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練る。ただ、それだけ。

偶に、粘土を触りたくなることがある……って言っても、何かを作りたいとかじゃないんですけど。

ゆんが粘土の扱いをちゃんと身に付けたのは大学生の頃。
彫塑の授業でした。

それまで、学校の図画工作レベルでしか立体って作ったことなくて。
むしろ、立体物めちゃくちゃ苦手で。
それが授業でいきなり「石膏像と同じものを作れ」と言われて、どうやれと!?!?となったのを覚えています。

その時に習ったのが「菊練り」。
粘土の練り方で、これをしとかないと粘土の中に空気が入ってヒビの原因になってしまうんですよね。
簡単に見えてやってみると結構難しくて、ちゃんと出来るようになるまでに1ヶ月近くかかりました。

ただ、ひたすら粘土を練る時間。
それだけなんだけど、凄く落ち着くんですよね。

そして、偶に延々と菊練りをしたくなる。

彫塑の時間はなんだかんだ好きな時間でした。
担当教授は気難しいものの、親しくなるととても穏やかな所も伺える方で。
後、凄く著名な先生だったんですよね……その先生の作品の置いてあるところを知った時には、どえらい方に教えて頂いてるんやな、と「ひぃぃ」ってなった思い出。

最初は全部が全部苦手だと思っていた立体も、彫塑は凄く好きでした。

ゆん、自分の発想力というか、オリジナリティの乏しさがとてもコンプレックスで。
未だに、その劣等感に唸りたくなる時があります。

デッサンとかは人並みに出来る自身はあるけれど、1からの創作ってなると一気に自信が無くなるんですよね。
ちなみに、あるものを組み合わせるのは割と得意なのでコラージュとかは好きです。

彫塑の授業は石膏像を作っていく、立体版デッサンのようなもの。
自分の上達もよく分かるし、目の前のものをそっくりに再現すればいいという基準があることは自分にとってやりやすいものだったんですよね。

デッサンや彫塑は、見方を知るためのものだとゆんは思っています。
目の前に見えているものの見方を知らない方って、意外と多いんですよ。

目の前に見えている通りに線を引けばデッサンはかけるけれど、実際に書いてみるとそれができない。
その時に必要になるのが、ものの見方なんです。

例えば、ここよりここが長いとか。
ここは、ここより少し下の位置になるとか。
全体の、そんな位置を正確に見定めるのが出来れば、とりあえずそれなりに上手なデッサンって書けるんですよね。

それに奥行とか、360度からの見え方が加わったものが彫塑。

デッサンや彫塑だけならば、1番必要な技術は正しく見ることができること、なんだと思います。

ただ、目の前のものをしっかり見るだけの時間。
ただ目の前のものに触れて練って整える時間。
大学生の頃のような、一心不乱にそれをできる時間が偶に欲しくなる。

大人になると、長々とそんな時間を確保するのは中々難しいけれど。
年内中にゆっくり数日時間をとって、目の前のものを向き合う事ができればいいなと思います。

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しいな ゆん
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