南無阿弥陀仏の話
先月開催した写真展「二つの部屋」に、仏教(密教)的要素を感じた方はどれくらいいらしただろうか?
展示室2の中央に配し、「ご本尊」とも「弥勒菩薩」とも呼ばれたマネキン人形の写真や、二つの展示室の狭間に鎮座いただいた赤いお地蔵さまの写真は、直截に御仏の世界に繋がっていた。
写真展のメインイメージの右隻に選んだ「桜の万華鏡」の写真を前にして、
「まるで曼荼羅のよう」
と感想を述べた来場者の方も多数いらっしゃった。
また、会場に設置した鬼りんご氏の詩の中にも、《それ》を感じさせる文言は確かに含まれていた。
作者の意図の一端(=展示に被せた幾つものレイヤーのうちの一層)を明かせば、「二つの部屋」とは、ある意味、密教でいう胎蔵界と金剛界の両界曼荼羅である。
放射状あるいは格子状に配置した作品群。
「物質が生成消滅する現象世界」である展示室1。
「内観を促す精神世界」である展示室2。
これらを五感(プラスアルファ)を通じて体験してもらうことにより、世界の不二性を唱導する仏教(密教)的世界観と鑑賞者の心を共振させる試み……。
もちろん、必ずそのように感じて欲しかった、わけではない。
「ある切り口から見ればそう見えるよう作った」
という説明に過ぎない。
何となれば、この世界(宇宙)の秘密をあらゆる手法を駆使して理解し表わそうとする試みは、ひとえに仏教(密教)のみに限定されるものではなく、数多の宗教・哲学・芸術・科学、いや、われわれ個々人の日々の営みにおいてすら、意識/無意識を貫いて止まない永遠の問いなのだから。
つまり、そういうことを漠然と、写真展の形を借りて表現してみたかった。
とは言いつつも。
写真展の会期中、手持ち無沙汰になった時間、休憩室の椅子に腰掛けて開いた本は、柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)であった。
福島市写真美術館の展示室に密教の曼荼羅空間を、とうっすら考えた写真家は、もう片方の手を、浄土と阿弥陀如来の思想に頼りなく伸ばした。
小林秀雄や柳宗悦の綴るピーキーな文章が、ぼくは好きだ。疲れたときなど、特によい。おそらく、ぼくにとって、脳内麻薬物質が分泌されやすいタイプの文章なのだろう。
「南無阿弥陀仏」は、法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・一遍(時宗)の順に、鎌倉時代に深化した南無阿弥陀仏の思想を、熱っぽい語り口で解き明かそうとした一冊である。
詳しくは、興味があれば読んでもらいたいと書く以外ないが、つまるところ、南無阿弥陀仏の六文字の名号が(名号のみが)人間を救うという思想が、いかに究極まで突き詰められ、純化されたかを、著者は、全編にわたり口を酸っぱくして述べ続ける。
ぼくはこういう思想に惹かれる。
密教のように複雑に枝葉を繁らせた思想も壮観ではあるけれど、ぼくには到底理解しきれないし、壮麗な曼荼羅模様に胸をときめかせて、似絵としての写真展を開く以上の近づき方を知らない。
だからと言って、南無阿弥陀仏の思想が簡単かといえばそんなことはまったくないし、理解にも実践にも程遠いが、すべては南無阿弥陀仏の六文字に尽きると断じた思想の、極星の輝きを思わせる無二の魅力に抗い難く引き寄せられ、「南無阿弥陀仏」のページをめくった。
先日、テレビを見ていたら、仙台市博物館で、
「親鸞と東北の念仏 −ひろがる信仰の世界− 」
と題した特別展が開催中とのニュースに出くわした。
仙台には、二、三日のうちに訪ねたいと思っていた用事があり、タイミングのよさに、
「何と奇遇な」
と驚かされた。
いざ博物館に足を運び、実際に展示会場を見て回ると、(充実してはいたものの、そして予想はしていたものの)いかにも地味な内容である。
金箔に覆われた見目麗しい仏像は一体もなく、親鸞自筆の著書「教行信証」(国宝だが、見た目はごく普通の古文書)や、代々の聖人上人の手紙に各種実務文書、名号や阿弥陀如来を描いた掛け物がずらりと並ぶ。
浄土真宗とはそうした宗派なのである。
中で、京都・西本願寺に伝わる国宝「三十六人家集」が、会場の一角を区切って特別展示されていたのは、文字どおり異彩を放っていた。平安末期に製作されたこの見事な和歌本は、王朝美の世界が決して絵空事ではないと信じさせてくれるに足りた。雲母摺だろうか、角度を変えて見るたび表情を変える紫の料紙(中務集)は、とても千年前のものとは思えない。デザイン感覚の切れ味は、現代をはるかに凌駕している。
彫刻の展示物は数点、親鸞坐像などがあり、どれもその人らしさをよく捉えたと思しき、気迫に満ちたお姿だった。
一体のみ、神秘の眼差しを投げ掛ける聖徳太子立像が展示されていて、この方には見覚えがあると思いながら確かめると、以前に参拝し、noteで記事を書いたこともある、福島県喜多方市は金川寺に安置されている太子像なのだった。
よもや、ここでお目にかかれるとは。
若き日の親鸞聖人が聖徳太子の夢告に従って法然上人の門を叩いた縁により、浄土真宗では太子信仰が篤い。
前に投稿した記事では、八百比丘尼伝説と秦氏の関係に基づいて太子像安置の由来を推察したが、会津での浄土真宗の活発な布教活動の歴史と、太子像が阿弥陀如来像とともに納められた伝承を考え合わせると、金川寺の太子像は熱心な真宗門徒の手で作られたと見るのが妥当だろう。
ぼくは太子像に向かって小さく合掌し、その場を離れた。