスペースに「社会を変えようとしている人」が集まってくれて、その魂やDNAを受け継いでもらいたい。そう思っています。
場というのは一見無機質なものです。でもその場に人の魂や思いが詰まると、その場にチカラが宿ります。ここはいつも楽しい笑顔と笑い声が絶えませんでした。夜遅くでも明かりが灯っていて、とてもイキイキとしたビルに変わっていました。ここには社会を変えようとする灯火がありました。
コロナの状況下、オフィス環境も厳しくなります。声までのような場の使い方は間違いなく変わりますし、すでにその影響は出ています。新しい場のチカラを宿さなくてはいけません。一方でビルの運営としては当然新しいテナントに早く入居して欲しいわけですが、ただ場所を貸して賃料をもらうより、人のチカラで場のチカラの価値が高まっていくような、そんなビルにしたいという気持ちが8年ぶりに高まっています。
その原点にあった、こう考えるきっかけをくれたNPO団体「放課後NPOアフタースクール」のみなさんには感謝しかありません。今日から新しい拠点で今よりももっともっと大きくなって社会を変え続けて欲しいと思っています。2012年からここを使ってもらった8年間が礎となって、新しいスペースでもっともっと善い活動になるようにと心から応援をしています。そしていつか2階のスペースに立ち寄ってもらって、新しく社会を変えようとしている人と一緒に、壁にある時計と電球のランプを見ながら色々な話ができたら。そんな日を楽しみにしていたいと思います。
ビルを管理している以上に、このビルで何が出来るか。どんなチカラを出せるのか。そんなことを考えながら、このビルをちょっとでもいいから明日はいい場所になれるように。といつも考えていきたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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