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自由からの逃走 #1

自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。

このようにして、他人はつねに自己の目的にたいする手段であり、他人と接触する以前に、個人のなかにそれ自身で発生している衝動を、満足させるためのものである。フロイトの意味における人間関係の世界は、市場とにている。──それは生物学的にあたえられた欲求の満足の交換であり、そこでは他にたいする関係は、つねにーつの目的にたびする手段であって、けっして目的それ自体ではない。

たしかに人間がだれしももっている、飢えと渇きとか性という欲求は存在する。しかし人間の性格の個人差をつくる、愛と憎しみ、権力にたいする欲望と服従への憧れ、官能的な喜びの享楽とその恐怖、といった種類の衝動は、すべて社会過程の産物である。人間のもっとも美しい傾向は、もっともみにくい傾向と同じように、固定した生物学的な人間性の一部分ではなく、人間を造りだす社会過程の産物である。

宗教や国家主義も、まことに馬鹿げた他の習慣や信仰と同じように、もし個人を他人と結びつけさえすれば、人間のもっとも恐れる「孤独」からの避難所となるのである。

「しかしただ一つのことを知っておきたまえ、そしてしっかりとあなたの柔軟な心にきざみつけておきたまえ、人間が孤独にたいする恐怖をもっているということを。すべての孤独のなかでも、精神的孤独がもっとも恐しいものだ。神とともに住む最初の隠者は、精霊たちの世界にびっしりととりこまれて生活していた。癩病患者であれ、囚人であれ、罪人であれ、病人であれ、最初にうかぶ考えは、かれの運命に同伴してくれるものがほしいということである。この生命そのもののような衝動を生かすために、人間は全力をつくす。生活のすべてのエネルギーをついやす。サタンはこのおそろしい熱望をもたない人間を発見することがあったろうか。この問題については一大叙事詩を書くことができよう。それは失楽園のプロローグともなったであろう。なぜなら、失楽園とは叛逆の弁護状にほかならないからだ。」(バルザック『幻滅』)

人間性なかには、固定した変化しない要素がある。それは生理学的に規定された衝動を是が非でも満た
そうとしたり、孤立や精神的な孤独を極力さけようとするものである。

「本能は[...]より高等な動物、とくに人間においてはたとえ消滅してしまうものではないにしても、減少していくものである。」

人間の生物学的弱さが、人間文化の条件である。

神の命令に反逆することは、強制から自己を解放し、前人間的生命の無意識的な存在から、人間の水準へとぬけだすことである。

ルネッサンスは、富裕な強力な少数者が支配する社会であった。そしてかれらが、この時代の精神の表現者としての哲学者や芸術家を生みだす社会的基盤となっていた。

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