質問力について。

家族や友人から、仕事の業績を質問されるとき、ぼくは決まって「ぼちぼちです」と答えるようにしている。
これは経験上、何を言ってもいい回答にならないし、いい会話にならないことをわかっているからだ。

仮に右肩上がりで上手くいっていることを言うとしよう(実際にそうだったとしてもいいし、見栄をはってでもいい)。
そうしたら、相手はこちらの回答を自慢と捉え、自分のすごいところを言って張り合ってきたり、あら捜しをはじめるか、いたずらに持ち上げたり、へりくだって何かを得ようとしはじめる。

反対に、うまくいっていないような回答をするとしよう(これも実際にそうだったとしてもいいし、謙遜してでもいい)。
そうしたら、相手は優越感に浸るか、役に立たない人生訓を語り出すかのどちらかだ。
とにかく、他人というのは、何かを言いたくて堪らないのだ

そして、多くの人たちとは違う生き方をしている人や、思想を持って事業をしている会社が失敗すれば、「ほら見たことか」と言いたくなるのが日本人だ。
他人にへりくだって、迎合して、好きでもないことを嫌々やるのが仕事だと思っている日本人からしたら、ぼくのようなタイプは、うまくいくとつまらないタイプでもある。
控え目に言っても、流石に37年も生きてみると、痛いほどそういうものだとわかる。

だから、最初の質問では、どちらでもない回答をして、相手の好き勝手に想像させておくのが一番望ましい回答だということを学んだのだった。
これはぼくの処世術のひとつとも言っていいし、ぼくよりも年上の人は、どうでもいい人生訓を語るよりも、こういうどうでもいいことをやり過ごす術をもっと教えて欲しかった。

そもそも、業績を聞いてくる人は、ぼくの思想や仕事への姿勢などどうでもよく、ただ、会話のための会話をしたいだけなのだ。
仕事を依頼しようとしている人だったら、相手の業績など聞かずとも、仕事を依頼してくる。
その違いも、完全にあるのだ。
依頼というのは一種の覚悟も必要だから、どうでもいいことを質問している余裕なんてないんだろう。
依頼をしてくる人の質問と、依頼をしてこない人の質問の力強さの差ってあるんだ。
依頼をしてくる人は、ぼくの思想や仕事への姿勢を聞きたがる。
覚悟を持って事業をやっている人ほど、上手くいく、失敗するのは運の要素も絡んでいることがわかっているから、上手くいっている(いっていない)のはたまたまなのか、それとも自業自得と言えるものなのか、見極めようとする質問をしてくる。
人として信用できる人間なのか、を見られているような。
もしくは、自分と生きる上での哲学が重なるのかどうか、というようなことを見られている。
だから、放っておく質問と、真摯に答える質問って、やっぱりあるんだよね。

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