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noteを始めて、好きなものがどうして好きなのか、ちょっと分かってきた。

日常の中から、小さな楽しみを増やしていく心持ち。

(いつかの変化や非日常に向かって日常をがんばる。だけでは心許ないから、せっかくなら毎日をたのしみたいという貪欲です。)

お仕事でのエッセイなど、言葉ではそんなことを大切にしたいと言いながら、ここ数年は、忙しさを言い訳にして、なかなかうまくできない自分がいました。

だけど最近、行動にもうつせるようになってきて、そのおかげで気付いたことを、今日は書いてみようと思います。



私にとって日常の楽しみは、インテリアとご飯を食べること。(散歩と昼寝と本屋さんと朝ドラも好きです。)

ですが現実は、お仕事とプライベートのバランスをうまく取れない日々。ここ3年は、仕事9割のエネルギーで過ごしていました。お仕事が好きだから、それがとても楽しかったし、夢中な20代半ば~後半。

だけど、インテリアも食べることも、仕事や取材で得た知識が募る一方、経験値が伴っていない後ろめたさを感じるようになっていて。

そうすると、好きなものだったり思ったことを、まっすぐ人に伝えることを躊躇するようになりました。
(好きと言うには、もう長いこと行動に移してないな〜とか。考えすぎなんですが。笑)

仕事のエッセイでも、初めましての会話でも。
自分のことを伝える場面になった途端、いつしか当たり障りない会話を繰り返し。

そんな自分がちょっと嫌になる。そんな最近でした。

(インテリアのお仕事って、軸にあるべきなのは、楽しく暮らすための提案だと思うのですが、仕事以外で育む時間だったり経験値なしでは、発信するものに奥行きが生まれにくい という壁にぶつかった感じです。仕事とプライベートのバランスが大事なんだなと、改めて実感。でも、バランスっていちばん難しい…!)

今月からは、思い切ってnoteをはじめてみたり、お弁当を再開したり、断捨離したり。
疎遠になっていた友人とまた再会する機会があったり、家族とも会う頻度が増えたり。

そんな変化の積み重ねで、じぶんの輪郭が少しずつ見えてきている感じがします。

とくに、noteをはじめてからは、自分を客観視する時間が生まれて、その過程で、過去のことを思い出したり。
(仕事ばかり追いかけていたら、過去の記憶がどんどん薄くなっていて、noteはリハビリです。笑)

どうして好きなのか、どうして心が動いたのか?

潜在的な部分は、こうして書く作業を通して、自覚するのが向いているな〜と改めて気付きました。

その作業って、日記に書けばいいこと ではあるのですが。
どこかで似た日々を過ごしている知らない誰かが見てくださっているかもしれない。という淡い下心が、書くことを続けられる理由でもあったりします。

その場所がインスタやツイッターではなく、noteなのは、映えや文字制限がない自由さに惹かれているのが大きいです。

そんな中で、好きなことの共通点を探してみると、どうして好きなのか?が見えてくるのもnoteの醍醐味だなと感じます。

例えば、わたしが好きなことは、インテリアとご飯。今身近にあるものは、8.5畳のワンルームとお弁当箱。

共通点は、同じ箱の中に日々ちがうものを詰めていく作業が、好きなんだということ。

同じ場所で、何通りもの違った景色がみえるって、すごくワクワクします。

あとは、お仕事でもプライベートでも、文章を推敲することが好きです。何度も上書き保存して、アップデートして。

良くも悪くも、自分の中に、昨日とは違う視点や景色があるのがおもしろくて、現在地を知るために必要な作業になっています。
おかげで寝不足になってしまうのは、やめたいところです。

ps.
スイッチ入ってるときの文章って、翌日に見返すと、ほんとにきもくて泣きたくなります。笑

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